02 RE:私のことは……

「改札抜けるときに、残高不足で通せんぼ食らっちゃって。私待ちになっちゃったようね」


「遅刻じゃないんだから気にしない気にしない」


 後頭部を擦りながら改めてふたりに謝罪する葉那に、里梨は手を振りながらフォローした。


「むしろ余裕があるのに、置き去りにしたマナヒーは酷いねって話をしてたところだから。いつもこんな酷い扱い受けてるの?」


「ううん。むしろヒコは、よく気遣ってくれるほうよ」


「なら今日の扱いは、なおさら酷いって怒っても許されると思うよ」


「いいのいいの。ヒコにとってふたりは特別な人なのは、よーくわかってるから」


 陽気でこそあるものの、いつもとは違うその声音。自分で発した言葉の意味を再確認し、心に影を差したかのようだった。


「たとえ特別になれなくても、友達として側にいれるだけで私は満足してる。だから置いていかれたのは、私が悪いでいいの」


 本人は精一杯の強がりを絞り出し、取り繕っているつもりなのかもしれない。その痛々しさを目の当たりにした里梨は、ただあえぐように口だけを何度も動かした。なにかを言わんとするも言葉が出てこないのだ。


 なにせ里梨は、相手をこんな顔をさせている当事者だ。それをわかっているからこそ、下手な慰めの言葉を口にすることが憚れたのだろう。


 ただ言葉を探し続けている里梨に、葉那は改めて笑顔を取り繕った。その裏に潜んだ感情が、今にも瞳から溢れそうである。


「だからヒコのこと酷いなんて見損なわないで、これからも仲良くしてあげて」


「でも廣場さんは……」


「私のことは……気にしないで、いいんだよ」


「気にするわ!」


 くだらない小芝居に我慢ならず、公衆の面前であるにも関わらず叫んでしまった。


「よりにもよってなぜ、ふたりの前でこんな真似をする?」


「こんな真似って、なんのこと? 私はただ、ヒコの幸せを応援したいだけで……」


「そうかそうか。そんなに悲劇のヒロインごっこは楽しいか。いいだろう。そこまで楽しいなら友人のよしみだ。その遊びに付き合って、おまえをエロ同人ほんもののヒロインにしてやろう」


 悪魔の両肩をがっしり掴んだ。


 かつての絶望を思い出したのか、葉那は慌てて両手を振った。


「じょ、冗談冗談。ただのシャレじゃない」


「その冗談がシャレならなかったから、名前も知らない相手に俺はビンタを貰ったんだが?」


「いや、あれは自業自得じゃない。なにが俺のために争わないでくれ、よ。よくもまあ、そんなセリフを恥ずかしげもなく吐けるわね」


「それ、めっちゃブーメランだぞ」


「ブーメラン? なんのこと?」


 覚えがないのか、葉那は訝しむように眉をひそめた。かつて被害者の会の前で吐き出したセリフをもう忘れたらしい。


 百歩譲って、あのビンタは自業自得でいい。人の気持ちを知っておいて、おまえは一生友達だって切り捨てた相手の前で、他の女の子とイチャイチャしている最低野郎扱いされたのも許そう。


 だが、こいつの悲劇のヒロインごっこの被害を被ったのは、俺だけじゃない。それを忘れたままなのは遺憾であった。


「あの事件のもうひとりの被害者を前にして、謝るどころかふざけた真似ができるとは。どうやらおまえの頭は、揮発性メモリのようだな」


「もうひとりの被害者? ……あ」


 どうやら思い出したようだ。


葉那はあのときの被害者に顔を向けると、


「あのときはごめーんね。テヘ」


 頭をコツンとしながら、ペロリと舌を見せた。


「あ……はい」


 テヘペロを決められた百合は返す言葉も見つからず、ただただ苦笑いを浮かべている。里梨もその横で、同じような顔をしていた。


 葉那を紹介するという百合との約束。それを果たすために今日は場をセッティングしたのだ。仲良くなれるかの心配よりも、楽しみが勝るほどに百合は今日という日を待ち望んでいた。


 その一発目からこれである。先制パンチのように葉那の本性を目の当たりにし、百合は戸惑うばかり。距離を詰めるどころか引きかねない惨状だ。なにせあの里梨ですら、声を失っているのだから。


 やはり穢れを知らぬ天使ゆり悪魔はなを引き合わせるのは失敗だったか。相容れない光と闇は、より強い方が相手を飲み込んでしまう。あまりにもその闇は深すぎた。


 ふたりを引き合わせるべきではなかった、と失敗の二文字が頭をよぎるようだから、俺のスクールカーストは神なのだ。十四年もの間男として生きてきたのに、今や百合ヶ峰の一軍女子として君臨している葉那のコミュ力を甘くみていた。


「ま、私の地は大体こんな感じだから。よろしくね。百合、里梨」


 学校で被っている皮を脱いで、葉那は我が家で見慣れた白い歯を覗かせた。


 友達を友達に紹介するのは初めてのこと。学校の廊下ですれ違う程度の交流しかないからこそ、俺が間に入って取り持たねばと意気込んでいた。むしろが成功は自分にかかっている、上手くやらなければと気負っていたくらいだ。


 なにせ俺は、葉那マサ以外に同性の友達などできたことがない。いつだって男たちの手は俺の手を握ることなく、拝むために組まれていた。そんな人の輪スクールカーストから弾かれた、ぼっちである。


「こちらこそ、よろしくお願いします、葉那」


「これからよろしくね、葉那」


 友達になりたいと互いに思っていれば、勝手に上手くいく。ふたりの心からの笑顔を見るまでそれを知らなかったのだ。

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