07 人生で一番ガッカリ

 カバー裏を凝視していた里梨が、ふいに『ん?』と唸った。葉那はそれに気づいた様子もなく、電池カバーをケータイにはめ直す。


「あーあ、ヒメちゃんその辺に歩いてないかな」


「ねえ、葉那――」


「もし見つけたらすぐに報告しますね」


「そのときはお願いね」


 無邪気に告げる百合に、葉那は微笑みを返した。


 葉那はそのまま視線だけを里梨に向ける。その瞳は百合に遮られた里梨の言葉を、聞き逃していないのを告げていた。


 あ、の口を作りながら、里梨は視線を彷徨わせ、すぐにかぶりを振った。大したことじゃないからやっぱりいいと示すかのように。


「これが先々週だったらよかったのにね」


「先々週?」


 里梨が話題に乗っかり続け、百合は不思議そうな表情を浮かべた。


「ヒメちゃん、先々週この街でロケしてたらしくてさ。たまたまその場にいたクラスの子たちが『ヒメちゃんと写真撮った!』って自慢気に見せびらかしてきたんだ」


「そうなんですか?」


「そうなのよー……」


 目を丸くする百合に、そこに立ち会えなかった葉那はがっくしと肩を落とした。


「話には聞いてたけど、その放送が昨日でさ。百合ヶ峰の制服を着た子たちがヒメちゃんに話しかけられてて……あー、羨ましい妬ましい!」


 葉那は昨日テレビ前で見せた、嫉妬に満ちた表情を再現していた。


 その番組は、天河ヒメが有名な商業施設を散策しながら魅力を伝えていく、という体の特集だった。


 皿洗いをしていると突然葉那が奇声を上げ、何事かと顔を上げると、見慣れた制服がテレビに映し出されていた。天河ヒメに声をかけられた、百合ヶ峰の女子生徒たちだ。


「私も見た見た」


 里梨は苦笑しながら肩を上下させた。おそらくクラスの子たちに、テレビに映る自分たちを見ろと言われたのだろう。


「まるで一時間は話してたみたいに聞いてたからさ。三十秒も映ってなくて笑っちゃったよ」


「そのくらいヒメちゃんと一緒にいた時間は濃厚だったんでしょうね」


 葉那は悔しさを抑えきれずにそう口にする。でも次の瞬間には嫉妬を忘れたように、どこか遠い目をする。


「けど、神様に出会った、か」


「神様に出会った?」


「ヒメちゃんがね、その番組で言ってたの。アイドル時代、私はこの街で神様に出会ったんだ、って」


 百合にそう説明をする葉那。


「その頃はアイドルとして思い悩んでいた時期らしくてね。そんなときに出会った神様のおかげで悩みは全部吹き飛んで、見通せなかった未来が開けたんだって。だからヒメちゃん、この街には思い入れがあるらしいのよね」


「神社でお参りでもしたんですかね?」


「そういう宗教的なのじゃなくて、神様って呼びたくなるほどの人との出会いがあった、って感じらしいわ」


「へー、そんな出会いが……」


 百合は感心したように手を合わせながら、ふと思いついたようにこちらを見た。


「まるで愛彦くんに出会った、ハルやんさんみたいですね」


「ハルやん?」


 葉那は訝しげに呟いた。


「俺の厨二病ポエムを、神のお言葉と広めているカルトサークルの長だ」


「なにそれ……?」


 不承不承に説明すると、理解できぬものを目の当たりにしたように葉那は眉をひそめた。


 よい行いにはよい結果が、悪い行いには悪い結果がついてまわる。そして口にした言葉には力が宿る。


 視界の端にハルやんが映ったのだ。その後ろを大名行列のごとくぞろぞろと十数人……いや、三十人を越える集団が付き従っている。


 落ち着け守純愛彦。向こうはまだ、こちらに気づいていない。だが見つければそれが最期だ。あの集団が一斉に信仰きばを剥いて、俺を神だと崇め奉りながらひれ伏せかねない。


 その惨状だけは絶対に回避しなければ。


 ハルやんと口にしただけで彼らは湧いてきた。


「そうだ、百合が天河ヒメに興味を持ったんだし、色々教えてやったらどうだ?」


 守純の教えについて言葉を尽くそうものなら……という恐怖に囚われ、すかさず話を逸らすことにした。


「ほら、二年になったらクラス替えもあるす。テレビの顔を知っておけば、新しいクラスメイトたちとも話が弾むだろ?」


 目を見開いた百合は、次の瞬間満面に笑顔を咲かせた。


「あ……はい! よかったらヒメちゃんのこと、教えて下さい」


「ヒコにしてはいい提案ね。ヒメちゃんのよさは、いくらでも教えられるわ」


「なら折角だし、ヒメちゃんが回っていた場所いかない?」


「いいわね。じゃあ今日はそういう感じでいきましょう」


 そうやってきゃっきゃとはしゃぐ女子三人。大名行列を見送っている、俺の冷や汗に気づくものはいなかった。



     ◆



 その商業施設は、駅の西口にあるラーメン店とは真反対の東口にあった。たどり着くまでに二十分もかかってしまった。


 目的地までの間、オタクの早口は無限に垂れ流され続けた。たどり着いてからはナリをひそめるどころか、信仰の対象が訪れた店舗を前にする度、オクターブを上げながら勢いを増していく。


 里梨は元々、天河ヒメを好きだというくらいだからまだいいが、今日その名を覚えたばかりの百合には酷ではないか。その微笑みが引きつったらドクターストップをかけようと注視していたが、瞳から輝きが失われることは一度もなかった。それどころか明日、我が家で更なる説法の約束が取り交わされていた。


 すっかり俺抜きで仲良くなった百合と葉那。気づけば里梨が一歩身を引いて、ふたりを微笑ましそうに見守っていた。


 二回ほど買い食いこそしたが、それ以外は全部冷やかしだ。それで気づけば三時間も潰れていたのだから、十分楽しんだと言えるだろう。


 施設を出る前に、仲良くトイレに向かった百合と葉那。そんなふたりを待っていると、


「今日の百合、すっごい楽しそうだった」


 肩を並べている里梨がふと言った。


「待ち合わせのときさ、百合ったらずっと緊張してたから。それが嘘みたい」


「俺もどうなるか不安だったが、今回ばかりは葉那様々だ」


「うん。距離を縮めやすいように、葉那が気を使ってくれてるなーってずっと思ってた」


 里梨はこちらを向くと微笑んだ。


「ありがとう、マナヒー」


「全部あいつのおかげだ。礼ならあいつに言ってやってくれ」


「それはもちろんだけどさ、葉那があそこまでよくしてくれるのは、百合がマナヒーにとっての特別だからじゃん」


「ま、たしかにそれはそうだな」


「あ、それはあっさり認めるんだ」


 里梨はにやにやとおかしそうに笑った。まるでおかしな冗談を聞かされたかのように。


 否定しなかったのは、笑いを取りたかったわけでも、恩着せがましくしたかったわけでもない。


「なにせ百合の依存先になって悩んでいたとき、おれの手が回らないところは、全部じぶんが引き受けるって言ってくれたくらいだしな」


 葉那がどれだけ俺のためを考えてくれているか。それがよくわかっているからだ。


 長いまつげを伏せた里梨は、どこか物憂げな表情を見せた。でも次の瞬間にはからかうように口元をニヤっとさせた。


「ほんとマナヒーと葉那って仲がいいよね。口を開けばずっと夫婦漫才みたいなことしてるんだもん」


「そういうと男女の関係みたいだ。改めて弁解しておくと、その手の感情は一切ないからな、俺たち」


「葉那の好みは年上のお姉様だっけ?」


「ああ。あいつの牙はふたりには剥かないから安心してくれ」


「そっちの心配はしてないけどさ……」


「してないけど?」


「マナヒーは大丈夫なの?」


「大丈夫って……なにが?」


「葉那が根っからの女だったら、好きにならないなんて嘘だろ、って言ってたじゃん。永遠に男友達枠だって約束したって」


「正確には俺達はズッ友だよ! だ」


「マナヒーのそれって、妥協や諦めだったりはしないの?」


 里梨は笑みを崩すと、捉えるようにこちらの目を見つめた。俺の瞳の奥に潜んでいる真意を突き止めるかのような真剣さだ。


「ああ、妥協も諦めもない」


 その真剣さに応えるように微笑んだ。


 隠し事はあれど、この言葉に裏はない。


 今の葉那との友情は、諦めでもなければ妥協の産物ではない。


「でもガッカリしたことはないとは言わないな」


「ガッカリ?」


「百合ヶ峰の入学式の日、あいつに『実は私は陰陽師でアヤカシからヒコを守るために帰ってきたの』って告げられたんだ」


「……陰陽師?」


「それがあっさり嘘だと言われたとき、今までの人生で一番ガッカリしたな」


 タイムリープができたくらいだ。異世界転生して奴隷ハーレムものを築きたいと思ってきた俺の人生が、ヒロインに守られる系の異能バトルものになってもおかしくないと信じてしまったのだ。


 里梨は恨めしげな上目遣いを送ってくる。


「マナヒー……私、真面目な話してるんだけど」


「だってあいつ、『私がヒコの溢れ出る陽の気の受け皿になる』って、恥ずかしそうに言うんだぜ。どんな方法で受け皿になってくれるんだって、人生で一番ワクワクしたんだ」


「……やっぱりマナヒーはエロ神様だね」


「う……」


 推しの蔑視が頭蓋を突き抜けた。

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