22 神は一日にしてならず

 放課後、長城と下駄箱へ向かう途中、永峰と名川に声をかけられ、十五分ほどその場で駄弁り散らかした。


 階段前で留まっている俺たちに、通り過ぎていく生徒たちからチラチラと絶え間ない視線が送られてくる。けどその眼差しには、こいつら邪魔だなという負の感情はない。女子からは黄色みがかった吐息と共に熱を帯びた瞳が。男子からは届かない理想の自分への、羨望が込められていた。


 これから三年間、自分たちの代の男子たちは彼ら四人が中心になる。たとえ胸の内でそう言語化できていなくても、そんな確信を覚えたに違いない。少なくとも俺は、それを信じていた。


「それじゃ、またなー守純」


「おう、また明日」


 中学校時代では決してなかった、友と交わす別れの挨拶。ちょっと敷地内を探検したいという思いもあって、玄関口で彼らと別れたのだ。


 後になって振り返れば、本当に愚かな選択をしたものだ。なにせ彼ら三人は、このままハンバーガーショップに寄って歓談したらしい。ここで敷地内探索の選択肢を選ばなければ、彼らと交流を深めるイベントが発生したのだ。


 神は一日にしてならず。こういった日々のフラグの取りこぼしつみかさねが、俺を百合ヶ峰の神へと至らせたのだ。選択肢を誤らなければ今頃、百合ヶ峰一軍男子四天王ルートに入れたはずなのに。まさに後悔先に立たずだ。


 長城たちと帰宅するのが四天王ルートに必要な選択肢だとするのなら、敷地内探索は百合ヶ峰の神ルートのフラグを立てるための、重大イベントが発生する選択肢だ。


 敷地内の桜の木をたどるようにして歩き回り、ときには立ち止まって見上げていると、


「あら、守純くん」


「あ、先生」


 担任のみつき先生に声をかけられたのだ。側まで近寄ってくると、重いのか抱えていた段ボールをその場に下ろした。


「どうしたの、ひとりでこんなところに?」


「ちょっと敷地内の探索を。ほら、凄いじゃないですか?」


 改まって頭上を見上げる。


 満開の桜がそこには広がっており、周囲はピンクの花びらが散っていた。


 みつき先生は得心したように、後ろ手を組んで見上げた。大きな胸が強調される形になる。


「桜は百合ヶ峰うちの名物だからね。先生も入学したときは感動しちゃったわ」


「入学? もしかしてここのOGだったんですか」


「あれ、自己紹介のときに言って――なかったか」


 みつき先生は照れるように後頭部を撫でつけた。


「話すことは前もって決めてたんだけど、緊張で飛ばしちゃった。失敗失敗」


「教師二年目で、しかも初担任でしょ。仕方ないですよ」


「あら、フォローしてくれたの? ありがとね」


 えらいえらいとするように、みつき先生が俺の頭を撫でてきた。生徒を褒める教師というよりは、年下にお姉さんぶるような振る舞いだ。


 みつき先生は、こちらの顔を真っ直ぐと捉える。それが見つめ合うような形となった。


 視線を下に逸らすと、ふふっ、みつき先生が微笑を漏らした。恥ずかしがってると思われたのかもしれない。


 こんな至近距離で、美人教師の顔を拝めるのだ。見つめ合うことに羞恥を覚えることなどない。眼福過ぎていくらでも見ていられる。


 ではなぜ眼福を自ら手放したのか。その下の景色には、更なる眼福が広がっていたからだ。


 でかい。


 豊満な母性がみつき先生の胸部に生っている。葉那を巨乳扱いした今、この胸に巨と冠するのは憚られる。まさに爆の字こそが相応しい。


 中学時代の俺は、マサがいなくなってから完全に生徒たちから孤立した。学校内で彼女を作るなんて夢のまた夢どころか、無理無理無理のカタツムリである。


 それでも俺は、男になることを諦めたことなど一度もなかった。彼女なんていなくても、男になる方法はある。学校中の女子に相手されなくても、学校内には親身になってくれる女性はたしかにいたから。だから俺は、男になる道を彼女に求めたのだ。


 数学のさやか先生である。


 女教師リリスを強く望んだのだ。


 さやか先生とは、何度かお家をお呼ばれしたくらいにはいい感じだった。その門をくぐる度に、今日こそ男にしてもらえるのではとドキドキしていた。でも残念ながらほっぺにチューのひとつもないまま、あの中学校を去ることとなってしまったのだ。


 女教師で男になるのは、大人になってからでもできる。でも、生徒と教師という立場で大人になるのは、今この瞬間しか叶えられない夢なのだ。


 中学時代はその夢を叶えられず、やはり無理なのかと無念に終わってしまったが……再びリリスを求める心に火が付いてしまった。


 そのゆめを掴みたいと、強く望んでしまったのだ。


 夢は望んでいるだけでは叶わない。叶えるためにはただ、行動あるのみだ。


 段ボールに目を向けた。


「そういえば先生。それ、重そうに抱えてましたけど」


「ああ、これ。今、物置になっていた部屋の整理をしていてね。捨てるものも一杯あるから、そのゴミ捨てよ」


「一杯ってことは、これだけじゃないと」


「一体、何往復することになるやら」


「大変ですね。ひとりでやってるんですか?」


「こういうのは、ペーペーに任せられるお仕事なの」


「つまり一番の若者が、ひとりで頑張っていると」


「あら、そう言われると先生、悪い気しないかな」


 休憩はここまでと言うように、みつき先生は段ボールを持ち上げようとする。それを横から、俺がかっさらうように持ち上げた。


「これはどこまで運べばいいんですか?」


 そう問いかけると、みつき先生は目を瞬かせた。


「……手伝ってくれるの?」


「知らないんですか? 男はこういうときのためにいるんですよ」


「守純くん……」


「好きなだけこき使ってください。いくらでもお手伝いしますから」


「頼るになるなー、男の子。じゃ、お言葉に甘えちゃおうかな」


 サプライズで花束を送られたかのように、みつき先生は嬉しそうに笑った。


 こうして俺は、みつき先生のお手伝いを今日限りものではなく、隙あらば積極的に励むようになった。


 神は一日にしてならず。以後、リリスと友情、どちらの関係を深めるか選択肢を突きつけられたとき、前者を優先してしまう。真に厄介なイベントを発生させてしまったのだ。


 これが人の道を踏み外す、最初の間違いであった。


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