19 まるで変わらなかった

「さて」


 場を仕切り直すように、葉那はパンと手を叩いた。


「私の事情はそういうわけだけど……ヒコのことは大目に見てあげて」


「大目にっていうのは?」


 百合は思い当たるふしのない不思議そうな顔をする。


「私の好きは、普通の同性愛とは違う、女の身体に男が取り憑いたようなものだから。そんなのが女のふりして側にいるのは、やっぱり気持ち悪いじゃない。それをわかった上で私を紹介したヒコだけは許してあげてね」


 叩いた手を合わせたままの葉那は、そのまま謝辞を述べていた。自分のことは悪しざまに扱ってくれても構わないから、せめて俺の容赦だけを懇願しているのだ。


 葉那は客観的に、自分のことを見えている。どれだけ男にとって垂涎の美少女であるかはもちろん、その身の上が世間に晒されたとき、どのような目が自分を襲うのかもだ。


 同性愛者ですら迫害を恐れる世の中だ。性欲の根源が男と同じ存在が女の領域にいるなど、認める認めない以前に、許したくないのが物言わぬ多数派サイレントマジョリティーである。


 正体が露わになった今、葉那は自分が迫害されて当然な存在だと、暗に言っているのだ。


「もう、ダメですよ、葉那」


 安易に行動する子供をたしなめるような声があがる。


「折角できたわたしのお友達を、気持ち悪いだなんて言ったら」


 百合は優しい微笑みを浮かべた。どれだけ自虐的な言葉を吐こうとも、それらすべてを許さぬ力強さが宿っている。


「そうそう。好きでそうしているわけじゃないんだから。そうやって自分を卑下するのはよくないよ」


 里梨もまた、微笑みを葉那へ向けていた。まるで下向きな心が、つい上を向いてしまうような陽だまりの暖かさがある。


 そんなふたりの顔を、葉那は何度も往復させる。どれだけふたりの心根が素晴らしいものであっても、これは当たり前の容認ではない。かといって、可哀想な境遇に手を差し伸ばされた哀れみでもない。


 短い時間であっても、そこにはたしかな交流があった。


 廣場花雅はなという人間だからこそ、ふたりは受け入れたのだ。


 そんな彼女たちの人柄を、改めて知った葉那は尊敬を笑みで示した。


「ふたりの器の大きさに感服したわ。ありがとう」


「だろ? なにせふたりは、俺の推しだからな」


「あんたはどのポジションから偉そうにしてるのよ」


 葉那から感動を無下にされたような、呆れた目を向けられる。


 百合と里梨はそれが面白かったのかくすくすと笑った。先に笑い終えた里梨が口を開いた。


「でも十四年も男の子をやってきて、二年もかからずそれでしょ? 仕上がり具合凄くない?」


 仕上がり具合とは、葉那の女っぷりを指してのことだろう。


「どこで女を学んできたの?」


「お嬢様学校よ」


「え、百合が通ってたみたいな?」


「百合はたしか、家から通学したんだっけ?」


「はい、車で送り迎えして貰いながら通ってました」


「なら、うちはもっと濃いわね。なにせ全寮制だったから、外に求められないはけ口は、全部内側に向いちゃってさ。長年に渡り煮詰めて拗らせた欲を、文化や伝統って呼んじゃってるのよ」


「たとえば?」


 と里梨が問う。


「一番は恋愛観ね。憧れの先輩のことを、みんなお姉様お姉様って呼んで、盛り上がるのよ。お姉様側はそんな子たちからひとり選んで、姉妹関係をみたいなものを結んでね。隠れてちゅっちゅしてるなんて、珍しくもなんともなかったわ」


「うわー……凄い世界だね」


 興味深い目を里梨は浮かべた。


「ま、かくいう私も、葉那お姉様ーって呼んで懐いてくる子がひとりいたんだけど」


「も、もしかして葉那は、その子と……?」


 パッと恥じるように百合は顔を覆った。でも興味津々の様子で、指の間から葉那を見ている。


「ヒコじゃないんだし、手は出してないわよ」


「なぜさらっと俺をディスる」


「だって百合の後輩版のような美少女よ? それが愛彦お兄様ー、って懐いてくることを考えてみなさい」


「秒だな。なぜおまえが手を出さなかったのか、不思議なくらいだ」


「ま、私の好みが年上だから。なにより……あの頃は自分のことでいっぱいいっぱいだったし」


 変な強がりを見せずに葉那は苦笑した。


 百合も里梨も、その意味はすぐにわかったのだろう。


「大変だったんですね……」


「戻って来る決心をするだけでも、きっと悩んだんだよね」


「ええ」


 葉那はゆっくりと頷いた。


「私が生まれた家、育った地域ばしょ、縁を育んだ人たち。みんななにも変わってない。変わったのは私ひとりだけなのに、自分を取り巻く世界は別物になっちゃったから。帰ってきたところで、同じ世界は残ってないの。……でもね、やっぱりずっと帰りたかった。帰ってきたらまた前みたいに暮らせるんじゃないかって、夢を見ちゃったのよね」


 そんな夢を見た自分を、葉那は自虐するように笑う。


「でもいざ帰ってみたら、やっぱり現実は厳しくてね。家族の変わってしまった自分を受け入れよう、傷つけないようにしようって態度が、どこか腫れ物を扱うように感じちゃってね。向こうはそういうつもりじゃないし、仕方ないことなのはわかるけど、家族でこれだから……前と変わらずなんてやっぱり無理だったんだって、結構へこんだわね」


 内容の重たさに反して、どこか調子外れに聞こえるその声音。この先を聞かなければきっと、虚勢を張っているように見えたかもしれないだろう。


「だから、ヒコがなにも変わらず扱ってくれたことが、本当に嬉しかったわ」


「愛彦くん、そんなに変わらなかったんですか?」


 喜びが移ったように、百合は笑っている。


「全部話しても、まったく態度が変わらないのよ。ここまで変わらず私の相手ができるのかって、びっくりしたわよ」


「特になにが変わらなかったの?」


 里梨がおかしそうに問いかける。


「男同士の下ネタね。生理が苦しいって話をしてたら、種を出すのはあんなに気持ちいのにな、とかぶっこんでくるんだもん。あのときは死ぬほど爆笑したわ」


「……愛彦くん」


「……サイテー」


 推しふたりの瞳が、今までで一番軽蔑の色を濃く宿していた。


 すかさず葉那の頬を、持ち上げるように掴んだ。


「絶対女子の前でやるんじゃねーぞって言った本人が、どういうことだ?」


「ごふぉへぇん、ごふぉへぇん」


「ごめんで済むなら警察はいらねーんだよ!」


 力を入れると、声にならない声が上がる。俺の腕を何度もタップしながら、葉那は許しを乞うてくる。


「いたた……まったく、可愛い顔に傷ついたらどうするつもりよ」


「その前に、俺の傷ついた名誉をどうしてくれる」


「ごめーんね」


 いつものごとく、葉那は華麗にテヘペロを決めた。


 なおも軽蔑の色が薄まらぬふたりに、葉那は顔を向けた。


「ま、男同士なんてこんなもんよ? そんな目でヒコを見ないであげて」


「男同士っていうけどさ……いくらなんでも、酷くない? もうちょっと、葉那の身体のことにデリカシーを持つべきだと思うな」


「あの頃の私はね、そういうのが一番嫌だったの。ヒコは私の身体のことをからかったり、辱めるつもりもない。廣場花雅だったら絶対爆笑するなってネタを、遠慮なしに振ってくれただけだから」


「そんなにそれが嬉しかったんだ」


「うん。私の身体がどれだけ変わっても、ヒコはまるで変わらなかった。ヒコはこのくらいじゃ変わらないんだって、それがなによりも嬉しかったわ」


 その喜びが漏れ出したように、葉那はくすりと笑った。


 あれだけふたりに浮かんでいた軽蔑は、あっさりと色を消した。あくまであの酷い下ネタは、自分たちで笑い合うための道具だったと昇華してくれたのだ。でもそんな下ネタを思いつく人間だという認識は、これから一生消えないだろう。


「でもまあ」


 ふと葉那は、思い出し笑いをするようにニヤニヤとした。


「ヒコの場合は、まるで変わらなすぎたのが問題だったわね」


 百合と里梨は一体なんのことかと不思議そうな顔をする。


 それがなにを示しているのかはすぐに察した。


 中学時代と同じ末路をたどった、エロ神様の話をしているのだ。


 どこで道を踏み外したのかは今でも覚えている。


 入学式の次の日、俺は懲りずに美人教師リリスを求める道を選んでしまった。それがすべての間違いだった。

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