13 久しぶりだな
母ちゃんと一緒に写真を撮ってもらった後、俺はひとりで帰路についていた。
どうやら母ちゃんは、この後おばさんとお茶をする約束をしていたらしい。入学祝いの外食は夜の予定だったので、特に疑問は持たなかった。
「ごめんねヒコくん、ちょっとお母さん借りるわね」
そんな言葉で見送られたのが五分前。ひとり桜並木を行きながら、最寄りの駅を目指していた。
入学式後にも関わらず、百メートル先まで誰もいない。人の声も耳には届かない。
通学路を覆う満開の桜を、独り占めしているかのような錯覚だ。その独占を寂しいと感じ入るか、嬉しいと思うかは難しいところ。大名行列のようにひしめきあうよりよっぽどいいが、隣に誰がいたほうが感動に張り合いがあるだろう。
どんな相手が欲しいか。
『桜、綺麗だね』
『うん。でも君のほうがよっぽど綺麗さ』
『愛彦くん……』
一番候補はこんなやり取りをできる美少女だ。我が青春に今度こそ、そんな色を添えたかった。
そして次にポッと浮かんだのは、
『おい、見たか今の』
『え、なにをだ?』
『今の風で、あの先輩のスカートがふわり。上なんて見なくても、桜色が咲いてたぜ』
『クソ、見逃した……!』
『惜しいことしたな、ヒコ』
こんなバカみたいな男同士のやり取りだった。そのとき隣にいる顔は、もうこの世にはいない男のものだった。
「はぁ……」
ふとため息が漏れた。
おばさんと会った直後だからか、あいつのことを考えてしまう。
百合ヶ峰は女の園。上級生は女子しかいない。好みが年上のお姉様だったあいつにとって、まさに選り取り見取りな楽園である。
示し合わさなくても、必ずあいつは百合ヶ峰を受験したはずだ。そうしたら今頃、この隣にはあいつが歩いていたかもしれない。
そんな何事も起きなかった、たらればの感傷に浸る。
廣場花雅はもう、この世にはいない。それを改めて受け止めて、前に進まねばならない。それこそマサの夢を、代わりに果たすくらいの気持ちでいなければ。
俺があいつに代わって、年上のお姉様で童貞を捨てるのだ。
桜並木にそう誓いを立てていると、
「わっ!」
「うおっ!」
ベタな脅かしが耳元で響いて、ビクリと身体がしなった。
右耳を押さえながら、何事かと振り返る。
「入学おめでとう」
そこには百合ヶ峰の制服を着た女子が、ひらひらと片手を振っていた。その声音は激励よりも、してやったり感のほうが強かった。
「これからまた、一緒の学校だね」
嬉しくてたまらない。そんな満面に咲く笑みに、思わず心が奪われた。
肩甲骨下まで伸びている、艶のある長い黒髪。二重の奥には大きな瞳。綺麗に通った鼻筋、桜色の唇、尖った顎の下には、色気のある喉元が覗いている。更に下へと目線を落とすと、立派なたわわが実っていた。
端的に言うと、黒髪ロングの巨乳美少女が、俺に笑いかけてくれている。まるでつい先日まで、机を並べていたかのように親しげだ。
一体彼女は何者なのか。
少なくとも同じ中学出身ではない。なにせあの学校には、俺に笑いかけてくれる女子なんてひとりもいなかった。
胸元の赤いリボンは一年生の証。同学年ならなおさら、俺が知らないわけがない。
なら小学校か?
だがこれほどの逸材となるイヴなど、あの小学校にいただろうか? 愛彦くんの目が怖いと言われるほどには、目を光らせていたはずだ。これほどの好意的、かつ親しみのこもった笑顔を向けられる覚えは、やはり遡っても思い至らなかった。
となるとタイムリープ以前か。
俺には離れ離れになったような、幼馴染の女の子はいない。忘れているだけでワンチャンないか賭けて、母ちゃんに確認したから間違いない。幼馴染どころか、女の子を連れてきたことなんて一度もないと断言された。
そうなると転校してしまった女の子か。俺は昔から足が早かったから、運動会とかマラソン大会で大活躍を見せて、愛彦くん好き好き女子を生んでしまってもおかしい話ではない。
大好きな愛彦くんへの想いを秘めたまま、転校してしまった女の子。その想いはずっと忘れることなく、いつか再会できるときのことを夢見て、その初恋を大事に秘めてきた。偶然に身に任せた再会なんてありえるわけないと思いながら、ついに迎えた入学式。なんとそこには、初恋の愛彦くんがいるではないか。きっと向こうは自分のことなんて覚えていないかもしれない。でも覚えていてくれたらそれ以上の喜びはなく、初恋はずっと通じ合っていた。そのときこの再会はただの偶然ではなく、お互いの想いが引きあった運命になる。運命を信じた彼女は勇気をふり絞って声をかけてくれたのだ。
きっと彼女が次に紡ぎ出す言葉は、『私のこと覚えていてくれるかな?』である。
「まさか」
それは都合がよすぎるただの妄想だと、己を自制した。
さすがに一目で気づくなんていうのは、設定に無茶がありすぎる。少なくともクラスは別だから、名前を知る機会があったとも思えない。そもそも足の速さを生かしただけで、このレベルの美少女が初恋を捧げるなんてありえるだろうか。絶対ないとは言わないが、それが俺の身に起こることは絶対ない。
――まさかその絶対が起きていたとは、このときの俺は思いもしなかった。
小学校まで遡っても、これほどの美少女が『これからまた、一緒の学校だね』と笑いかけてくれる理由がわからない。そうなると、ただの人違いなのではないか。
「嘘……」
あれだけ親しさを差し出してきた美少女は愕然とした。
ほら、みたことか。やっぱり勘違いだったではないか。
「ヒコ……なんで、わかったの?」
「え……?」
「なんで私のこと、わかったの?」
わけがわからないというように、彼女は目を瞬かせている。
あえぐような吐息の中に、ヒコ、という言葉が聞こえた。おそらく愛彦と呼んだつもりが、すべてが音にならなかったのだろう。
やはり彼女は、俺を守純愛彦として認識している。俺は彼女の初恋の男で間違いないのだ。
なんで私のことわかったのと言われたが、なにひとつわかってはいない。でも正直に告げると、糠喜びだったとショックを与えるかもしれない。心当たりのないフラグとはいえ、折るような真似は避けたかった。
なにをもって彼女が、俺がわかったと思ったのか。……もしかして、妄想が口から垂れ流しになっていたのか。
ここは流れに身を任せて、情報収集するのが吉である。
「確信があったわけじゃないけどさ……気づけばそうじゃないかって、つい口に出たんだ」
後ろ首に手を当てながら、照れくさそうに告げる。首を痛めたポーズでカッコつけたのだ。
「は、はは……マジで」
美少女は困惑しながら、左手を口元に置いた。から笑いは徐々に感情がこもっていき、それに比例して音は大きくなる。
「嘘でしょう……普通気づく?」
不信を訴えるその声は、まるで痛快な喜劇を見せられたかのようだ。我慢の限界がきたのか、自らの身を抱きながら笑い始めた。
学園入学一日目にして、ラブコメのヒロインのような美少女が手元に転がってきた。この奇跡は絶対に手放すわけにはいかない。とにかく俺に足らないのは情報だ。まずは名前を引き出さなくては。
「まさかこんな姿になっても、一目見抜かれるなんてね。さすがというか、なんというか……やっぱりヒコは凄いわね。友達甲斐がありすぎるでしょ」
笑いすぎて滲んだ涙を、彼女は人差し指で拭った。
「……は」
それから一間遅れて、調子外れの声を出す。聴き逃がせない単語が、彼女の言葉に混ざっていたから。
ヒコ。
彼女はそんな愛称で俺を呼んだ。この世界で君付けもせず俺をヒコと呼ぶのは、世界でひとりだけ。でもそのひとりはもう、この世にはいない。いないはずだったのに……。
「おまえ……」
糠喜びはしたくない。でも問いかけずにはいられない。
「マサ、なのか?」
恐る恐る尋ねると、その口角は三日月のように吊り上がり、白い歯がむき出しになった。まるで少女の皮を脱ぎ去って、少年としての本性を晒しだすかのようだ。
「よう」
声のトーンが変わった。女の子らしさから打って変わって、どこか乱暴に聞こえる。なによりも慣れ親しんだ、二度と聞くことはないと信じていた音だ。
「久しぶりだな、ヒコ」
それは間違いなく唯一の友の声だった。
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