33 嵐の前の
一学期の終業式も終わり、いよいよ明日からは夏休みだ。
学業からの解放に喜びながも、学園から出るのを惜しむように、教室で話に咲かせている者は少なくない。
「やっと夏休みだなー」
「俺はむしろ、入学式からもうって感じだな」
俺と長城もその例に漏れず、ダラダラと教室に残り続けていた。
「長城は休みの予定とかってどうなんだ?」
「家族と旅行が一件入ってるくらいかな。守純は?」
「彼女と海に行ったり、花火大会で手を繋いだり、親の留守を狙って一緒に大人の階段上ったり。これでもかと高校生の夏休み、青春を味わいたかったな」
「つまり?」
「真っ白だ。当面の予定は、今週中に宿題を片付けるくらいだな」
「さすが俺たちの優等生。手を付けるのが早いな」
「まあな」
「終わったら一緒に飯でも食おうぜ。奢るぞ」
「いいか長城。宿題はな、自分でやることに意味があるんだぞ」
「同じ中学だった女子が、聖印女学院に通っててさ。近い内に、男メンツを集めて欲しいって頼まれてるんだ。五対五でどうだって」
「長城」
「守純」
利害が一致し、俺たちは固い握手を交わした。
長城は立ち上がると、思い出したように手を叩いた。
「そうだ守純。いい加減、ケータイ買ってもらえよな」
「あ」
それで俺も思い出した。長城とまだ、連絡先交換をしていなかったのだと。
「クラスで持ってないのおまえくらいだぞ」
「ああ、そうそう。ケータイなんだが――」
「ヒコー、まだいる?」
ケータイのことを切り出そうとすると、後ろの扉から葉那がこちらを覗いてきた。目が合うと、そのままこちらに近寄ってきた。
「じゃ、またな守純」
長城は葉那に目礼だけをして、あっさりと帰っていった。
神は一日にしてならず。連絡先交換のチャンスはこれが最後であった。それを逃した俺はかくして、夏休み明けには神へと祀り上げられるはめになったのだった。
なんともいえない顔で長城の背中を見送っていると、葉那はなにか察したように訊ねた。
「もしかして、なにか邪魔しちゃった?」
「いや、いいさ。機会ならまたある。それでどうした?」
「今日の夜さ、おばさんいないじゃない。だからご飯、外で食べない?」
「あそこに行きたいのか?」
血の池地獄のように真っ赤なラーメンが脳裏に浮かんだ。
「肉よ、肉。焼き肉でもしゃぶしゃぶでもいいから、とにかく今日は肉がいいわ」
「明日から夏休みとはいえ、また豪勢にいくな」
「懐事情の心配いらないわ。母さんから食事券もらえるから。ヒコと食べにいきなさいって、メール来てたのよ」
「それだったらありがたく頂こう」
現金ではなく食事券の支給なら、貰いすぎるという引け目は感じない。
「私はこの後、クラスの子たちと集まったりするから……七時くらいでどうかしら?」
「大丈夫だ。こっちはいくらでも合わせられるから、後ろがズレそうになったらまた連絡くれ」
「おっけー。お腹空かせて待ってなさいよ」
「ああ、でも」
俺は外に目を向けた。
雲によって覆われた空。朝にはパラパラと降っていた雨が、今は本格的に降り始めていた。この雨脚が弱まることはないのは、予報で確認済みだ。
「台風来てるんだから、やっぱ明日のほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫でしょ。最悪足元はダメになるかもしれないけど、美味しいお肉のためなら仕方ないわ。明日から夏休みなんだから、景気よくいきましょう」
楽観的に振る舞う葉那は、台風ひとつで肉を譲る気はないようだ。
社会で十年以上も働いてきた身としては、こういう天気はバカにならないと知っている。一抹の不安を覚えていた。
数時間後、案の定その不安は形になることになる。足元がダメになるどころか、帰りの足がダメになるとは、このときの俺たちは思いもしなかった。
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