16 ならいいか

「そもそも一緒にプールも風呂も入ってきたし、並んで立ちションだって散々してきたじゃない。付いてるのを見たことあるくせに、生まれたときから女だったってなんで疑わないのよ」


「陰陽師なんだし、そのくらい九字でも切ってりゃ生やせるだろ」


「あんたは陰陽師をなんだと思ってるのよ……」


 マサは腕組しながら眉をひそめた。


「いい、ヒコ。私の今の姿に、オカルトは一切関係ない。あんたが相手してきた廣場花雅は、戸籍上男だったのも嘘じゃないわ」


「となると今の姿は……女装か」


「なんでそう……考えるのは仕方ないか。でもこんな姿で入学した理由ってなによ?」


「質問を三つだけさせてくれ。答えは『はい』か『いいえ』でいい」


「どうぞ」


「まずはひとつ。廣場花雅はずっと、身体と心の性差に疑問を覚えていたか?」


「いいえ。心も身体も、根っからの男だったわ」


「ふたつめ。廣場花雅の心は男のままだが、女装に目覚めてしまったか?」


「いいえ。女装に目覚めてこんな格好をしているわけじゃないわ」


「最後の質問だ。本当は男として、百合ヶ峰に通いたかったか?」


「はい。普通に男として通って、先輩彼女を作りたかったわ」


「そうか……やっぱりそういうことか。まあ、それ以外ないよな」


「……もしかして、今の質問で全部わかったの。言っとくけど私が置かれた状況は、普通の人が聞いたこともないケースよ」


「おまえのような境遇に陥った子は、一度見たことあるからな」


 息を飲んで、マサは目を丸くした。同じような境遇の人間が、俺の目の届く範囲にいるなんて思わなかった驚きだ。


 俺はもったいぶることなく言った。


「祖父の遺言だろ?」


「……は?」


「マサが百合ヶ峰に通うのが、生前からの祖父たっての願い。だから断る余儀なく女装して、百合ヶ峰に入学することになったわけだ。どうだ、細かいところはともかく、大体会ってるだろ?」


 唖然の二文字が瞳に浮かんでいた。見事に真相を見抜かれて驚いているのだろう。


 ため息をつくと、マサはどこか投げやりの様子で、


「そうだとしたらどうする?」


「おまえがエルダー候補に選ばれたときは、全力で応援する」


「なによエルダーって」


「しかし女装のクオリティが凄いな。顔のよさは元々だとして、そこまで綺麗に盛れるもんなのか?」


 軽く顎を引いて、視線を落とす。


 女性の豊かさを象徴する、たたわな果実。百合ヶ峰の中にもこれより大きいのはいくらで実っているだろうが、マサは高校一年生、それもまだ四月である。そこまで立派なものを装着するなんて、少し盛りすぎではないかと思わないでもない。


 ふいにマサがこちらに近寄ってきた。


「手」


「ん?」


 手を差し出してきたので、とりあえずこちらも差し出してみる。腕を掴まれ軽く引っ張られたと思った瞬間、手のひらは未知の感覚に包まれた。


 ワイシャツの滑らかな手触り。薄い生地一枚を通じて、男には不要の下着の形が伝わってくる。そして手に合わせて形を変えていく柔らかな触感の中には、たしかに人肌のぬくもりが存在していた。


 初めて手にする感覚は、これは偽物つくりものではないと直感した。


 五秒ほどそうしていたか。離された腕は、惜しむように宙へととどまり続けた。まだこの手には、柔からかな感触と体温が留まっている。


「覚えておきなさい。これが天然物のEよ」


「Eだって……!?」


 初めて母性を感じた手を、親指からABCと数えながら折っていく。


「おいおい、全部指を使っちまったよ」


「片手で足りなくなるのも時間の問題ね」


「マジかよ、とんでもねーな」


 得意げに語るマサに、俺は感動以上の衝撃に震えていた。


 いくら本物の証明を示すためとはいえ、年頃の娘が胸を触らせるなんて。恥じらいがないどころか、特技をひけらかすような有り様だ。


 こいつ女として終わってんな。


 やっぱりこいつはマサなんだと確信を深めるも、解消できない矛盾があるのもまた事実だ。


 プールの着替えや風呂、そして立ちションなどで、マサが象さんを宿しているのは目にしたことがある。さすがにじっくり観察したことはないが、マサが自らのホースを操り、蟻の巣を水攻めしていたのだって記憶には残っている。


 一方、初めて手にしたたわわの果実が、偽物つくりものではないのは疑いようのない事実だ。天然もののEはたしかにそこに実っていた。


 上はたたわの果実。下は象さん。これなーんだ?


 これがエロ同人だったら簡単な問題だが、現実となると答えに窮する。オカルトありなら九字を切ったで解決するが、その手のものはなしときた。


「で、結局その姿はどういうことなんだ」


 ギブアップをして、解答を求める。


「一体どんな問題をおまえは抱えていたんだ? 倒れて運ばれたことは、それに関係があるのか?」


「問題を抱えていたっていうよりは、運ばれた先で問題が明らかになったっていうのが正しいわね」


「明らかになった?」


「そ。別に私は、女であることを隠していたつもりも、男だと偽ってヒコたちを騙していたつもりもないの」


 葉那はそう言うと、ソファーの肘置きに腰掛けた。


「父さんやフミも、産みの親たる母さん。そして私もずっと廣場花雅は男だと信じていたわ。でも病院に運ばれたあの日、おまえの本当の性別は女だって言われちゃったのよ」


「は?」


 あっさりととんでもないことを告げられ面食らった。


 不真面目な様相こそないが、深刻さの欠片もない。嘘は口にしていないと信じることはできるが、これが真実だと受け入れるのも難しかった。


 戸惑いながら、しどろもどろになりながら言葉を探す。


「いや、でも……生えてただろ?」


「ねえ、ヒコ。世の中には指の数が、普通より多く生えて生まれてくる人たちがいるじゃない」


「拝んだことはないが、いるらしいな」


「だったら女として生まれたのに、余計なものが一本多く生えていても不思議じゃないじゃない?」


「いや、その理屈はおかしい」


 こればかりは違うと、ハッキリと断じた。


 今まで象さんがついている美少女たちのことは沢山見てきた。彼女たちが象さんを生やしている理由は、生まれつきだとか、ある日突然生えてきたかとか、不思議な薬や魔法を使われたか。そこに現代の科学的根拠が持ち出されることはないし、それに疑問を思うことなどなかった。異世界転生のステータスオープンと一緒だ。そういう世界観に、ケチをつけるほうが野暮である。


 でもここは現実だ。そんなことがあっても不思議じゃないだろの一言で、そういうものかと納得できる話ではない。


「……おかしい、のか?」


 そしてハッキリ否定できる根拠がないのもまた、事実である。口にしてからおかしいと断じていいのか、自信がなくなってきた。


 なにせ世の中には、ひとつの身体を共有する双生児がいるくらいだ。それと比べれば、たしかにそういう人がいても不思議ではないと思ってしまった。


 俺の渋面がおかしかったのか、マサはくすりと笑った。


「ねえ、子供が生まれたときって、どうやって性別を見分けると思う?」


「そりゃ、ついてるかついてないかだろ」


「そう。私は生物学上女だったはずなのに、ついてたから男だと間違えられちゃったの。そりゃ遺伝子を調べたらわかることだけどさ。本来一目でわかることを一々確認なんてしないでしょ?」


「いや、理屈はわかるが……そんなに気づかないもんなのか?」


「ついてるものの形が変だったり、成長過程でおかしいぞってなって、普通は早い段階で気づいたりするらしいんだけど……私は運悪くというか、順調すぎたというか、気づく機会も与えられないまま男としてスクスクと育っちゃったのよ」


「そんなことあるんだな……」


「でもやっぱり、私の身体は女だからね。ついに来るものが来て、気づかざるえないキッカケが訪れたのがあの日よ」


 救急車で運ばれた日のことを指しているのは、言下でわかった。


「なにが来たんだ?」


「女子なら誰もが通る、御赤飯が炊かれちゃうようなこと」


「……マジかよ。作れるのか?」


 驚愕に突き動かされるがまま、合わせていた目を微かに下げた。問題箇所を示すように、マサは腹部を擦っていた。


「一生使わない機能のために、毎月苦しむ羽目になったわ」


「使わないって……いや、そりゃそうだよな。そんな機能、自分にはいらねーよな」


「私の気持ちをわかってくれて嬉しいわ」


 マサは自虐的な笑みを含んだ。


 男として生きてきたマサは、そのアイデンティティはしっかり確立させている。子供を作れるから安心しろと言われても、嬉しいことなどなにひとつない。


「じゃあ、あの腹痛は……」


「ほら、私には余計なものがついてたでしょ? 適切に排出されるルートが、それによって塞がれた結果ね」


「卵でお腹がいっぱい、ってわけか」


「あのときは死ぬかと思ったわ……」


 痛みを思い出したのか、マサは大きなため息をついた。陰陽師の話は嘘だとしても、死ぬかと思ったのは嘘ではなかったようだ。


 ふとあることに気づいてしまった。


 一生使わない機能のために、毎月苦しむ羽目になったと言った。さすがにその度に病院で処理しているとは思えない。つまり……。


 マサの腹部の、更に下に目を向けた。


「じゃあ、今そこには」


「ばっさり切られたわ」


 ヒュン、という感覚に襲われ、たまらず股間を押さえた。


 なんということだ。同じものを持つ男として、同情が禁じ得ない。


「元々、種が作る機能がない、本当に形だけのものだったらしいわ。未練がないって言ったら嘘になるけど、使い物にならない無用な産物。それどころか苦痛をもたらすだけの蓋になるなら、あっても仕方ないからね」


「そんなに酷かったのか?」


「もうあの苦しみは二度と味わいたくないわ。まあ、取ったところで毎月苦しい思いをするのは変わらないんだけど」


「そういうのは薬でどうにかならんのか? 避妊目的にも使われるから、偏見が多い薬なのはわかるが。苦しい思いをするよりはマシだろ」


「なるべく薬には頼りたくないのよね」


 しみじみとマサは言った。


 当の本人がそういうのだから、こちらから強く勧めるわけにはいくまい。


「本当に嫌になったら考えるけど、今はこの苦しみに向き合っていくわ」


「そんなに苦しいのか」


「一瞬じゃなくて、四六時中続くものだからね。卵を出すのは苦しいのよ」


 マサは投げやりな態度でそう言うと、コーラに手を伸ばす。


「そうか……種を出すのはあんなに気持ちいいのに。女は大変だな」


「ぶっ!」


 グシャッ、とアルミがへこむ音がした。マサが掴んだコーラの缶が、卓上で握りつぶされている。ほとんど飲んでいたのか、中身が一滴もこぼれていない。


「ぐっ……ふふっ。そういう不意打ちはマジ止めろよ。飲んでたら危なかったぞ」


 マサはそのまま伏せった卓上を、バンバンと叩いている。


 どうやら笑いのツボを突いてしまったようだ。余裕がないのか声音も喋り方も、いつものマサに戻ってしまった。


「おまえな……そのネタ、絶対女子の前でやるんじゃねーぞ」


「俺だってバカじゃない。無闇にこんなネタ披露しようもんなら、中学と同じ末路をたどることくらいちゃんとわかってる」


「本当にわかってるのか?」


「わかってるから、相手を選んで言ってるんだろ」


「……ならいいか」


 言葉を噛みしめるようにマサは呟いた。

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