18 世界ランクを上げようだなんて思わなきゃよかった

 滔々と葉那は身の上に起きた事情を説明した。


 感情が込められていないその様相は、一定して客観的な話しぶりだった。こうなったのは仕方ないことであり、誰のせいでもない。不幸な事故のようなものであり、誰かの責めに帰すべき事由はないと示すかのようだった。


 それは決して、自分が女の世界に身を置く正当化ではない。かつて、裏で泣いていたとは知らぬまま、八つ当たりで散々傷つけてきた相手がいた。その未熟さを反省した、戒めからくるものだ。


「以上が、私の正体の説明よ」


 最後はそうおどけるように、葉那は締めくくった。


 説明を受けていた百合と里梨は、ジッと傾聴の姿勢を保ったままだ。呆然と見開いた目を最初にパチパチと瞬かせたのは、里梨のほうだった。


「ねえ、葉那」


「なに?」


 泰然とした態度で葉那は応じた。


 葉那には自分は本物の女ではないと自覚と自負がある。だからこそ本当は男であることを隠していたかのような後ろめたさが、ふたりへあるのだ。それを騙すつもりはなかった、仕方ないと正当化するつもりもなかった。


 これからどんな暴言を投げられ、軽蔑を向けられようとも、それは里梨おんなの正当の権利として受け止めるつもりなのだ。


 見ているこっちのほうがハラハラとしながら見守っている、


「いくらなんでも、隙がありすぎるんじゃない?」


 里梨のイタズラっぽい含み笑いに、つい肩透かしを食らった。張り詰めていた空気が、それだけで霧散したように明るくなる。


 さすがの葉那も、これにはなんのことかと目を瞬かせた。


「隙があるって……どういうこと?」


「この写真を持ってきてるからわかると思うけど、この廣場花雅くんが葉那なんじゃないかって、ちょっと前から考えてたんだ」


「なんで……って、そうだったわね。ヒコが前に、私たちがずっと同じクラスだって、口を滑らしたんだっけ」


 横目で見てくる葉那に、俺は苦虫を口に放り込まれた顔をする。


「あれは仕方ないだろ。まさか里梨が同じ小学校、それもクラスメイトだったなんて、夢にも思わなかったんだ」


「里梨が可哀想ー」


「うんうん、もっと言ってやってー」


 葉那を味方につけた里梨はヤジを飛ばす。


 味方はいないのかと視線を彷徨わせると、百合と目があった。くすりと笑うと「里梨が可哀想です」とおかしそうに言い出すものだから、完全に四面楚歌に立たされた。


 完全降伏を示すべく、白旗の代わりに両手を上げた。


 里梨は満足そうにうんうんと頷くと、写真を手に取った。


「先週、今日の約束をしたときさ、ふと思い出したんだ。小四のとき葉那がクラスメイトだったらしいって話。だから葉那を探してみたんだけど、まさに百合みたいな探しかたしてたから、まったく見つからなくて。どれが葉那だーって十分くらい悩んでたら、ふとこの子が目に入ったの」


 指でこそ示していないが、その目が廣場少年に落ちているのはわかった。


「あ、これが葉那だって、すぐにピンときたね。まさか男の子に混ざってたなんて、ってなんとなく後ろを見たら葉那の名前がないんだ」


 ひっくり返した写真を、里梨は卓上に置いた。


 写真の裏には、女の子らしい字で沢山の人名が書かれていた。当時のクラスメイトたちの名前だろう。


 ふと、右に目を移す。


「あぁ……ああああ……!」


 ソファーの背もたれに身を投げ出すと、目一杯逸らされた顔を両手で覆った。深い後悔の念が、喉から絞り出される。


「あのとき、世界ランクを上げようだなんて思わなきゃよかった……」


「あぁ、これは、あれね……」


 葉那が悟ったように、同情の音を漏らす。


 みんなの名前が名簿のように左寄せで書かれている一方、右半分を占領している傘マークの下に、ふたりの名前がでかでかと書かれていた。


 左には守純愛彦、右には上透里梨。


 これがどういう意味を示すのか、口にするのも野暮なこと。なにせ傘マークの天辺には、ハートが乗っかっている。


「お互い残念だったねー」


 里梨はニヤニヤとしながら、からかうように言ってくる。これを見られてなお恥ずかしげのない様は、俺への想いはとっくに昇華したと示すようでもあった。


 あっさりと相合い傘を里梨は流しながら、


「ここには葉那の名前は載ってない。でも、廣場って苗字はたしかにあった」


「これが男の子のときの名前……半分、残したんですね」


「うん。いざ変えるってなったとき、意外と愛着あるんだなって思ってね」


 どこか噛みしめるように口にする百合に、葉那はしみじみと言った。


「最初はこの花雅くんが葉那の親戚なのかなって思ったけど、マナヒーは同じクラスだってハッキリ言ってたし。でも同一人物とするには、名前も性別も違うし……どういうことだろうって、色んな可能性をずっと考えてたの」


 里梨はわざとらしい、不思議そうな顔を取り繕う。


「聞いていいことなのか、聞いてほしくないことなのか。とりあえずは保留にしてたんだけど……この子は葉那だって証拠を、さっき見ちゃったんだ」


「証拠?」


 思い当たる節がないと、葉那は首を傾げる。そんな葉那を見て、里梨はニヤっと口端を上げた。


「ヒメちゃん、誰宛てにサインを書いてくれたんだっけ?」


「あー……」


 自分の失敗をようやく知り、葉那は頭を押さえた。


 天河ヒメのサイン。あれはまだ、俺が葉那のことを男だと信じていた頃に貰ったもの。当然宛名は、男名義である。


 プリを見ていた里梨はなにかを気にしたようにしていた。あのときに目ざとく、名前に気づいたのだろう。


「あれで葉那が、花雅くんであることを確信したね」


「たしかにあれは、言い逃れできない隙だったわね……」


「私だったからよかったけど、これからはもっと気をつけたほうがいいよ」


「了解。次はもっと気をつけるわ……」


 得意げな里梨に対して、葉那は反省したように肩をすぼめた。


 そんな葉那の様子を一通り楽しんだ里梨は、


「ふたりの関係、やっと腑に落ちた」


 同じ微笑であってもスッキリとした感情をそこに浮かんだ。


「たしかにこれは、根っからの女だったら好きにならないなんて嘘な、諦めも妥協もない、男同士の友情だったんだね」


「ああ。それとガッカリも忘れないでくれ」


「女陰陽師の話?」


 俺が付け加えると、里梨はおかしそうに言った。


 すると隣から鼻で笑った音がした。


「あれはどこまでこっちの話に乗ってきてるのか。判別が難しくて長々やってたんだけど、まさか全部信じるとは思わなかったわ。しかも騙される方が悪いとは言わせんぞ、とか怒り始めるし」


「そうだね、そればかりは信じるほうが悪いね」


 踏みにじられた男心を、里梨は仕方なしと切り捨てた。


「陰陽師って……愛彦くん、一体どんな話を信じたんですか?」


「ああ、それがね」


 話に置いていかれていた百合の問いに、葉那は男心をどう踏みにじったのか説明を始めた。


 具体的どう騙されたのかさえ知れば、俺に同情してくれるのではなと思ったのが甘かった。百合はもちろん、里梨も笑いを堪えきれず、お腹を抑える場面すらあった。


 どれだけ騙されたほうが悪いのかと声を上げたところで、信じるほうが悪い流れが覆ることはないだろう。


「それで愛彦くんは、特別な存在の話のとき、どんな心当たりがあったんですか?」


 それどころか百合にすらからかわれる始末であった。


 答えに窮して苦い顔だけを浮かべていると、


「ま、今ならあそこまで信じちゃったのも、わからないでもないわ」


 葉那が納得したような表情をした。


 俺がタイムリープをしていることを知っている葉那だからこそ、女陰陽師に盲目となった理由もわかってくれたようだ。

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