38 コンビニであだ名を付けられる
明日に学校がないという日常は、学生に七つの大罪のひとつ、怠惰をもたらす隙を与えてしまう。
テレビやラジオ、ゲームやメールなど、ダラダラダラダラダラダラと興じた結果、気づけば丑三つ時。次の日学校があれば、間違いなく辛い朝を迎えてしまう。その辛さが今夜は気をつけようと反省をもたらすのだが、夏休みにはそれがない。どれだけ夜ふかししようと、満足いくまで惰眠を貪れてしまう。そのまま負のスパイラルに陥り、生活リズムが崩れただらしない休みをもたらしてしまうのだ。
その点、俺にはその心配はない。テレビやラジオに興味もなければ、ゲームに興じることもない。もちろん、遅くまでメールをやりとりする相手はいない。規則正しい早寝早起きの生活は一切乱れることなく、優等生守純愛彦は夏休み中も健在なのだ。
まさに去年と変わらない夏休み。面白みのない時間を消費するような日々を送っているのだ。これは果たして高校生として本当に健全なのか、討論が必要な題材である。
ただただヤバい奴扱いされ、疎まれ続けてきた中学時代。今やそれとは真逆のスクールカースト一軍男子として、高校生活を送っていたはずなのに。なぜ去年と代わり映えがしないのか。
女子とはもちろん、同じ四天王である長城、永峰、名川との交流も一切ない。これからの予定で、聖印女学院の生徒との合コンはあるはずなのだが、これは長城の連絡待ちである。
こちらから長城に連絡を取りたい。でも長城のケータイの連絡先を知らないのが問題だ。小学生でもあるまいし、長城くんはいますかー、と家に電話するのはさすがに憚られる。
夏休み明けでもいいかと諦めた連絡先交換。無理してでもあのとき、こちらから持ちかければよかったと今更後悔している。
夏休みの宿題はもう終わらせた。長城と連絡を取る名目は既にある。そして我が人生の盟友は長城の連絡先を知っている。そこから連絡する手もあるのだが、それを頼めない状況が今の悩みである。
夏休みも今日で十日目。
親孝行に余念のない俺は、今日も夕食作りに勤しんでいた。
「ふぅ……ようやく全部包み終わった」
達成感に包まれながら、パットに並んだ百を越える主菜を見下ろした。
今日の夕飯は、主婦にとって手作りでは労力が見合わないランキング上位、餃子だ。一個一個ちまちま包まなければならないその手間は、単純作業ゆえに重労働だ。その労力には見合わないが、手作り餃子はやはり美味い。冷凍も利くから、こうして一気に作ってしまえば次回の夕飯作りは楽ができる。母ちゃんも餃子は好きだが作りたがらないので、二ヶ月に一回くらいのペースで作るようにしている。
時計を見ると六時を回ったばかり。これなら自分で買いに行ってもよかったなと思っていたら、リビングの扉が開いた。
「おかえり」
「はい、ただいま。買ってきたよ」
母ちゃんはそう言って、対面のシンク越しに買い物袋を手渡してきた。
中身は卵である。餃子のつけタレに卵黄を使いたかったのだが、昼に卵を使い切ったのを忘れていたのだ。
母ちゃんはキッチンの様子を覗き込んできた。
「お、もう全部包み終わったのかい?」
「後は食べる分以外、ラップかけて冷凍するだけだ」
「随分と早いじゃないか。まだ他にやることがあるなら手伝うよ」
「うーん……副菜は昼の内に仕込んだ。スープは卵白を使いたいから直前だろ。米を今から炊いて、それに合わせて餃子焼くとして……うん、ないな」
この後の段取りを、指折りながら数えた。
「むしろ、これだったら母ちゃんに買い物頼む必要なかったわ。わざわざごめんな」
「いいんだよ。夏休みはずっと楽させて貰ってるからね。たまにはこうして散歩に出ないと、身体が訛っちゃうよ」
「だったらよかった」
「やることないなら、ちょっと話せるかい?」
「別にいいけど」
思わず首を捻った。母ちゃんの改まった態度で、ちょっと世間話というわけではないのが伝わったからだ。
母ちゃんはダイニングチェアに腰掛けた。
「さっきスーパーでね、三島の奥さんとバッタリあったんだよ」
三島の奥さんとは、同じマンションの住人だ。娘が今大学二年生で、歳近い子を持つ母親同士。お互いの家に行き来してお茶するとまではいかないが、母ちゃんにとってはよき隣人である。
「ほら、向こうの娘さん、そこのコンビニでバイトしてるだろ?」
「そう聞いてるな」
ちょっとしたものを買うにしても、近くのコンビニではなく、もう少し足を伸ばしたスーパーへ行く。だから三島の娘さんが働いてる姿は見たことがなかった。
「その娘さんがね、ここ数日、毎日のように葉那ちゃんが来てるっていうんだよ」
「コンビニにか?」
「それも夜勤の時間帯にね」
夜勤の時間帯といえば、二十二時以降である。夏休みとはいえ、頻繁に訪れるにはよろしくない時間帯だ。
「二十三時前だったら、だからどうしたって話だけど」
「大体、一時から三時にかけてらしい」
「たしかにそれは問題だな。でも……」
少し考え、訊ねた。
「夏休みなんだ。高校生がそのくらいの時間に買い出しに来るのは、そんなおかしいことか? 酒やタバコを買ってたらアウトだが、あいつもそこまでバカじゃないだろ」
女子高生がひとりで深夜のコンビニへ買い物。安全の意味では、たしかによろしくない。でも、たかだか学生のアルバイトが、素行不良だと躍起になって咎めるほどのことでもない。
むしろそんなの一々母親に報告している娘のほうがどうかと思う。そんな店員がいるコンビニで買い物なんてしたくない。
「そもそもよく葉那の顔なんて知ってたな」
「葉那ちゃんはほら、ただでさえ美人さんだから。そこの廣場の遠縁で、親元離れて百合ヶ峰に通ってる。それを知らない家なんて、このマンションにはほとんどいないよ」
「近隣住民のそういうところ、嫌になるな。噂好きっていうか、珍しいもの好きっていうかさ。人の事情を詮索して広めるのが、なにが楽しいんだ」
「仕方ないよ。ここは家族向けのマンションだから。このマンションの色には合わない住人がやってきたら、なんだなんだってなるのは当然だよ。良くも悪くも、その結束がマンションの秩序や防犯を築いてるからね」
「まー、そう考えたら仕方ないことか」
母ちゃんの言い分に納得し、溜飲を下げることにした。
「でも一々お母さんに報告する、三島さんの娘を擁護する気にはなれんな。あの子は不良だってマンションに広めてほしい、美人へのやっかみでもあるのか?」
「それがね、なんでも必ず、同じ弁当二個とコーラを買って帰るんだってさ」
「毎日来てそれは、裏であだ名を付けられるレベルだな」
コンビニ店員は、特徴的な行動を取る常連にあだ名をつける習性がある。葉那は間違いなくそれに該当する。
母ちゃんは心配そうに、頬に手を添えた。
「夏休みだっていうのに、雰囲気も暗くてね。目にクマも付けてるから、あの子大丈夫なのかな、ってさ」
「すまん、三島さんの娘。俺が悪かった」
母ちゃんと仲の良い三島さんの娘なのだ。美人にやっかむなんて、そんな陰湿な人間に育っているわけがなかった。
「そうなるとほら、夜は葉那ちゃん、うちでご飯を食べてるだろ?」
「その辺どうなってるんだって、探りを入れられたのか」
「いやー、驚いたね。夏休みに入った途端、まさかそんな生活してるなんて」
怒るのではなく、心配そうに母ちゃんは言った。
「友達と予定がいっぱいあるから、休みの間は当分、自分でご飯はどうにかする。って話を、葉那ちゃんに聞かされてたんだけど……まさか、春休みの生活に戻ってるなんて」
「むしろ前より酷くなってるな」
深夜一時以降にコンビニ飯を求めるのは、さすがに不健全すぎる。しかも二個ということは、それで一日分を賄っているのだ。
夏休み十日目にして、もう夜型人間になっている。しかも目にクマを付けてるなんて、よほど酷い生活リズムになっているのだろう。
終業式の日の一件以来、葉那とは一度も顔を合わせていなかった。まさかここまで酷いことになっているなんて想定外だ。
考え込んでいると、母ちゃんはそっと訊ねてきた。
「葉那ちゃんと、ケンカでもしたのかい?」
俺たちの間になにかあったのは、母ちゃんには明白だった。
隠すことではない。むしろ、母ちゃんから聞いてきてくれたことが、今はありがたく感じた。
「ケンカ……にはならなかったな。んー、なにから話せばいいか」
「全部話しな。要点もまとめなくていい。ゆっくり最初から、なにがあったのか話してくれればそれでいいから」
こういうとき、どっしり構えた母親は頼りになる。
焦らなくてもじっくり話を聞いてくれる。親身になってくれる存在が、どれだけありがたいか。
俺は遠慮なく、母親の胸を借りることにした。
「終業式の日さ……葉那とラブホテルに泊まったんだけど」
「また凄い話が飛び出てきたね。本当になにがあったんだい」
話の出だしから、母ちゃんは目を丸くした。
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