37 そういう気遣い、いらないんだけど
葉那は不貞腐れたようにチャンネルを回すと、今度は制服を着た女優たちが、学校の教室で乱れている映像が映し出された。
「これも全部、偽物の女子高生なの?」
「本物なんて出そうものなら、会社が一発で潰れる。パッケージの表記だって、よくよく見たら女子『校』生って書いてあるからな」
空中に人差し指で『校』って書く。
「芸が細かいわね」
「少しでも楽しんでもらいたい。そんなAV業界の努力が感じられるな」
「それでもヒコはやっぱり、これくらいじゃ勃たないの?」
「だな。これくらいじゃおかずにならん。これだったら学園にいたほうが千倍マシだ。なにせ本物が周りにいるからな」
痴態はもちろん、裸体が見られるわけではない。嬌声が聞こえるわけではない。でもあの場所は挨拶をしても通報されないどころか、疎まれずに笑顔が返ってくる。隣り合っても席を立って逃げられるどころか、『守純くんここわかる?』なんて向こうから肩を寄せてくるのだ。
そのときに鼻腔をくすぐる香りといったら。勃たないようにするのは、それだけ意志の力になるほどだ。勃ちどころを探せばならぬAVとは格が違う。
そして常々思う。彼女たちを手にしたい、と。
「在学中に、絶対本物で卒業してやる」
「みつき先生はどうしたのよ?」
「そっちでいけるならもちろんいく。でも、折角本物が周りにいるんだ。一度くらいはやっぱり、本物としたいだろ」
「あんたの本物扱いする女子高生への熱量は、一体どこから湧いてくるのよ」
「一度は大人として生きてきた経験かな」
「はいはい。そのネタはもういいから。私は本物より、こういった人たちとしたかったわ」
「年上のお姉様が好みだもんな、おまえは。でもさ、やっぱり本物は違うらしいぞ?」
「なにが?」
「肌艶がやっぱり違うらしい。触るとやっぱり別物だってさ」
「それはどこからの情報なのよ」
「本物を買ってる大人たちだ」
「なら間違いないわね」
得心したように葉那は顎に手を添えた。軽蔑ではなくこんな顔をする辺り、やはりどうしようもないほど中身が男である。
俺は手をワキワキさせる。
「春を買わず、合法的にそれを確かめられる猶予は、残り三年もないからな。必ずこの手で、なるべくおっきなものを掴んでみせる」
「あ、だったらどんなものか確かめてみる?」
「確かめてみる?」
一体なにを確かめるのだと顔を向けると、絶句してしまった。
バスローブをはだけた本物が、その豊かなEカップを露わにさせていた。ふたつの山の頂上には、ピンク色の突起がある。
男女、密室、ラブホテル。そこになにも起きないわけはなく……
「ほら、いいわよ、触って」
「なにしとんじゃおまえ!」
「ぎゃふ!」
枕を顔面に投げつけると、葉那はブサイクに鳴いた。
首がねじ切れんばかりに反対を向くと、後頭部には苦情が叫ばれた。
「なにするのよいきなり!」
「なにしてんのはおまえだ! なにいきなりポロリさせてんだ!」
「だからどんなものか、確かめさせてあげようとしたんじゃない。なのにこの仕打ちはどういうことよ」
「本当に確かめさせようとする奴があるか! 求められたら誰にでも確かめさせるのかおまえは!?」
「私だって痴女じゃないわよ。女同士ならともかく、男に求められても触らせるわけないじゃない」
「たった今、触らせようとした奴の言葉じゃないな」
「ヒコ相手だったらほら、男同士になるから」
「男同士ならなおさら胸なんて触らせんだろ」
「デブの胸を触ってる奴とか、周りにいなかった? それと同じよ。ヒコに胸を触られたって、そのくらいにしか思わないわよ」
「こいつ……」
頭男子すぎて、貞操観念が狂ってやがる。
自分がどれだけ男にとって魅力的なのか。それを理解しているはずなのに、なぜ男同士ならこれくらいって感覚で、自ら性的搾取されにくるのか。
「いいか。軽い気持ちで男友達に見せて、揉ませて、なんか感じちゃって、ついつい合体までしちゃったせいで、最後には心までメス堕ちしてしまう。そんなある日、身体が女の子になっちゃった男を、俺は沢山見てきた」
「そんなニッチな話、どこに沢山あるのよ」
ニッチでもなんでもない。確立されたジャンルである。
「いくら気心知れた男友達相手とはいえ、安易なことはやるな」
「そうはいうけど……たかだか胸くらいだし――」
「たかだか胸くらいって言うな! その胸が社会的に、どれだけの価値があると思ってる! おまえくらいのレベルになると、お触りだけで一万二万じゃ利かないんだからな!」
「私は一体、なにを説教されてるのよ」
「なによりいやらしい気持ちで触らないおっぱいに、なんの意味があるんだ。もちろん柔らかさや触り心地はいいかもしれんが、一番大切なのは、それを手にしているって興奮。性の喜びがあってのものだろ。それをスナック感覚で与えようとしやがって。おまえはおっぱいの価値をなんだと思ってやがる」
「あんたはなにを力説してるのよ……いや、言いたいことはわかるけど」
不承不承といった様子で、葉那はなんともいえない本音を漏らした。
ごそごそと隣から聞こえてくる。バスローブを直したのだろうと、横目で伺う。いい機会だから、もっと色々と自覚を促さなければならない。
「おまえはもっと、自分が巨乳JK美少女という自覚を持て」
「なによJKって?」
「女子高生の略だ。今はまだ売春の隠語止まりだが、そのうち社会で当たり前のように使われるようになる言葉だ。覚えておいて損はないぞ」
「つまり覚える必要がないってことね」
「ちなみにJCは女子中学生だ」
「いらないわよ、そんな追加情報。覚えてなにに使えばいいのよ」
「よく使う検索ワードだぞ?」
葉那は心底呆れたように眉根を寄せる。そのまましばらく考えた顔をして、ため息を付いた。
「自覚を持てってさ……ようはヒコの前でも、女の子らしくしろってこと?」
「そこまでは言ってない。ただ、無防備に身体を晒すなって話だ。おまえは気にしなくても、こっちが気を使うだろ」
「気を使うっていう話なら、こっちだって言わせてもらうけどね」
ムッとしながら、葉那は目を細めた。
「この前アイス買いに行ったとき、一緒に付いてきたじゃない」
「それがどうした?」
「母さんと話してるの聞いてたけど……夜道のひとり歩きが心配だって、寝ようとしたところわざわざ付いてきたんでしょ?」
「……まあな」
少しばかりバツが悪くなり、後頭部を掻いた。
「そんな気の使われ方をされてるって知ったら、こっちだって気を使うんだから。気軽に買い物ひとつ行けないわ」
「それはしょうがないだろ。こういうのは、なにかあってからじゃ遅いんだ」
「普通の女じゃないんだから。なにかあっても、自分の身くらい自分で守るわよ」
「ででん。さて、あなたは夜道に歩道を歩いてました。人通りのない中、後ろからやってきたハイエースが隣で止まると、扉が開いて車内に引きずり込まれてしまった。中には男が複数いて、ナイフを突きつけられて大変! さあ、ここから華麗に逃げ出す方法を答えなさい」
「そんな極端すぎる例えを出されても困るわよ」
「極端じゃない。そうやって可哀想な目にあった女の子たちを、俺は沢山見てきた」
「だからどこで沢山見てきたのよ」
「相手がひとりだったとしても、後ろからいきなり襲われたらどうする?」
「そりゃ、抵抗して逃げるわよ」
「ナイフとか持ってるかもしれないぞ? 運良く逃げられたとしても、怪我したらどうする。顔とかに跡が残るような傷がついたら、それこそ目も当てられないだろ」
「そうなったらそうなったで、気にしないわよ」
「そこは気にしろ。折角顔に恵まれてるんだから」
「なによ……私が男のままだったら、そこまでの心配しないでしょう?」
「男のままだったらな」
「そういう気遣い、いらないんだけど。前と変わらない扱いでいいのよ」
イライラを抑え込むような声音で葉那は言った。
ムキになっているのは伝わってくる。でもこれで、はい、わかりましたで屈するようなら、こんな話は最初からしなかった。
言われたくないのはわかっているが、やはりハッキリ言葉にしなければならない。
「いらないって言うけどな……どうあれ、おまえの身体は女なんだ。前と変わらない扱いでいいわけないだろ」
「……ッ」
葉那は歯を食いしばり、なにかを堪えるように目を見開いた。その様はまるで信じていたものに裏切られたかのような面持ちだ。
言葉の選択を誤ったと気付いた。
本当はもっと、自分の中には深い意味があり、でもそれが言語化しきれず。中途半端な上澄みだけが漏らしたのが今の言葉だった。
急いでそれを取り繕おうとするも、
「わかったわかったわかったわかった! わかりましたー!」
機嫌を損ねた葉那は大声を上げた。いつものも女の子らしい声音ではない。十四歳まで聞き続けてきた音で、
「これからは女らしく、気をつければいいんだろ」
当てつけのように本来の自分を出しながら、マサは布団にくるまった。
「いくら俺が魅力的だからって、襲うなよー」
ベッドの端っこで、マサが手をヒラヒラと振った。
完全に拗ねた子供の不貞寝である。
これはもうなにを言っても無駄だ。
マサの女の部分の扱いは、俺は間違ってはいないと確信している。全部が全部、前みたいに扱って欲しいというのはマサのわがままである。
だけどそれを責める気はないし、怒りも湧いてこない。
一番辛いのは、こんな奇特な人生を歩むハメになったマサだ。それがわからないで『なんだよこいつ』って不貞腐れるほど、俺は子供じゃない。
立派とは程遠いが俺は大人だ。納得させるための言葉選びを失敗したのなら、反省する立場にある。
このまますぐ隣に寝るのもバツが悪い。上がったばかりの風呂にまた入り、マサが寝付く時間を稼ぐことにした。
「明日から夏休みだっていうのに……」
初めて関係が拗れるような事態に陥って、どうしたものかとため息が漏れた。
とはいっても、なんだかんだで俺たちは男同士だ。一日経てば向こうも頭が冷えて、ケロッとしているだろう。
そう楽観的に思ったのだが。まさかこの出来事が、夏休みの半分以上引きずることになるとは、このときの俺は思わなかった。
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