29 畜生!

 俺が神に祀り上げられる前日談。性欲丸出しな部分をなるべくカットしながら、葉那より百合たちに語られた。中学時代から変わらなすぎた行動力が、スクールカーストから弾かれる悲劇を招いたのだと。


「いやー……見返りを求めず人を助けるのはいいことだと思うけど」


 含みを持たせた里梨は、今にも嘆息を漏らしそうな声で言った。


「マナヒーが神様になっちゃったのは、やっぱり自業自得な要素がでかいね」


「そうなのよ。クラスメイトよりみつき先生を優先してるから、こんなことになったのよ」


 里梨の代わりに肩を落としながら、葉那は嘆くように息をつく。


「でも愛彦くん、みつき先生のことが好きだったんですね」


 呆れているふたりとは対照的に、百合は楽しそうに手を合わせた。その顔は恋バナを楽しむ女子そのものだ。


 みつき先生を優先してきたのは、純度百パーセントの性欲だ。その純粋な笑顔が今の俺には眩しすぎた。


「ま、まあ……みつき先生みたいな美人教師は、男にとって、憧れるものがあるからさ。な?」


「ま、言いたいことはわかるけど……ね」


 男としての同意を求められた葉那は、『でもヒコの場合――』と続きそうになった口をつぐむ。ふたりの前で余計なことを滑らせまくるが、これでも一応、俺の味方のつもりではあるのだ。


「本気で付き合えるなんて思ってないけど、つい夢を見ちゃうんだ。女子だって、そういう子たちはいるだろ? なにかと理由つけて、先生に構ってもらおうとしたりとかさ」


「たしかに中学のとき、カッコいい先生にきゃーきゃー言ってる子はいっぱいいたな」


 里梨は顎を人差しで突きながら、思い出すような表情を浮かべた。


「俺がやってるのは、それと同じなんだ」


「それにしたって、マナヒーの優先順位と行動力はおかしいよ」


「あれだけ言ったのに、中学時代の二の舞いになったわ」


「そういえば葉那の忠告、まるで聞いてなかったね」


 葉那が口を挟むと、里梨の顔にはやはり自業自得だと書いてあった。


「友情より憧れを優先するにしても、選ぶ相手を間違ってるよ。こんな可愛い子が同じクラスにいたのに、なんで先生を追いかけちゃうんだか」


 里梨は愛おしむように、百合の頭を撫でている。


「百合と付き合いたいって思わなかったの?」


「逆に聞くが、俺がそのための努力をしていないと思うか? 一目見たときから、こんな子と付き合いたいだけの人生だった」


「でもマナヒーとは、全然だったんでしょ?」


「授業でグループを作る時は、愛彦くんと一緒になる機会は多かったですけど……それ以外は、さっぱりでした」


 頬に人差し指を置きながら、百合は小首を傾げた。


「そういうのって、百合のクラスは席が近いとかで作ってたの?」


「いえ。自分たちで作るのが普通でした」


「じゃあ……余り者同士で?」


 百合に話を聞いているはずが、里梨の眼差しはこちらを向いている。


「クラスメイトに馴染めてはなかったですけど、みんなはいい人ばかりで。ひとりにならないよう、いつも誘ってもらえてました」


「そっかー。そういった苦労をしてないのはよかった」


「むしろみんな百合と仲良くなりたがってるからな。こういうときはいつも引っ張りだごだぞ」


 安心した里梨に、クラスメイトたちがどう思っているか告げた。


「いかにそのグループに潜り込むか。俺がどれだけ頑張ってきたと思ってる」


「マナヒー、本当に努力してたんだ」


「だからいつも、愛彦くんと一緒のグループだったんですね」


 一周回って尊敬の眼差しを向けてくる里梨と、嬉しそうに笑う百合。一歩間違えればストーカー的な行動だったが、どうやらその扱いの心配はなさそうだ。


「百合とお近づきになる努力は欠かしてこなかった。でも授業以外で絡むとなると、キッカケがな」


「まー、あの頃の百合と距離を詰めるのは、たしかに難しいからね」


「女子たちが白旗を上げたんだ。そんな相手に根強く話しかけようものなら、周りからはウザ絡みにしか見えないからな。距離を詰めるキッカケがないかと探しながら、ずっと虎視眈々と百合を狙ってきた」


「本人を前に、よくそんな努力してきましたなんて顔ができるわね」


 葉那は苦々しい表情を浮かべた。


「そういえば初めてのテスト結果が貼り出されたとき、これをキッカケに話しかけるとか言ってなかった? あれ、結局どうなったのよ」


「テストの結果ですか?」


 百合は不思議そうに首を傾げた。


「ほら、百合が一位でヒコが二位だったじゃない。その結果を前にしたとき、ヒコは悩んだような顔をしててさ」


「マナヒー、中学のときはずっと一位だったから、さすがに落ち込んだの?」


「そう思って、お昼に誘って慰めてあげようとしたんだけど全然違くてね。これをキッカケに、百合と距離を詰める方法を考えてたのよ」


「どういうこと?」


 理解が及ばなかったのか、里梨は眉をひそめた。


「普通の方法じゃ、百合と仲良くなるのは難しいのはわかったからな。ライバルポジションから、距離を詰めようと思いついたんだ」


「そういえばマナヒー、一位に固執しないタイプだったね」


「むしろ二位だからこそ、あのときはよかったと思ったな。『真白さん、次は絶対に負けない!』とイケイケにいくか、『今回は負けたよ。でも次は譲らないよ』と好青年風にいくかって悩んでな」


「ね、呆れるでしょ?」


 葉那は小馬鹿にするように、やれやれと両手のひらを上に向ける。


 しかし里梨はそれに同意することなく、考えるように顎に手を置いた。


「いや……それってありかもしれない」


「え?」


「あの頃の百合って、自分の出し方がわからない子だったんだよね。だから相手の話を受け止めた上で、どう返せばいいかわからない。ひとつの目的に向けて協力することはできても、お喋りとかできないタイプだったんだよ」


「今はこうして愛彦くんと葉那とお喋りできるようになったのは、里梨がそれをわかった上で、根気よく向き合ってくれたおかげです」


 かつての自分を恥じるのではなく、足らない部分を埋めてくれた里梨を誇るように、百合は嬉しそうに手を合わせた。


 素直に、イイハナシダナー、と感動したいところだがそれどころではない。嫌な予感がしながらも、里梨の話の続きを求めた。


「それで里梨さん。ありかもしれないって……」


「ほら、お喋りは苦手でも、勉強のことなら話ができたんじゃないかなって。普段どんな勉強をしてるとか、テストのここはどうだったっとか。テスト以外でも授業の内容で攻めてけば、百合も返せたと思うよ」


「あ、そういうお話だったら、当時のわたしでもできたと思います」


 百合ははしゃぐように目を輝かせた。


「そこから根気よく百合に向き合っていけば……」


「もしかして、あったのか?」


 なにを、とは言わず聞き返す。里梨は力強くそれに頷いた。


「畜生! やっぱりあのとき、ライバルポジションで攻めておけばよかった!」


 頭を抱えながら、テーブルに伏した。


 去年の五月の時点で、百合ルートに突入するためのフラグがあったなんて。


「攻めてないって言うことは、結局やらなかったのね」


「そうですね。愛彦くんには、あのとき話しかけられなかったです」


 葉那の疑問に、百合が答えた。


「直前になって日和ったの?」


「違う。百合に声をかけようとしたら、永峰が愚か者を連れてきたんだ」


「愚か者?」


 葉那はくだらないのがわかりきっている顔をする。


「朝からかつての自分みたいな顔をしている奴を見て、永峰がもしかしたらって思ってな。詳しいことを聞かずに、こいつの話を聞いてやってくれってさ。素敵な出会いを求めたつもりが、助けを求めるハメになったというわけだ」


「もしかしてそのせいで、話かける機会を見失ったとか」


「こういう機会は水物だからな。一度逃せば、今更感が出てきて話しかけにくいんだ」


「それはちょっと、残念でしたね」


 百合は少し困ったように眉尻を下げた。


 最愛の恋人がいる身とはいえ、それが俺であってもおかしくなかった。そういう未来があったとしても、自分は幸せになれたと思ってくれているのだろう。


 なんの後ろめたさもなく百合と恋人になれたかもしれない。ただただそれが惜しかった。


「ヒコって人助けしているはずなのに、なぜか割を食うわよね。体育祭のときだって、それで休むハメになったでしょ?」


「あ、そういえば愛彦くん、体育祭お休みしてましたね」


 葉那の言葉に、百合は思い出したような声を上げる。


「リレーのアンカーにだったのに、みんな残念がっていましたよ」


「あのときは前日に、パソコンがヤバいことになった。助けてくれって家に電話がかかってきてな」


 デスクトップ画面からエロ広告が消えない類のトラブルであった。こればかりは声ではなく、俺が直々に手をかける必要があったのだ。


「そいつの家まで自転車で行ったんだが、その帰りに土砂降りにあってさ。それで風邪を引くハメになったんだ」


 そいつの最寄り駅まで、自転車で五十分くらいの距離。電車代をケチったツケが、文字通り降り掛かったのだ。


 ふと里梨が、なんともいえない表情を浮かべていることに気付いた。


「どうした里梨?」


「いやさ……体育祭を休んでいなかったら、マナヒーの名前、耳にする機会があったんじゃないかなって。リレーのアンカーだったんでしょ?」


「あ……」


 呆然としながら目を見開いた。


 体育祭は六月だ。もしそこで俺の名前を耳にしたなら、夏休み突入前に里梨は話しかけてくれたかもしれない。そしたら今頃……。


 再び頭を抱えながら、テーブルに伏せた。


「畜生! あのとき電車代をケチっていなければ……!」


「そのくらい向こうに請求しなさいよ」


 葉那が呆れたように言った。


 あのときは絶望した少年を相手に、お金の話をするのは憚れたのだ。解決した後にその話を持ち出すのも、なんかセコいような気がした。だから最初から自転車を引っ張り出したのだ。


「なんというかヒコって、自業自得な奴らを助けるのを引き換えに、幸せな未来を失ってるわよね。しかもその果てがエロ神様でしょ?」


「くそっ、なんで助けた奴らのカルマを丸ごと、俺ひとりで背負うハメになるんだ……!」


「愛彦くん……報われないですね」


「これはさすがに同情するかな……」


 可哀想な人間に、これ以上かける言葉は見つからない三人。


 なんともいえない空気を打ち破るように、ケータイの着信音が鳴った。この面白みのない初期設定音は、自分のものだとすぐにわかった。


 ケータイを取り出し画面を見ると、知らない固定番号だ。


「はい……」


『あ、もしもし。こちら、守純愛彦様のケータイ電話でお間違いなかったでしょうか?』


「ああ、はい」


 心当たりのないまま電話に出ると、快活のいい声が俺の名を呼んだ。心当たりのないまま話を聞いてみる。


「はい。はい、はい、はい……はい、すみません、ありがとうございました。すぐに取りに向かいます」


「どうしたの?」


 電話を切ると、葉那が聞いてきた。


「生徒手帳の落とし物が届いてるって電話だ。ほら、おまえにプリ見せたときに出しただろ。仕舞うときに落としたんだな」


 生徒手帳の開いてすぐのところに、連絡先を書いておいてよかった。


 そう思っていると、落とした張本人よりも慌てる叫声が上がった。


「バカ! あんなの落としたら、ヒメちゃんのスキャンダルに関わるじゃない!」


「大丈夫だろ。クラスで見せびらかしていいって、本人は言ってたし」


「それでもよ。ヒメちゃんファンが、全員いい人だとは限らないのよ。あのプリを見たファンが『おまえはヒメちゃんのなんなんだ!』って、包丁持って家に押しかけられても不思議じゃないの」


「おまえが言うと、シャレにならんな」


「命に関わることなんだから、とっとと取りに行きなさい」


 天河ヒメ信者に追い立てられるようにして、一曲も歌わないままカラオケ店を出ることになった。


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