30 簪を挿してる理由(かんざしをたしてるわけ)

「変わらなすぎたのが問題だった、か」


 ヒコが部屋を出てすぐ、里梨はしみじみと口を開いた。


「自業自得なのか可哀想なのか、ちょっと悩みどころだけど……葉那にとっては、いいことだったんだね」


「うん。なにも変わらないヒコの在り方は救いだったわ」


 人前で、救いなんて言葉で表現してみた。ちょっと前までの自分は、こんな言葉を恥ずかしげもなく言える人間ではなかった。それもこれも、完全に立ち直ってから受けたヒコの影響だ。


 百合が喜びのおすそ分けを受けたように微笑んだ。


「愛彦くんからしたら、葉那が男の子から女の子になっちゃったみたいなものですよね? しかもこんな美人さんに」


「男だと思っていた友人が実は女だったのは、夢みてきたシチュエーションだったらしいからね」


「それなのに愛彦くんは、葉那の見た目に惑わされないで、花雅くんとしての中身を大事にしてくれている。男友達として変わらずいられる関係……この気持ち、なんて表したらいいんでしょう」


 百合は悩むように眉をひそめた。


 パン、と両手を合わせながら、百合は楽しそうな顔をする。


「あ、そう。尊いです」


「尊い?」


 どこかおかしな表現に、くすりと笑ってしまった。


「わたしと里梨が楽しそうにしているのを見ながら、愛彦くんがよくそんなことを言うんです。今ならその意味、わかっちゃいました」


「ヒコが言うんなら、どうせろくな言葉じゃないわよ。使わないほうがいいわ」


「えー、わたしはいい言葉だと思いますけど」


 不服そうに百合は唇をすぼめた。


 私は居住まいを正して、ふたりに向き合った。


「男友達として前と変わらずいてくれる。最初はそうやって喜んでたけど……やっぱり、前となにも変わらないなんて無理な話だったのよ」


「……愛彦くんの態度、やっぱりぎこちないところがあったんですか?」


 不安そうに百合は瞳を揺らした。


「心はどうあれ、私の身体はどうしようもないほど女だから。前みたいに男同士だから気にしない、で済ませちゃいけないことは沢山あるもの」


「たとえば?」


「いくら土砂降りにあって身体が冷えていたとしても、一緒にお風呂に入るわけにいかないでしょ?」


「……たしかによくないね」


 里梨は悩んだ末に頷いた。


「目の前での着替えもそう。裸になるのはもちろん、下着姿になるのもよくない。夜遅くの買い物も、男だったら気をつけろの一言で済むけど、女だったら送り出すのも不安になる。顔の引っかき傷も男は唾を付けとけで済む話が、女は跡が残るか残らないかの大問題よ。ヒコはね、私を男友達として扱ってくれるけど、女としての身体が関わることについては、しっかり気遣ってくれていたの」


「それは……いいこと、じゃないの?」


「もちろんよ。前となにも変わらず接するなんて、やっぱり無理だから。どれだけ望んでも、大事なものを失ったなら変わらざるえない。だからこそ、そんな中でも変わらなかったものを大事にするべきなのよ」


「マナヒーにはそれが、最初からわかっていたんだ」


 里梨は優しく微笑んだ。きっとその大事なものが、今のでわかったのだろう。


 私は頷いた。


「だから困ったちゃんだったのは、私のほうなの。それがわかっていなかったから……前と変わらない男同士に固執していたから、ヒコに苦労と心配をかけるハメになったわ」


「でも愛彦くんに教わったんですね」


 百合もまた、その大事なものを理解した上で言った。


「ええ。それを教えてもらえたから、あの日、私は本当の意味で立ち直ることができたの」


「あの日?」


「私たちが里梨を悲しませちゃった日」


「ああ……」


 苦々しい表情を浮かべる里梨に、つい笑ってしまった。


 里梨にとってはあの日は、後に百合と付き合うことに繋がる、人生が大きく変わってしまった転換期だ。それが嫉妬を煽る遊びなものだから、里梨にとってはくだらないことで人生を変えられてしまった思いもあるだろう。


 でも、私にとってもあの日は人生の転換期であった。ずっと折り合いを付けられず、もう戻らないものに縋り続けてきた私の人生に、ようやく一本の芯が通った。女として生きていくのではなく、女の身体で生きていかねばならない現実を受け入れた。


 男に戻れないのであれば、この身体で得られる恩恵を最大限に利用し、楽しく幸せに生きやる。


 ラブラブカップルを演じたのは、その最初の一歩であった。


 里梨はふと気づいたように、私の後頭部を見やった。


「そういえば葉那って、一学期の頃は普通のロングヘアだったよね?」


「ええ。今はかんざしでまとめてるけどね」


「もしかしてあの日に、マナヒーから買ってもらったやつ?」


「あれは次の日、踏んで折っちゃったわ」


「えー……いや、でもそうか。男の子に選んで買ってもらったものを使い続けたら、あまりにも恋する乙女だもんね」


 里梨は唸るように言った。恋する乙女なんて似合わないと揶揄しているのではない。中身が男であることを理解しているから、自分の考えは間違っていたと納得しているのだ。


 たしかに男から送られたアクセサリーを、髪に使い続けるなんて乙女である。


「でも、これを愛用するようになったのは、あの日からで間違いないわ」


 けどあの日、これを付けている姿を見て、


「ヒコにね、言われたのよ。『おまえに簪を足したら、ローダンセになるな』って」


 ヒコにかけられた言葉は忘れられなかった。


 耳覚えにない単語に、百合が小首を傾げる。


「ローダンセ?」


「花よ、花。お花の名前」


「んー?」


 ますます里梨が不可思議な表情を浮かべる。


 お花に例えられて喜ぶのは、まるで乙女である。私のことを知れば知るほど、それがミスマッチであり、私という人間像からかけ離れていく。


 私も最初は、花に例えられて苦い顔を浮かべてしまった。でも、ローダンセがどんな花であるかを知ったとき、これ以上なく自分に相応しい花だと思ったのだ。


 あの日、心に通った芯を表すような、髪に挿しているかんざしに触れた。


「だから私はあれ以来、自分にこれしたのよ」




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葉那編、ようやくここで折り返し。

こいつらマジで結婚しろと思う反面、この友情こそが尊いコンビな物語。

なんだかんだで本編くらいの文量になると思いますが、

改めてどうか最後までお付き合いください。

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