14 謎の美少女A

「いやー、なにも変わってないわねー」


 勝手知ったる友の家。家のリビングに通すなり、謎の美少女Aはソファーの背もたれにジャケットをかけながら、遠慮なしに深めに座った。


 おまえのほうはすっかり変わったななんて、軽口すら出てこない。髪の色を変えたとか、垢抜けたとか、そんなレベルではないからだ。変わり果てたという言葉すらまだ生ぬるい。


「ありがとー」


 ホストの務めとして、客人に缶コーラを差し出した。謎の美少女Aはそれを受け取るとすぐに飲み始めた。やはりそこに遠慮はなく、その振る舞いは自分たちは気の置けない仲だと示すようだ。


 俺はなんとなくその隣に座るのが憚られ、ダイニングテーブルの椅子を引っ張り出す。謎の美少女A側に背もたれを向け、跨るように椅子へと座った。


 美味しそうにコーラを飲む横顔を、目を凝らしながら観察する。


「なにー、もしかしてこの美貌に見惚れちゃった?」


 視線に気づいた謎の美少女Aは、ニヤニヤとからかうように言う。得意げに後ろ髪を払うような真似までした。


「ま、ヒコの気持ちはよくわかるわ。これほどの美少女、そうそう生で拝めないものね」


「俺はまだ、おまえがマサなのかと疑っている」


 見惚れているのではなく、これは猜疑の目だと訴える。


「はぁ?」


「おまえの扱いは現在、マサの名を騙る謎の美少女Aだ」


「謎の美少女Aが、なんで廣場花雅を騙るのよ」


「俺の興味を惹くためだ。たとえ半信半疑でも、マサの名を出されたら放っておくわけにはいかないからな。実際、こうして家に上げちまった」


「で、その謎の美少女Aは、なんでヒコの興味を惹きたかったわけ?」


「もちろん、俺とお近づきになりたいからだ」


「謎の美少女Aが、ヒコにお近づきになりたい理由は?」


「恋を実らせたかったのさ」


 その妄想おもいを馳せ、微笑ましくてふっと笑った。


「きっと一目惚れだな。まずはお友達から始めようにも、共通の友人も話題もない。かといって、無策で話しかけるのも難しいと感じたんだろう。なにせ中学時代の俺は、誰もが近寄りがたい存在だったからな」


「たしかに中学時代のヒコは、誰も近寄りたくない存在だったわね」


 言葉のニュアンスを変えて、謎の美少女Aは得心する。恋心を寄せる乙女とは思えない辛辣さだ。


「でも、その話は根本的な無理があるわ」


「なに?」


「考えてもみなさい、これほどの美少女よ? 胸だってこんなに大きい。こうして話していてわかるとは思うけど、社交的なほうだと思うわ。こんな子が学校にいたら、人気者間違いなしじゃない」


 息をするように自分を高みへ持ち上げる謎の美少女A。人間、ここまで心驕れるものなのか。七つの大罪のひとつは、間違いなく彼女のためにある。


 でも、謎の美少女Aの言うことはもっともだ。


「たしかにこれほどの陽キャ女子が、周りの目を気にして、声をかけてこないなんて変な話だな。自分で言い出してなんだが、マサの名前を出す必要が感じられん」


「いや、もっと単純な話よ」


「単純?」


「こんな美少女がヒコに一目惚れなんて、無理のある話でしょ」


「俺の部屋を案内させてくれ。折角だから、天井のシミを数えていってもらいたい」


「あら、素敵なお誘い。でも私の知る限りゼロだったと思うんだけど」


「そんなの、数えてみないわからないだろ。ベッドから見上げれば、ひとつくらいは見つかるさ」


「あなたの砲台から発射された弾痕が、天井にでも残されているの? 元気なことでなによりね」


「君が手を貸してくれるなら、もっと元気な姿を見せてあげられるよ」


「手を貸すのは構わないけど、私って注意散漫だからよく言われるのよ。口ばかり動かしてないで、ちゃんと手を動かしなさいって」


「そのときは、しっかり口出しさせてもらう」


「それは嫌ね。なにせ苦い思いはしたくないから」


 ハッハッハ、と俺たちはわざとらしい笑い声を上げた。


 これほど見事な下ネタの攻防、そこらの生娘ができるものではない。下ネタへの正しい理解と耐性、そしてノリがあって初めてなせる技である。


「そもそもさ」


 美少女Aはふっと息を漏らす。


「私の正体をいきなり見抜いてきたのは、そっちのほうじゃない」


「……ん、なんの話だ?」


 訝しむように眉をひそめた。


「俺のことを君付けしないでヒコって呼ぶのは、世界広しといえどマサだけだからな。ヒコって呼ばれてもしやと思っただけで……見抜いた覚えはないぞ」


「でも第一声で『マサか』って言ってきたじゃない」


「え」


「え」


 お互い鏡合わせのように首を傾げる。


 この噛み合わない感じは一体どういうことだろうか。なぜこの謎の美少女Aは、俺がマサだと見抜いたと勘違いしたのか。


「あ」


 合点がいき、ポンっと手を打った。


「違う違う。あのときはこの美少女は何者かって、思索という名の妄想に耽ってしまってな。妄想が都合のいいほうに捗りすぎて、さすがにそれはないなって自制したんだ。それが声に出ただけだ。まさか、ってな」


「がっくし」


 まるで断頭台で処されたように、謎の美少女Aはストンと首を落とす。


「ちょっと感動した自分がバカみたい」


「マサだけに、まさかのマサかだった、ってか」


「バーカ」


 子供みたいに罵声を飛ばしてくる謎の美少女A。いや、もう謎をつける必要はないかもしれない。


「……で、まだ疑うの?」


「いや」


 この短いやり取りで確信した。


「あざやかな下ネタのやり取りで確信した。おまえは間違いなくマサだ」


「確信ポイントがそれなの?」


 どこか腑に落ちない顔をする。


「ま、信じてもらえたならそれでいいわ」


「しかしなんだその変態ぶりは。性的倒錯者以外の意味で、この熟語を使う日が来るとは思わなかったぞ」


 改めてマサの姿を頭頂部から見下ろした。


 かつてのマサは、お姉様受けしそうな中性的な美少年だった。それが今や王道をゆく黒髪ロング巨乳美少女だ。元々の活発的な印象は健在で、アイドルグループでセンターを張っていそうな魅力がある。まさに外見至上主義ルッキズムの神様に愛された、乙女のひとつの理想形だ。


「ま、話をするとややこしい……ううん、まさに荒唐無稽な話になるんだけど。正直、真面目に話して信じてもらえる気はしないわ」


 マサは肩をすくめると、表情を曇らせた。


「実は廣場花雅は女の子でした、だけじゃダメかしら?」


 ダメ元のように、マサは無理矢理の笑顔を取り繕う。


 荒唐無稽の話と言った。信じてもらえなかったときの俺の不信を、もしかしたら恐れているのかもしれない。


「いいから話してみろ」


「でも……本当に、信じられない話だから」


「男だと信じていた友人が実は女だったんだ。普通じゃ信じられない理由があることくらい承知の上だ。俺はおまえの言葉は疑わない」


「ヒコ……」


「超科学でもオカルト的な話でも、必ず信じて聞くからさ。だからまずは、話してみろ」


 柔和な笑みを浮かべてみせると、マサは目を丸くした。次の瞬間には、堪えきれずに微笑みが浮かんでいた。


 周りからどれだけ孤立しようと、いつだってマサだけは俺の側から離れないでいてくれた。だからマサはかけがえのない友人だ。でも、いくら大切だからといって、もう男でもいいやとなるほど俺の性癖は拗れていない。おまえが女だったらよかったのにと本人を前に漏らしたことはあるが、あれは非モテの悲哀が溢れたにすぎない。いくら可愛い顔をしていてようが、友達以上の感情を持つことなんてありえない。


 だが、本当に女であったのなら話は別だ。


 男だと信じていた友人が実は女だった、そんな夢にもまで見たシチュエーションが、手元に転がってきた。そうならざる得なかった理由など、信じる信じない以前に、全肯定したいに決っているではないか。


「ありがとう、ヒコ。私の話、聞いてくれる?」


「ああ」


 憂いをなくしたマサは、微笑を浮かべ、そしてすぐに真面目な顔をした。


「この世界にはね、人のことわりでは説明ができず、未解決のまま残されてしまう多くの謎があるわ。その謎は自然現象や人の手によって加えられたものとは思えない。だからこれは神隠しだ。祟りの仕業だ。狐に憑かれたに違いない。人はそうやって説明のつかない謎を、超常を超常のまま扱ってきた。その中でも災いをもたらす存在を古来より人は、呪い、魔、妖怪、怪異、鬼、とあらゆる名を与え呼んできた。


 私たちはそれらをひとつに纏めて、こう呼んでいるの。あやかし、と」


「私たち?」


「廣場家は代々あやかしの問題を解決してきた専門家。陰陽師の家系なのよ」


 かくして、荒唐無稽な話は始まった。

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