05 推し活部屋

「ハッ!」


 慌てて百合たちに振り向く。


「……愛彦くん」


「……マナヒー」


 百合が困惑気味の表情を浮かべる隣で、里梨は訝るように目を細めている。


 その愛らしいお顔立ちが軽蔑に変わるかどうかは、次の言葉にすべてがかかっている。かといって『あ』『えっと』『その』という動揺丸出しの音を口ずさもうものなら、こちらのやましさが透けて見えるだろう。


 間を置かず、堂々と答える。


「ち、違う……!」


 それができれば苦労はしない。ただみっともなく慌てふためいた。


 疑惑が確信に変わった眼で、里梨はワントーン低い音を出す。


「なにが違うのかな?」


「違うんだ……そう、誤解! 君は誤解してるんだよ」


「私がどう誤解してるの?」


「あ、えっと……その、とにかく違うんだ……」


「へー……」


 ジーッと見つめてくる里梨の視線に耐えきれず、無言で目を伏せた。


 掲示板のまとめサイトで学んだことだが、浮気の言い訳は大体パターン化している。その中でも浮気がバレた瞬間、『違うの!』『誤解なの!』と発するのは、朝のおはようございますと同じ定型文だ。


 なーにが違う、誤解なんだと散々笑ってきたが、今は彼、彼女たちを笑う気にはなれなかった。本人を前に秘密がバレた瞬間、頭が真っ白になってそれしか言葉が出てこなかった。


 街の雑踏が聞こえなくなった。世界から音が消えたわけではない。なおも言い訳を待ち続ける三人の沈黙があまりにも息苦しくて、早鐘のような心臓の音しか聞こえなかったのだ。


 騙してこそいないが、黙ってことに及ぼうとした。こうしてバレたことで、改めて背徳行為であったと反省した。


 観念しよう。


「……ひとつも、ないからさ」


「なにがないの?」


 喉から絞り出された言葉に、里梨は聞き返してきた。その声音は先程よりも、少し和らいでいるように聞こえた。


「グッズが……ないんだ」


「グッズ?」


「アクキーも缶バッチも、Tシャツやタオルも、マグカップもなければポスターすらも……ふたりのグッズが、なぜかどこにも売ってないんだ!」


「あるわけないじゃん」


 なにを言っているんだと眉根を寄せ、ハッキリと里梨は断じた。


 こんな世界一可愛い推したちのグッズがこの世にひとつもない。推す側からしたら、困ったどころの話じゃない。


 百合はおずおずと尋ねてくる。


「だから、わたしたちの写真を撮りたかったんですか?」


「もちろん、写真を撮って百合に喜んでもらいたい。その顔を見たい想いに邪なものはひとつもない」


「愛彦くん……」


 手を合わせながら、感動したように百合は微笑んだ。


「グッズ作りはただの副産物だ」


「邪な想いは副産物に詰まってるわけね」


 呆れた物言いで、葉那はサックリと刺してくる。


「葉那、おまえなら俺の気持ちはわかるだろ?」


「わかるわけないでしょ」


「いいや、おまえが一番わかってるはずだ。自分の部屋の有り様を思い出せ」


「私の部屋?」


「天河ヒメのグッズで溢れてるだろ。俺はそんな推し活部屋を作りたいだけなんだ」


「芸能人と一般人クラスメイトを一緒にするんじゃないわよ。あんたがやろうとしていることは許されることじゃないの」


 険しい表情を浮かべながら葉那は断じた。


 たしかに天河ヒメは誰もが知っている超人気タレントにして、元トップアイドル。その認知度もファンの数も、百合ヶ峰という小さい箱で活動する百合と里梨とは天と地ほどの差がある。


 だけど誰かを推すという想いに、上も下もないではないか。そこに貴賤はあってはならない。母ちゃんがかつてしたように、自分の好きゆきしまを持ち上げながら、人の好きヒィたんのバカにするような真似は許してはならない。


 だからこそショックだった。自分の好きなものは芸能人だから、推し活部屋を作るのは許される。でもおまえの好きなものは一般人クラスメイトだから、推し活部屋を作ることは許されない。無二の親友が俺の好きを否定する差別主義者レイシストであったのだ。


 俺は折れてなるものかと葉那から目を逸らすことはしなかった。


 こんな差別主義者に俺は絶対に負けない!


「いい、ヒコ」


 葉那は聞き分けのない子供を前にしたように嘆息を漏らしながら、


「私の部屋はただのヒメちゃんファンの部屋。あんたが作ろうとしているのは、ただのストーカーの部屋よ」


「ストーカーの部屋、だと?」


 社会の客観的事実を突きつけてきた。


 そんなこと一度も考えもしなかった。だってそうだろう? ふたりはこんなにも可愛いのだ。グッズがないなら自作してでも、部屋を推しで満たしたいと思うのは当然のことだ。


 俺は間違っていない。間違っていないはずと思いながら、推したちに目を向けた。


 困ったように五指をあわせている百合の横で、うんうんと力強く里梨が頷いていた。


 あまりのショックにくずおれ、カメラを片手に四つん這いとなった。


「そんな……俺はただ、推し活部屋を作りたかっただけなのに」


「犯行に及ぶ前に止められてよかったわ」


 葉那は安堵したように言うと、足先を百合たちに向けた。


「お願いふたりとも。ヒコに情状酌量の余地、与えてくれる?」


「はい。愛彦くんに悪気がなかったのはわかってますから」


「しょうがないなー。今回はお咎めなしにしてあげる」


 慈悲に満ちた推したちのお言葉が降ってきた。首を上げるといつものように微笑む百合と、しょうがないなと苦笑している里梨が映った。


 なんという寛大なる判決か。ふたりのストーカー部屋を作ろうとしていた俺を許してくれるなんて。


 溢れんばかりの感謝と共に立ち上がる。


「ありがとう、ふたりとも。これからも一生推し――」


「マナヒー、財布を出そうとしないで」


「なに、示談金?」


 いつものように感謝を制す里梨の横で、葉那は何事かと目を細めた。

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