28 最初の救済

 昼休みは一日の中で、学園が一番活気づく時間だ。


 教室から我先と競うように流出していく生徒たち。彼らが全員、学食でお昼ご飯を求めているというわけではない。親に持たされたお弁当や、朝コンビニで調達したパンなどを持って、外に憩いの場を求めているのだ。そこが常識と学園の敷地の範囲内である限り、どこで食べようと許される。一番人気はやはり、学園の屋上だ。


 もちろん、教室に留まる生徒たちも少なくない。教室を出ようが、そこに留まろうが、彼らの顔にはお昼休みの開放感で満たされている。


 そんな活気づいた昼休みの教室で、満面に絶望を描いているものがいた。地獄を映したような濁った瞳が、ただケータイの画面を見つめている。


「永峰」


「……あ、守純か」


 平常心を取り繕うとして、失敗した顔がこちらを見上げた。


「話があるから、ちょっと面を貸せ」


「悪いけど今――」


「いいから来い」


 永峰の腕を掴むと、無理やり引っ張った。誘いを断ろうとした割には、抵抗する意思はないようだ。教室を出て手を離したが、なにも聞かず黙ってこちらの背中についてきた。


 そのまま四階へ上がり、廊下の突き当たりにある部屋へと入った。


 そこは決して散らかっているわけではないが、棚の隙間を埋めるようにして、ファイルや段ボールなどが無秩序に詰め込まれている。


「ここは?」


 永峰が不思議そうに問いかけてくる。


「今、うちの担任が片付けてる部屋だ」


「そうなのか」


 本来であれば使われていない部屋は施錠されている。その疑問を示すことなく、永峰はこれ以上聞いてくることはなかった。


 ちなみに鍵が空いている理由は、みつき先生が施錠しようとしたとき、鍵がポッキリ折れてしまったからだ。鍵穴が詰まってしまい、外から施錠できない状態にある。ゴールデンウィーク直前の出来事で、取り急ぎ必要とされている部屋ではないから、案の定そのままであった。


 中央のテーブルに後ろ手をつきながら寄りかかった。


「永峰、なにがあったんだ?」


「なにがって……?」


「朝から様子がおかしいって、長城が心配してたぞ」


「……なんでもない」


 なんでもないってことはないだろう。思わずそう口にしたくなるような表情で、永峰は視線を逸らした。


 やはり簡単には吐かないか。


 それはもう織り込み済みだったので、予め考えたワードを次々と口にする。


「素敵な出会い、隠し撮り、アイドルのハメ撮り流出、無修正」


「っ!」


 背中に水滴が落ちてきたかのように、永峰はビクンと跳ねた。


 やっぱりそういうことかと、ニヤリと笑った。


「そうか永峰。おまえ、無修正を見ようとして五十万を請求されたな」


「なんでそれを……ハッ!?」


 つい吐き出した自供を翻すように、永峰は慌ててかぶりを振った。


「違う、違う……違うんだ守純、俺はそう――」


「永峰」


 動揺を抑え込むように、永峰の両肩に手を置いた。


「前に無修正は嫌いかって聞いたとき、こう答えたよな。『そんなの嫌いな奴とかいるのか?』って」


「それは……」


「男が無修正を求めて、なにが悪いんだ」


「守純……俺、俺……!」


 ずっとひとり抱え込んでいたものが溢れたように、永峰は涙を零した。顔を両手で覆い、嗚咽を漏らしながら永峰は、


「俺の話……聞いて、くれるか……?」


「そんなの聞くまでもないな」


「え……」


「すべての始まりは、知らない奴からメールが来たんだろ? 相手が宛先でも間違ったんだなと思いながら開いて見たら、『やばい! このサイト無修正だらけなんだけど』カッコ笑いと書いてあって、無修正に釣られてURLを開いて動画を見ようとしたら、『登録完了。ご入会ありがとうございました』って画面に出てきた。期限までに五十万お支払い頂けなければ、個体識別番号やら法的措置やら債権回収会社やらって脅し文句にビビって、どうしようどうしようって悩んでいたわけだ。違うか?」


「なんでそこまで……」


 起きたことすべてを見てきたかのように語られ、永峰は呆然としている。


「安心しろ永峰。そんなの、このまま放っておいても大丈夫だ」


「でも、俺のケータイの個体認識番号みたいなの書いてあって、支払わないと債権回収会社が――」


「そんなものは来ない! なぜならこれは詐欺だからだ」


「詐欺?」


「そう、ワンクリ詐欺って呼ばれる類でな。この画面にビビった無知な者を騙し、金をせしめようとするれっきとした犯罪だ」


「じゃあ、法的措置は……」


「法のすべてが、おまえが無罪だと肯定してくれる」


「そう、だったのか。よかった……よかった」


 永峰はその場で崩れ落ち、安心したように再び嗚咽を漏らした。


 こんなものに引っかかって、騙される方が悪いだなんて思わない。なにせこの時代の高校生のネットリテラシーは、『メアド変更しましたと』とCCで一斉送信してしまうようなレベルである。


 永峰は本当に恐ろしい思いをしたのだ。それこそ対処を誤れば、一生のトラウマと黒歴史を背負うハメになる。


 悪い大人に騙され、絶望に落とされた少年を救うことができた。しかもそれは、いずれ同じ四天王と呼ばれる仲間である。


 仲間を救えた充足感に満たされていると、永峰が腕で目を拭いながら立ち上がった。


「しかし……すげーな、守純。まるで神様みたいだ」


「神様?」


「俺の身に起きたことを、まるで見てきたかのように言い当ててさ。あっという間に俺を地獄からすくい上げてくれた。もう守純なんて気軽に呼べないな。これからは守純さんだ」


「止めてくれ。俺はその手の画面を何百回も見てきたからな。その経験則でわかっただけだ」


「何百回も? そいつは凄いな。無修正の手に入れ方も、その積み重ねで学んだのか?」


「ああ。俺は人より、多くの裸体を見てきたにすぎないだけの男だよ」


 そんなことで神様だ守純さんだと呼ばれるのは、あまりにも面映い。恥を誇ることなんてできるわけがない。


 ぐー、っと。腹の音が教室に響いた。


「安心したら、腹が減ったか」


「ああ」


 永峰が照れたように後頭部を撫でた。


「守純、学食で飯を食おうぜ。奢らせてくれ」


「いいのか?」


「五十万の悩みのタネと比べたら、五百円なんて安いもんだよ」


「それじゃお構いな――と思ったけど、今日は弁当だった」


「そいつは残念だ。すぐに礼をしたい気分なんだけどな」


「だったら、その内ジュースでも奢ってくれ」


 こうして俺たちは笑い合いながら、空き部屋を後にした。


 昼休みの終わり際。トイレから戻ってくると、机にはペットボトルのコーラが置かれていた。教室を出るときにはなかったものだ。


「それ、永峰が救いの神への供え物だって置いてったぞ」


「それならありがたく頂こう」


 長城にそう聞かされ、遠慮なくコーラに口をつけた。


「永峰の奴、スッキリした顔してたけど、結局なんだったんだ?」


「それは――いや、本人の名誉もある。俺の口からは言えんな」


「そう言われると、無理には聞けんが……やっぱり気になるな」


「強いて言うなら、男なら誰もが落ちてもおかしくない、落とし穴にハマっただけだ。長城が同じ轍を踏んだ時は、しっかり助けてやるよ」


「よくわからんが、そのときは頼むな」


「ま、そうならないのが一番だけどな」


 こうしてひとりの少年が地獄へ落ちた事件は無事解決した。


 神は一日にしてならず。俺がいずれ神と呼ばれるキッカケとなる、最初の救済であった。ここから徐々に俺の噂は広がり、救いを求める者がひとり、またひとりと訪ねてくるようになった。それらを救う度に救済内容の解像度が上がっていき、尾ひれと共に女子へと伝わっていったのだ。


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