17 男同士は楽でいい

 見た目はこんなにも変わってしまったが、目を瞑ればそこにいるのはマサ以外何者でもない。いなくなってから二年も経っていないのに、こんな風にやり取りできることに懐かしさを覚えてしまった。


「そうやって喋ると、やっぱりおまえはマサだな」


「おっと……いけないいけない」


「別にいけなくないだろ。ふたりでこうしてるときくらい、その喋り方を止めたらどうだ?」


「そういうわけにはいかないの」


 卓上から顔を上げると、マサは頬を軽く叩いた。そのままぐるぐると表情筋を揉み込んでいる。爆笑で剥がれば美少女の皮を、作り直す儀式のようだ。


「相手を選んで器用に切り替えられるほど、余裕はないから」


「ボロが出て、化けの皮が剥がれる懸念があるってことか」


「ちょっと言葉が乱暴になったくらいで、さすがに元男だと気づかれないとは思うけど……念には念を入れてね。なにせまだ、女を始めて二年も経ってないから」


 マサは居住まいを正しながらソファーに腰掛けた。


「設定は、マサの親戚ってことでいいのか?」


「うん。地元は飛行機の距離だから、こっちの廣場家の人たちに、保護者代わりをお願いしているって設定。実際戸籍上で変わったのは、私の名前と性別くらいよ」


「名前も……って、そうか。そりゃ変わるよな」


 花雅は男の名前だ。そのままではいかなかったのだ。


「今の私は廣場花雅じゃなくて、廣場葉那よ。これからはマサじゃなくて、葉那って呼んでちょうだい」


「半分残したのか」


「十四年も使ってきた名前って、思ってた以上に愛着が湧くものね。全部は捨て切れたかったわ」


「漢字は?」


「葉っぱの葉に、那覇の那よ」


「ナハ?」


「沖縄」


「ああ、刹那の那な」


 得心しながら頷いた。


 確認すべき必要事項を頭に浮かべ、それを問う。


「マサ――じゃなくて葉那の事情を知ってるのは、周りにどのくらいいる?」


「生活範囲内なら、うちの家族と学園長……あとはおばさんくらいね」


「……待て」


 指を折りながら数えていく葉那は、さらっと聞き逃がせないことを言い出した。


「母ちゃんが俺を先に帰したのは、そのことに関係するのか?」


「私、あのとき門のすぐ裏にいたからね」


「……いつから母ちゃんは知ってたんだ?」


「私がこのマンションに越してきた、十日前にはもう知ってたわよ」


「越しっ、十日!? そんな情報同時に出すな混乱する!」


 頭を押さえながら、もう片手を葉那に向けて待ったをかける。


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、先に処理すべき情報を選別する。


「十日も前に帰ってきてるなら、なんでもっと早く顔を見せなかった。しかも母ちゃんにだけ教えやがって」


「入学式といったら、やっぱり出会いの季節じゃない。本来無縁のはずの可愛い子に『私のこと覚えてる?』っていうドッキリを仕掛けたくて」


「理由がくだらなすぎる……」


「一世一代を賭けたネタだったのに。まさかくだらない妄想のせいで、出鼻をくじかれるとは思わなかったわ」


 葉那は悔しさを眉間に寄せ、「あーあ」と口ずさんでいる。


 こんなくだらないドッキリのために、母ちゃんに十日も遅れを取った。その事実は怒りの前に口惜しさが先に湧いてくる。もっと早く知ることができれば、有意義な春休みになったかもしれないのに。


 それを今更ぐちぐち言っても仕方ない。肩を落としながら次の情報を処理した。


「近所に実家があるのに、わざわざこのマンションに越してきたっていうのはどういうわけだ? 建前なんて、親戚の家から通ってるの一言で済む話だろ」


「廣場花雅を知ってる人なんて、近所にはいくらでもいるからね。疑いの種は、なるべき撒きたくないの」


 葉那は絡めた両手を返して、前方に向かって伸びをした。


「かといって離れた場所に住むのもあれだからね。話し合いの結果、このくらいの距離で落ち着いたのよ」


「それでひとり暮らしってわけか。大変だな」


「そこは全然。厳しい学校の寮暮らしから開放されて、楽しいったらないわ」


 どうやらここから離れていた間は、寮暮らしをしていたようだ。


 いなくなっていた間、どこでなにをしていたのか。どうやって女を身につけてきたのか、聞きたいことは山程ある。でも、それは今すぐでなくてもいい。本人の口から聞く時間は、これからいくらでもあるのだから。


「それにしても、よく話してくれたな」


 だから今は、ただ思ったことが口に出た。


「他人以上に、花雅じぶんを知る相手にこそ、知られたくない話だろうに」


「……まあね」


 葉那は苦笑を浮かべた。


「男女関わらず、友達なんていくらでも作れる自信はあるけどさ。でも、新しい同性の友達はもう作ることはできないから。せめてひとりくらいはいないと、この先息が詰まるじゃない」


 わかるでしょ、とその瞳は告げていた。


 もちろん、葉那が言いたいことはよくわかった。


 葉那の外見とコミュ力を駆使すれば、自負している通り友達作りには困らない。スクールカーストの一軍に上り詰め、男女問わず人気者の地位になれるだろう。でも、真の同性の友達を作ることだけは叶わない。


 今の葉那は身体も戸籍も、たしかに女に変わってしまった。でも十四年もの間、廣場花雅として築いてきた精神性までもが、根本的に変わったわけではない。葉那が女へ向ける好きは、同性愛ではなく異性愛である。だからどれだけ向こうから女の子として扱われても、葉那にとって女は異性なのである。


 一方、葉那が社会的に女である以上、男は異性として認識してくる。どこまでいっても、築けるのは男女の友情だ。むしろこんな美少女が男同士の距離感で接してこようものなら、好きになっちゃうのは自明の理である。きっと葉那の身の上を知ったところで、男同士の友情をそこから築くのは難しいだろう。


 葉那は自意識過剰ではなく、自分の容姿がどれだけ優れているか認識している。そして男として生きてきたからこそ、男の気持ちもよくわかっているのだ。


 精神的な意味合いでの、同性の友達を新しく作ることはもう叶わない。でも男同士だからこそのノリや気楽さも捨てきれない。そうなると過去に作ったものを捨てずに、向き合っていくしかないのだ。


「学校は違うけど、棚瀬たちはどうなんだ? 『廣場はどうしてるかわかるか?』ってよく聞いてくるくらいには、ずっと心配していたぞ」


 棚瀬たちは中学時代の、マサの仲良しグループである。


 中学時代の俺はヤバい奴認定されたばかりに、話しかけただけでも呪われるかのような扱いを受けていた。それでも棚瀬たちだけは、人目を盗むようにして、マサのことを聞いてきた。俺と接触するはめになってでも、マサのことを気にかけずにはいられなかったのだ。


 元々棚瀬たちが俺に悪感情を抱いていたわけではない。あくまで接触による村八分を恐れていたのだ。その恐れを未熟だと怒る気も笑う気も、俺にはなかった。棚瀬たちのことは素直にいい奴等だったと思う。


「棚瀬たちか……会いたいけど、やっぱり無理ね」


 葉那は困ったように眉尻を下げた。


「棚瀬たちのことを信用していないわけじゃないのよ。ただこんな美少女を前にして、ヒコみたいな受け止め方はできないと思うから。変にギクシャクしちゃうくらいなら、最初から伝えないほうがお互いのためかなって」


「ま、こんな巨乳美少女になっちまったからな。あいつらはキョドりそうって小者扱いするのは、さすがに可哀想だもんな」


「そこはヒコが大物すぎるだけよ。疑惑の段階で、下ネタを振られるとは思わなかったわ」


「マサであることを確認する試金石には、あれが手っ取り早いからな」


「それにしても、この可愛い顔相手によくやるわね」


「どれだけ可愛い顔をしていても、マサはマサだしな。小粋なトークに、セクハラかもって気にするのは野暮ってもんだろ」


「違いないわ」


 葉那はおかしそうに微笑を零した。


「やっぱり男同士は楽でいいわね」


「まったくだ。話してくれる同年代がいるのは、それだけで貴重だ」


「ヒコはあれだからね……高校からは気をつけなさいよ」


「前回の敗因は、友達作りをグイグイいきすぎたところにあるからな。その反省を生かして、今度こそスクールカーストの一軍に上り詰めてやる」


「スクールカースト? なにそれ」


「ああ、スクールカーストっていうのはな」


 そんなしょうもない話がダラダラと始まった。


 もっと先に言わなければいけないことや、聞かなきゃいけないことはあるような気もするが、そこは男同士である。


 これからのふたりの関係を、改めましてよろしくおねがいしますなんて必要ない。なにせ男同士の間には、照れくさいものはあまり挟みたくないのだから。どれだけくだらない話であろうと一年半以上も空いた時間を埋めるのは、言葉を重ねるほうが手っ取り早い。


 死んでいたと信じていた友の会話は、あまりにも楽しくて、嬉しくて……いざベッドに入ったとき実感が湧いてきて。


 生きててよかったと気づけば涙していたのである。


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