35 初めてのラブホテル

「「うおぉ……」」


 部屋に入った瞬間、俺たちは感嘆の声を漏らした。


 目を輝かせながら、俺は真っ先に鏡張りの壁に張り付いた。


「すげーぞ! 浴室が丸見えだ!」


 振り返ると葉那は迷うことなくテレビをつけていた。


 あんあんと艶めかしい声が、部屋中に響き渡る。


「凄い! このテレビ、本当にAVが流れるわ!」


 新しい玩具を与えられた子供のような顔で、葉那はテレビに釘付けだ。テレビへの視線を切らすことなく、ベッドに座った。 


「ベッドも広いしふかふかでいいわね」


「ダブル以上はあるな。これならふたりで寝ても狭くないな」


「でも回転はしなさそうね」


「あれは昭和の遺産らしいからな。――お、こんなところにコンドームがあるぞ」


「見せて見せて」


 サイドテーブルにあったコンドームを、ポンと投げ渡した。葉那はそれを、まるで賞状を掲げるかのように持ち上げた。


「これがあの……初めてみたわ。たしか財布に入れると金運があがるのよね?」


「そう伝えられているが、メーカー側は推奨してないらしいな」


「メーカーって、コンドームメーカー?」


 葉那は自分で言っていておかしかったのか、半笑いになっている。


「財布の中で擦れるから、見えない傷がついたりして、破ける可能性があるらしい」


「あ……金運ってそういうこと」


「そういうことって、どいうことだ?」


「子宝に恵まれるのよ」


 俺たちは顔を見合わせると、ハッハッハと笑った。


 一通り笑い終えると、俺は葉那の隣に腰掛け、タバコを吹かす真似をした。


「先にシャワー浴びてこいよ」


「それって元ネタなんだっけ?」


「なんだろうな。気づけば頭に入っていた、いつか女に言ってみたいセリフベスト10だ」


「そのカード、今切ってよかったの?」


「客観的に見れば、百二十点の状況なんだけどな」


 女子高生、美少女、巨乳。この三つが掛け合わさった理想的存在と、一夜の屋根を求めてラブホテルにたどり着いてしまった。


 男女、密室、ラブホテル。なにも起きないはずがなく……、


「あーあ、急に虚しくなってきた」


 マジでなにも起きようのない相手である現実に、深いため息をついてしまった。


 肌に張り付いた衣服が気持ち悪く、シャツを脱いだ。 


「いいから先に浴びてこいよ。風邪引くぞ」


「体育祭のとき、風邪引いたばかりでしょ。先にヒコが入りなさいよ」


 葉那もまた、同じようにシャツを脱ぎ始めた。シャツが肌に張り付くものだから多少苦戦していたが、すぐに白い肌とピンクの下着が露わになった。


 いきなりなことに、思わず息を呑んだ。


 こちらの思いも知らず、葉那は下着を外そうと後ろ手に回した。


「こんなところで脱ぐな!」


「ぎゃっ!」


 脱いだシャツを顔面に投げつけると、葉那はブサイクな声で鳴いた。


 顔に張り付いたシャツを取ると、そこには怒りではなく困惑が浮かんでいた。


「え、え……えぇ?」


 なぜこんな目に合ったのか。理解できない表情だ。


 言葉はちゃんと聞こえていたのか。服をここで脱いだことで怒られたのはわかったようだ。だからなおさら理解に苦しむとばかりに、上半身裸の俺と、上半身下着一枚の自分の姿を何度も往復させている。


「脱ぐならちゃんと脱衣所に行け」


「別にいいじゃない、他に誰もいないんだし」


 葉那は納得いかなそうに口を尖らせた。


「よくねーよ。ほら、俺が風邪引く前にシャワー入ってこい」


 顔を背けながら、羽虫を払うように手を振るう。


「……わかった」


 こちらが梃子でも動かないのはわかったのか。不承不承の嘆息だけを残して、脱衣所に引っ込んでいった。バスタオルが脱衣所にあったのか、葉那は投げてよこしてくる。


 全衣類を脱ぎ捨てると、バスタオルを腰に巻いた。手持ち無沙汰なので、点けていたままになっていたAVを鑑賞する。


 どうやら時間停止もののようだ。時間停止の力を悪用して、男が次々と女性たちを凌辱していくという、親の顔より見た設定だ。舞台は夏祭りのようである。


 この手のAVは、ムラムラよりも変な笑いが込み上がる。


 女が裸になってエロい目にあっているだけの映像で、今更勃たせろというのも難しい。女の裸ならなんでもエッチに感じる、若い感性が俺にはもう残っていないのだ。


「あ、カラスが飛んでる」


 女優がエッチな目にあっているよりも、時間停止中に動物が動いているのを見つけるほうが楽しい始末である。


「質も2000年代って感じだな。こんなんじゃ勃つのも勃たんな」


 なんとなく凝り固まった身体をほぐすように、身体を左右に捻る。左を向いた瞬間、思わぬものが目に飛び込んだ。


 ガラス張りの向こうには、シャワーを浴びている女子高生の姿があった。背を向けているから、十八歳未満の視聴が禁じられている部位は見えない。見えるのは背中と尻だけというのに、今テレビに映し出されているものより千倍エロい光景であった。


 目を奪われる前に、すかさずベッドに倒れ込む。そして血流が下半身にいきわたる前に、パン、っと顔を叩いた。


「煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散!」


 煩悩を振り払うように、俺はそう唱えた。


 どれだけ巨乳JK美少女という完璧な生物であっても、あいつの中身はマサ。我が人生の盟友である。思い出してみろ中学生のときのあいつの姿を。


 マサは弟のフミとは違い、外見に無頓着ではなかった。いずれ年上のお姉さんで童貞を捨てるため、俺に倣って早期から見た目を磨いていた。


 その結果、いかにも年上受けしそうな中性的な美少年は完成されたのだ。


「……たしかに昔から、可愛い顔はしてたな」


 もう一発、自分を両手で叩いた。


 マサは恋愛対象ではない。性的に見るなんてもっての外だ。


 どれだけ理想的な見た目をしていようと、あの中身は廣場花雅である。身体に引っ張られて心まで女になったわけではない。自分ではどうしようもできない運命の下、美少女の身体にマサが取り憑いたみたいなものだ。


 マサに非がないとはいえ、あいつの特殊な成り立ちは、大変だったねの一言で皆が受け入れられるものではない。マサの十四年を知らないものたちは勿論のこと、知っているものたちとすら元通りにはいかない。


『棚瀬たちのことを信用していないわけじゃないのよ。ただこんな美少女を前にして、ヒコみたいな受け止め方はできないと思うから。変にギクシャクしちゃうくらいなら、最初から伝えないほうがお互いのためかなって』


 かつての仲良しグループにも、今のマサの現状は伝えられない。それは仕方のないことだと受け止めてこそいるが、あのときのマサはどこか寂しそうな顔をしていた。


 でも、マサは俺にだけは教えてくれた。俺だったら今の在り方を受け止めて、今まで通りの男同士の友情を保てると信じてくれたのだ。その気持ちを裏切ることだけは、絶対にしたくなかった。


 マサが可哀想だからなんて、同情が湧いたからではない。俺にとってマサは、人生二周目にして初めてできた友人。親友と呼べる存在だからだ。


 だからどれだけ理想的な容姿、体格、肩書きを兼ねていようと、性的搾取の対象にしたくない。一度それを自分に許してしまえば、きっと堕ちていくようにあれもこれもと求めてしまうから。


 その果てに待っているのは、対等な友人関係ではない。エロ同人のヒロインと竿役という関係である。ジャンルはもちろん、TSものだ。


 そしてあいつの境遇ふこうを、面白おかしくTSものだなんて揶揄するような真似はしたくない。それはマサとの友情をかけた、絶対である。


「あん、あん、あん。ああん、ああん」


 やけにリズム感の良い喘ぎ声が響いた。


 ベッドに倒れ込んだまま、テレビを見る。


 時間停止が解けており、櫓の上で女優が後背位で犯されている。そんな櫓の周りで、盆踊りが行われるというなんともシュールな光景だ。


「この手のシチュは、AVでやったらただのギャグだな。時間停止ものはやっぱり、2次元に限るな。……ぶっ、くくく」


 喘ぎ声が太鼓の音と重なっている。それを改めて認識したら、もうダメだった。


 こんなしょうもないネタに笑ってしまった自分がおかしくて、ますます笑いが止まらない。 


「なにをそんなに笑ってるのよ」


 シャワーから上がった葉那が、訝るように訊ねてきた。


「見てるのAVでしょ?」


「いやー、そのAVが傑作でな」


「傑作?」


「時間停止が解けた瞬間、太鼓の音に合わせて『あん、あん、あん。ああん、ああん』って感じで女優が喘いでよ。その櫓の周りで盆踊りが行われてる引きの映像が、とにかく傑作なんだ」


「AVにもB級ってあるのね」


「あるぞー。特に時間停止ものはまさに、AV界のB級映画だからな。真面目に抜くために使うもんじゃない」


 ベッドから起き上がると、葉那の姿が目に入った。


 バスローブを身にまとっていた。裾は股下十五センチといったところか。長い黒髪を片側にまとめ、タオルで挟むように水気を切っている。


 性的搾取の対象ではないと自戒しながらも、その姿はAVの千倍はエロかった。


「お湯は張っておいたから、そのままゆっくり入ってきなさい」


「……おう」


 なるべく自然に葉那から視線を外し、脱衣所で向かった。


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