15 陰陽師

「陰陽師って……あの九字切りしたり、式神を使役して悪霊退散する?」


「他にも占星術や結界術、呪術などを専門にして身を立てている家もあるけど、廣場家はそのイメージで間違いないわ」


あやかし退治の専門家か」


 陰陽師については、多少の専門用語は注釈なしでイメージができる。なにせこれまで、沢山の書物まんが映像文献アニメに目を通してきたのだ。否応無しでも陰陽師がどういう存在であるか、知らざるえなかった。


 本物の陰陽師が存在していたことに、それも目の前にいることにワクワクしてきた。聞きたいことなんて山のようにある。


 でも今詳しく知るべきは、陰陽師とはなんぞやについてではない。


「ちなみにだが、陰陽師は男尊女卑が酷かったりするのか?」


「家によるはね。封建的な家のおぼっちゃんたちは、女ってだけでこっちを侮ってくるけど……基本的に現代の陰陽師は実力社会だから。力さえあれば、どれだけ認めたくなくても、侮れない存在だって示すのは難しくないわ」


「ほう、現代の陰陽師は男女平等なのか」


「その辺については、今の日本企業よりよっぽど進んでると思うわよ。今晴明と呼ばれるハルちゃんだって、立派に安倍家を取り仕切ってるし。今どき女が当主なんて珍しくもないわ」


 今孔明のような扱いで、さらっと安倍晴明一族の当主が女だと告げられた。それだけで驚くべきことなのに、さらっとその当主をハルちゃん呼びしているこいつは、一体どれほどの存在なのか。


 ワクワク感が止まらない。でも気になる端から一々説明を求めていたら、日が暮れるどころか話が今日中に終わる気がしない。


 まずは一番大事な本筋を終わらさなければ。


「ちなみに廣場家の次期当主は、やっぱりおまえなのか?」


「廣場家は長女の時点で当主候補から外されるから。跡継ぎはフミの仕事よ」


「男尊女卑……が受け継がれてる家族ではないよな」


「うちはむしろ女のほうが強い家系ね。今の当主だって母さんだし」


「たしかおばさん、末っ子だっけ?」


「そ、次女の末っ子」


「つまりおまえが女であることを隠して、男だと偽ざるえない理由がそこにあるわけか」


「……ほんと、ヒコって鋭いわね」


 マサはハッと息を飲み、すぐに苦笑を漏らす。そっと手元のコーラに目を落とした。


「廣場家はその昔、朝廷の命を受けて、土地を蝕むあやかしに挑むことになったの。家のものはもちろん分家まで総動員して、三日三晩かけてようやく調伏できたのはいいんだけど……最後の最後に『おまえの家系の長女は末代まで呪ってやる』って怨念を、廣場家は買ってしまったのよ」


「だから最初からおまえは、後継ぎ候補から外されて……」


「うん。そして私は呪いを誤魔化すため、生まれてからずっと男として育てられ、生きることを宿命付けられていた。それでようやく、大人になるまで生き延びられるかは半々。廣場家の長女はね、短命なのよ」


「もしかしてあの日倒れたのは、その呪いで」


「あのときは、私の命もここまでかって……いずれこうなるのはわかってはいたけど、もっと生きたかったなって無念が湧いてきて……現世への未練に溢れている自分が、とにかく怖かった」


「怖かった?」


「現世に強い未練を持った魂は、あやかしになる場合があるのよ。特に強力な力の持ち主からは、大怨霊級のあやかしが生まれるわ。そこに私にかかった呪いが加わると、祟神級になってもおかしくなかったから」


 そのときの恐怖を思い出し、力が入ったのか。コーラの缶からベコッと音した。


 こんな顔を見せるマサなど、一度も見たことがなかった。いつだって男同士、バカみたいな話や下ネタで盛り上がってきた。その裏にいつ訪れるともわからない死の恐怖が同居していたなんて。あれが気丈に振る舞ってきた姿だと思うと、いじらしさを覚えてしまう。


 同時にワクワク感もこの胸に満たされていた。あやかしの脅威はどうやら、ランク付けされているらしい。大怨霊級、祟神級やら、とにかく厨二心がくすぐられる。


 その話を掘り下げたくてたまらない厨二心を抑え込む。お楽しみは本筋を終わらせてから。黙って傾聴の姿勢を続けた。


「生死を彷徨った私が目を覚ましたのは、それから一ヶ月が経ってからのこと。しばらく夢か現かわからず朦朧としていたけど、そのうち自分が生きているって実感が湧いてきたわ」


「峠を乗り越える途中で、呪いを振り切れたのか」


「言いえて妙ね。たしかに私はあの峠で、呪いを振り切ったわ。姿を見失った向こうは、二度と私に追いついてこれないくらいにね」


「追いついてこれない?」


「目が覚めたら、呪いが解けてたのよ」


「呪いが解けただって?」


 あまりの急展開に、ぽかんと口が開いた。


 話を聞く限り、マサにかけられた呪いは解くことの叶わぬ不治の病のようなもの。廣場家は何百年もかけて解呪の術を模索してきたのだろうが、未だやっていることは対処療法程度だ。その呪いがいきなり解けるなんて、一体マサの身になにが起きたのか。


 次のページを捲るのが楽しみでたまらない。そんなワクワク感に満たされていると、マサは頬を綻ばせた。


「ヒコのおかげよ」


「俺のおかげ?」


 思わず首を傾げる。


 一読者にすぎない自分が、おまえもこの物語の登場人物、それも最重要キャラだと告げられたかのような困惑だ。


「ねえ、ヒコ。あなたは自分が他とは違う、特別な存在かもしれないって思ったことはない?」


「特別な存在……か。同年代と比べて普通じゃない自覚はあるが、みんなと比べて俺は特別な存在だ、って恥ずかしげもなく誇ることはできんな」


「みんなより優れているとか、そういうのじゃなくて。もっと超常的な話よ」


「幽霊が視えるとかか?」


「そう、いないはずのものを感じるか、ないはずのものに触れたことがあるとか」


「そういう霊感の類はないな。もちろんこの手のものも撃てたことはない」


 右手で拳銃の構えを作ると、左手でその手首を掴んでマサへと向けた。某霊界探偵の必殺技のポーズである。


「なら、誰にも信じてもらえないよな……それこそ人生が変わるような体験とかは?」


「あ……」


 すぐに思い至った。


 誰にも信じてもらえないような、それこそ人生が変わってしまった体験。タイムリープである。弱者男性として死んだはずの俺は、その記憶だけを抱えて過去へと帰ってきたのだ。


「やっぱり心当たりがあったのね」


「正直、陰陽師のおまえにも信じてもらえないと思う。そのくらい荒唐無稽な話なんだ」


「それはお互い様でしょう? ヒコが私の話を信じてくれると言ってくれたように、ヒコが真面目に話してくれるなら必ず信じるわ。どんなことがあったの?」


「それを話し始めると長くなる。後でいくらでも話すから、先にそっちの話を聞かせてくれ。なんで俺が特別ななにかを経験していると思ったんだ? それがおまえの呪いを解いたことに、なにか関係するのか?」


「ええ。ヒコ、あなたは常人の何百……いいえ、何千倍に匹敵する陽の気を秘めてるの」


「何千倍もの陽の気だって!?」


 驚愕に突き動かされるがまま叫び、陽の気が秘められた身体うつわを見下ろした。


「本当……なのか? 陰の気の間違いじゃないのか?」


「間違いないわ。だって私は、そのおかげで呪いが解けたんだから。呪いは陰の力から生み出されるもの。その側にいるだけであれほどの呪いが解けるなんて、まさに神のごとき陽の気ね。一流の呪術師の呪いでも、近づくだけで吹き飛ぶ力よ」


「俺にそんな力が……」


 自らの強大な力を確認するように、広げた両手を見下ろす。


 まさか弱者男性であり陰キャを極めていた俺に、神のごとき陽の気が宿っているなんて。呪われたような人生を歩んでいたから、言葉を尽くされても正直まだ信じられない気持ちだった。


「そうか……まだ信じられない気持ちだけど、それでおまえの呪いが解けのならそれが一番だ」


「ありがとう。でも……私の呪いを解いてしまったヒコの代償は、やっぱりゼロではなかったの」


「どんな代償を負ったんだ、俺は?」


「封が切れてしまったのよ」


「封ってのが切れると、なにかまずいのか? 身体が力に耐えられなくなるとか、精神に影響を及ぼすとか」


「そういう自壊を招くようなことはないんだけど……ヒコの陽の気がどれほど凄いのか、私たちのような視えるものはもちろん、あやかしにもわかるようになってしまったの。えっと、つまり――」


「神に匹敵する陽の気を喰らわんとしたり利用しようとする、あやかしや悪い奴らに狙われるようになったってわけだな。今の俺はさながら、悪いものを引き寄せる誘蛾灯。ブランドと宝石で着飾った美女がスラム街を歩くようなものか」


「そういうことだけど……飲み込みが早いわね」


 唖然としたように、マサは目を瞬かせる。


 俺は特別な力を持っているばかりに、悪い奴らに狙われる少年少女たちを沢山見てきた。今の俺はまさに、そんな彼らと同じ境遇に立たされたのだ。


 化け物や悪人に狙われると聞かされ、怖くないのかと言われれば嘘になる。なにせ俺はそれらを撃退する術を持たない一般人。痛い目にあうのは嫌に決まっている。


 だけど俺の胸を満たすのは恐怖なんかではない。ワクワクだ!


「私はね、ヒコ」


 コーラをテーブルに置くと、マサは居住まいを正すように立ち上がった。


「そんな奴らからあなたを守るために帰ってきたの。だって私はヒコに助けられたから。今度は私が、ヒコを守るわ」


 どこまでも頼もしい、花咲くような笑顔が向けられた。


 俺が恐怖以上にワクワクが上回ったのは、こうなるとわかっていたからだ。この手の境遇を迎えたものには、いつだって頼もしい異性の守り手がいるのは常識である。


 ずっと男だと信じていた幼馴染が、実は女の子だった。しかも悪い奴らから守ってくれる女陰陽師ときたものだ。異世界転生をして奴隷ハーレムを築きたいと願い続けた俺が、まさかヒロインに守られる系の異能バトルものに身を投じるとは。


 弱者男性としての人生のマイナスを精算してもなお、余裕でおつりがくるプラスであった。


「それとね、ヒコ」


 マサはおずおずと顔色を伺うように、話を切り出してきた。


「あなたの力は月日を重ねると共に増している。大きすぎる力は身を滅ぼすという言葉もあるように、ヒコの身体がそろそろ耐えられなくなってくるのよ。多分十六歳を迎えるタイミングで、力の悪影響が出始めるわ」


「どんな悪影響……かは予想がつくとして。逃れるためにはどうしたらいい? あれか、力を制御できるように、修行をしたらいいのか?」


「もちろんしてもらうつもりではあるけど、それはこれから何年もかけてやることよ。どれだけ強大な力を宿していても、それの扱い方とは無縁の世界で生きてきた一般人にすぎないから。今から修行を始めたところで、制御できる前に耐えられず死んでしまうわ」


「ならどうしたらいいんだ?」


 身を乗り出すように立ち上がると、マサはびくりと一歩引いた。頼もしい笑顔はどこへやら、頬にほんのりと赤みがさしていた。


「陰と陽が性別に当てはめられるのは知っている?」


「ああ。男が陽で女が陰だろ?」


「その性質を利用して、私がヒコの陽の気の受け皿になるわ」


「受け皿?」


「陰陽の基本はバランスよ。そのふたつが重なり合えば、自然に大きい力は小さい方へと流れていくようにできているから」


「理屈はわかるが……ふたつが重なりあえばって、具体的にはなにをすればいいんだ?」


「えっと、それは……また、そのときに説明するから」


「そうか」


 マサは顔を伏せ、絡めた手をもじもじさせている。今にも湯気が上がりそうなほどに顔が真っ赤だ。


 俺の陽の気の受け皿になってくれると言った少女が、その方法について問われると恥じらいの乙女となった。一体どんな方法で受け皿になってくれるのか、期待が止まらない。これほどワクワクしたことなんてこれまでの人生で一度もなかった。


 本物の男になる日の目処も立ち、期待に胸に高ぶらせていると、


「ヒコ」


「なんだ?」


「今の話、全部嘘よ」


「……嘘?」


 顔を上げるとそこには恥じらいの乙女はいなかった。陰陽師の話を始める更に前の、下ネタの攻防を繰り広げていた友人の顔があった。


 待て待てと示すように、両手を向けた。


「その……待ってくれ。嘘って、もしかして力に身体が耐えられないってことがか。だからおまえが受け皿なる必要がないとか?」


「なんでそれだけ嘘だと思ってるのよ。全部よ全部、全部嘘よ」


「全部嘘って……やっぱりおまえはマサじゃなかったのか!?」


「なんでそこまで遡ってるのよ! 陰陽師のくだりに決まってるでしょ!」


「陰陽師の話が、全部嘘……?」


 足元から崩れ落ちた。椅子の背もたれにしがみつき、なんとか膝立ちで踏みとどまる。


「なにをそんなにショック受けてるのよ。まさか今のバカみたいな話、本気で全部信じたの?」


「バカみたい、だって?」


 呆れた目で見下ろしてくるマサに、食らいつくように立ち上がる。


「俺がどれだけ! どれだけ今の話にワクワクしたと思ってる! ずっと男だと信じていた幼馴染が実は女の子! しかも悪い奴らから守ってくれる女陰陽師だぞ! 異世界転生をして奴隷ハーレムを築きたいと願い続けてきた俺が、まさかヒロインに守られる系異能バトルものデビューかって、どれだけワクワクしたか……陰を極めてきた俺が、神のごとき陽の気を秘めてると言われて、どれだけ嬉しかったと思ってる。あげくの果てに、私が陽の気の受け皿になるだって? どんな風に受け止めてくれるかって、人生で一番ワクワクしたんだからな! こんな欲張りセットみたいなシチュエーション、本当にあるんだって……これだけの希望を与えておいて、嘘の一言ですべて取り上げやがっておまえは悪魔か! 騙されたほうが悪いだなんて、絶対に言わせないぞ!」


「そうね。こればかりは信じるほうが悪いわね」


 悪びれなど一切なく、鼻で笑われた。


「そうそう。自分が特別な存在云々の話をしてたとき、一体どんな心当たりがあったわけ? 笑わないから話してみなさい」


「人の心を弄ぶ悪魔には絶対教えねーよ、バーカバーカ!」


「あんたは小学生か……」


 渾身の罵声も、呆れてものも言えない顔で流された。


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