23 子供の頃に子供らしくいられないのは寂しいから

「んー、やっぱりおばさんのチキン南蛮は絶品ね。こんなの無限に食べられるわ」


「そう言ってもらえると、作った甲斐があるね。遠慮しないで沢山お食べ」


「はーい、遠慮しませーん」


 葉那はそう宣言しながら、タルタルソースをたっぷりかけた唐揚げにかぶりつく。食べ方こそ前より洗練とされているが、その姿は好物に喜ぶ少年そのものであった。


 守純家の食卓にこうして三人目が並ぶのは、実に一年半以上ぶりである。親子向き合い葬式会場のような食事をしてきたわけではないが、それでもこの賑やかさは三人目がいてこそだ。


「なんか久しぶりに、美味しいもので満たされてるって感じがするわ」


「昨日も同じこと言ってたじゃねーか」


 調子の良いことを言う葉那に、そう指摘した。


 昨日は入学祝いということで、夜は三人で焼き肉に行った。葉那はそこで、正統派黒髪美少女の見た目からは信じられない量の肉を、幸せそうに次々と胃の中へ収めていた。むしろワンパク男児のように、肉しか食べない始末である。


 隣に座っている葉那は、俺の指摘に少し考えるこむような顔をした。


「あー、それはそれでそうなんだけど……なんというか、そうね。家で食べるご飯で、ってことよ」


「家で食べるご飯って……そういえば引っ越してから、ちゃんと自炊できてるのか?」


「あのねー。中二まではずっと実家暮らし。救急車で運ばれてからは病院、親戚の家、そして学院寮と渡ってきたのよ。料理を学ぶ暇なんて、どこにあるっていうのよ」


「なんでこいつ、こう偉そうなんだ?」


 なんでそんなこともわからないのか、なんて表情を平然と浮かべているこいつの心境が俺にはわからない。


「引っ越してきたときは、今日からひとり暮らしだ、料理とか頑張るぞ、って思ってたんだけど。明日から頑張ろう、明日から頑張ろう、って考えているうちに、ね?」


「学校が始まる前からその様とか、絶対この先自炊できねーだろ」


「そうは言うけど、料理なんて学校の調理実習でやった程度なのよ。それでいざ今日から自炊しろ、なんて言われても、なにから始めたらいいかわからないもの。ヒコだってひとり暮らしを始めたら、絶対同じ道をたどるわよ」


「たどらねーよ。お前と違って、俺は料理ができる側の人間だからな」


「そうね、ラーメンは三分あればできるものね。私も今日から、ヒコと同じ料理ができる側の人間って自称しようかしら」


「俺と同列に語ろうなんて百年早い。主婦向けの料理本に載ってるレシピくらいなら、俺は見れば全部作れるからな」


「嘘でしょ?」


「言っとくが休みの日は、俺が炊事担当だからな」


 タルタルソースをかけようとした葉那の手が止まった。信じられないものを見るその目は、真実を求めて正面の母ちゃんへと向いた。


「愛彦はこの顔で、そういったところを楽させてくれるんだよ」


「この顔で、ってどういうことだよ」


「いいかい愛彦。女はね、ギャップにグッとくるんだよ。あんたはそういった顔をしてるってことさ」


「なるほど。意外性を秘めた顔ってことか」


「そういうことさ」


 馬鹿な息子を舌先三寸で丸め込んだ母ちゃんは、心配そうな目を葉那へと向けた。


「葉那ちゃん、引っ越してからなにを食べてきたんだい?」


「最初の内は、近所のお弁当屋さんで買ってましたね」


「最初の内は?」


 聞き捨てならない言葉を拾った母ちゃんは、眉をピクリとさせた。


 葉那は顎を人差し指で押し上げながら、記憶を掘り起こし始める。


「でも、待つのがなんか、面倒になっちゃって。スーパーで弁当を調達するようになったのは、たしか四日目くらいからだったかなー。ほら、飲み物も一緒に買えるじゃないですか。だったらまとめて買ったほうが、効率いいじゃないですか」


「それは、そうだね」


「でも四日前くらいから、スーパーに行くのも面倒になっちゃって。すぐそこのコンビニで、一日分まとめ買いしてましたね。ほら、元々レンジで温めるのが前提だから、冷蔵庫に入れておけるじゃないですか」


「こいつは酷いな」


 絶句している母ちゃんの代わりに、こいつの食生活を一言で表した。


 育ち盛りの子供が、スーパーやコンビニの弁当付けとか。それらを毒というつもりはないが、栄養が偏りすぎている。身体というのは日々の食事でできているのだ。成長期にこれではよくないのは、誰が見ても明らかである。


 たった十日でこの有り様。面倒を拗らせカップ麺生活になるのは目前だった。


「葉那ちゃん……夜だけでも、これからはうちで食べな」


 悲哀に溢れた声音で、母ちゃんがそう言ってしまうのも仕方ないだろう。


 葉那は遠慮がちな微笑を口元に浮かべた。


「いや、それはさすがに悪いですよ」


「いいからいいから。二人分が三人分になったところで、そこまで手間は変わらんしさ」


「作ってもらう側がそれを言っちゃダメでしょうが」


 俺の発言に、呆れたように葉那は眉をひそめた。


「ほら、休みは俺が担当だから」


「それでも一番負担かかるのはおばさんでしょ?」


「バーカ。子供が大人の負担なんて、気にするもんじゃないぞ?」


「あんたはどのポジションからものを言ってるのよ」


「いいか。これがわがままで始めたひとり暮らしなら、おまえの乱れた食生活はただの怠惰。同情の余地なんてまるでない。でもこのひとり暮らしは、自分の力じゃどうしようもできない状況に置かれたから、必要に駆られて始めたものだ。もしなんの憂いもなく家に帰れるなら、おまえだって戻っていたはずだ」


「それは……そうだけどさ」


 葉那は口ごもりながらも、俺の言葉を肯定した。


 葉那が置かれた境遇は、痛いほどに気持ちがよくわかる。この思いは、同情ではなく共感からだ。


 なにせ俺は、一度母ちゃんを失った人生を歩んできた。親戚に引き取られた俺は家の中に居場所を見いだせず、その結果陰キャを極め、高校卒業後は堕ちるようにして弱者男性になってしまった。


 今だからわかる。子供にとって、素直に甘えられる大人がどれだけ得難く、そして偉大であるか。大人の負担を考えず、伸び伸びとできる環境はどれだけありたがいものなのか。


 運命によって大切なものを奪われ、伸び伸びできる環境を失った俺の境遇は、まさに葉那に重なるのだ。ある日男としての人生を奪われ、親元に戻れずにいるその環境は、葉那が送れたであろう健全な人生を大きく歪めてしまっている。


 葉那が少しでも健全な生活を送れる道があるのなら、親友として手を貸してやりたいと思ったのだ。


「いいか、葉那。子供が背伸びをしているのと、背伸びを求められるのは別物だ。おまえは間違いなく後者だからな。大変そうだからって理由で、大人から伸ばされた手を払う必要はないんだぞ」


 ポン、と葉那の肩に手を置いた。


「それに、子供の頃に子供らしくいられないのは寂しいからな。子供は子供らしく、大人に苦労をさせてやるのもひとつの役目だぞ」


「もう一度聞くわ。あんたはどのポジションからものを言ってるのよ」


「うーん、人生の先達者かな?」


「たった二日早く生まれただけで、よくそんな高みから大人ぶれるわね。ここまでくると感心するわ」


 呆れるべきか称賛すべきなのか、葉那は迷うような顔をした。


 俺が二度目の人生を送っているのを知っている母ちゃんは、なんともいえない表情をしている。


「ま、でも愛彦の言っていることは、全部そのとおりだよ」


「え?」


「子供の背伸びが、大人への憧れや挑戦だったりするのはいい。でもその理由が『負担になりたくない』ってことほど、大人に取ってやるせないことはないからね。正直、このまま酷い食生活を続けている葉那ちゃんを、黙って見ていることしかできないほうが、おばさん的には負担だね」


「おばさん……」


「これからは夜だけでもいいから、ちゃんとうちで食べてきな。いいね?」


「はい。お言葉に甘えさせてもらいます」


 葉那は面映そうに頬をかきながら、母ちゃんの提案を受け入れた。


「あ、そうだ。食費はいくらくら――」


「そういうのはお母さんと相談しとくから気にしないでいいから。元々ね、葉那ちゃんの食生活については、『あの子は料理をしてこなかったから心配だ』って話は聞いていたんだよ。やってこなかったなりに、自炊に挑戦してるようなら見守るつもりだったけど……」


「結果はご覧の有様。こりゃもう、見守ってる場合じゃねーな」


 俺がそう言うと、母ちゃんは力強く頷いた。

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