簪を刺してる理由(かんざしをたしてるわけ)

01 春休み

 私立百合ヶ峰学園高等学校。かつては女の園であった伝統校は少子化の波に飲まれ、その門は男たちにも開かれることになった。そんな百合ヶ峰創立以来最大の転換期であったともいえる一年目が、三月の終業式をもって終わりを迎えた。


 この一年は教師おとなたちにとって長い日々だったに違いない。女の園に男を迎えることは、これまでにない問題の種を植えることになる。男が問題を起こそうものなら……と、そのとき放たれる責任追及の矢を想像するたびに、教師おとなたちは頭と胃を痛めてきただろう。特に隠蔽された大問題のときの学園長は、頭の血管が切れそうな剣幕であった。


 一方、生徒おれにとっては、あっという間の一年だった。主人公席で窓の外を眺めていたら、いつの間に一年が過ぎたわけではない。むしろタイムリープ前の人生を含め、一番濃厚な一年だった。


 入学して早々、初っ端から友達作りに躓いた。クラスの男子たちの懇親会より、みつき先生の好感度上げおてつだいを優先したからだ。ゴールデンウィークでは俺ひとり除いてクラスの男子全員が集まっていた。最初の懇親会に出なかったばかりに、誰も俺の連絡先を知らなかったのだ。そもそも当時、ケータイすら持っていなかった。


 このままではいけないと思い直し、ついに古の端末ガラケーと契約した。そして困った男子たちがいたら、惜しみなく手を差し伸べ続けた。それなのに増えるのはケータイの電話帳ではなく、机上のお供えばかりである。


 そんな有り様であったが、一学期のときはまだよかった。男子からは気軽に守純、女子からは笑顔と共に守純くんと呼ばれていたのだ。夏休み以降、男子からは畏敬の念を込めて守純さん、女子からは侮蔑の眼差しと共に守純と吐き捨てられるようになっていた。


かつては一軍になるぞと意気込んでいたスクールカースト。気づけばその頂点を突き抜け、神の座に祀り上げられる始末だ。


普通の高校生なら泣いて引きこもる扱いを受けてはいたが、これでも中学時代よりマシである。なにせあの頃は、スクールカーストの底辺を突き抜けていた。あの三角の図を、俺ひとりで支えていったといっても過言ではない。


『俺のために争わないでくれ!』と練習しながら思い描いていた入学前とは、程遠い学園生活。それでも俺は、この生活がとても幸せだった。


「あ、愛彦くん」


「マナヒー、こっちこっちー」


 我が人生の一番星に据えた推したちが、こうして笑顔で迎えてくれるのだから。


百合と里梨がよりを戻し、より深い絆で結ばれた。その仲は公にできるものではないが、その交際は至って順調だ。以前より一層世界が美しく見えると、百合は恋する乙女の微笑みを咲かせている。


『三大花火を誑かせている三股最低野郎』という悪評で一年目を締め括ってしまったが、春休み初日から推したちとお出かけできる俺は、なんて幸せものだろうか。


「悪い、待たせちゃって」


駅構内の待ち合わせの名所でふたりと合流した俺は、腕時計に目を落とした。待ち合わせ時間の十分前である。


「前言撤回。一体何時から待ってたんだ?」


「わたしたちも今着いたところです」


 あっけらかんと答えた百合から、里梨に目を移す。


「あくまで待ち合わせ場所に着いたのはね」


「改札を抜けたのは?」


「十時半前」


「早すぎる」


 待ち合わせの三十分前である。


「だって最寄り駅の待ち合わせで、百合ったら十五分前には待ってたんだもん」


「えっと、遅れるよりはいいかなって……」


 里梨が困ったちゃんに目を向けると、バツの悪そうな上目遣いがこちらを覗いてきた。


「普通はそうなんだが……百合に長い間待たれると、こっちは心配でな」


「どんな心配ですか?」


「ナンパだ。なにせ百合は世界一可愛いからな」


「いいえ、世界一可愛いのは里梨です。ほら、見てください。今日もこんなに可愛い」


「里梨が世界一可愛いのは、世界の真理なことくらい知ってるさ。でも百合が世界一可愛いのも、また世界の真実なんだ。真理と真実。俺はどちらも譲るつもりはない」


「もう、愛彦くんったら」


 百合ははにかみながら頬を赤らめた。


話が脱線するとわかっていても、示さなければならない信念がある。そんな男の生き様を前にした里梨から送られるのは、呆れた眼差しとこいつに任せて置けないというため息だ。


「そもそも百合は、なんで毎回あんなに早く来てるの?」


「待ち合わせ時間が近づくと、楽しみでそわそわして……つい早く家を出ちゃって」


「毎回早く待たれると、こっちだって気を使うんだよ。今日だって、百合のことだからもう待ってるんだろうなって家を出たら、案の定なんだもの」


「う……」


「楽しみなのはわかるけどさ。結果的に待たせてしまう側の気持ちを、百合はもう少し覚えないとね」


「……ごめんなさい」


 百合はしょぼんと肩を落とす。


 折角の楽しいおでかけ。始まる前から意気消沈させる真似なんて、里梨だってしたくない。それでもこのままではよくないと、百合の教育のため今回ばかりは心を鬼にしたようだ。


 厳しい恋人の態度を、真摯に受け止め反省している百合に今の俺ができることはひとつだけだ。


「まあまあ、百合も反省してるしそのくらいで」


「マナヒー。一番美味しい役だけ持ってくなって、言わなかったかなー?」


 大変素晴らしい微笑みを浮かべる里梨が、人差し指で俺の頬をぐりぐりと突いてくる。


 たとえ痛みが伴おうとも、俺は今この瞬間の幸せが、一生続けばいいとすら思っている。そんな頭のお花畑が、きっとこの顔にも咲いているだろう。


 里梨の指先を堪能まんぞくしたところで、そっと百合に目を向けた。


「可愛い女の子が街中でポツンとひとりで立ってると、どうしても変な男に絡まれる危険があるんだ。少なくとも二回は、それで嫌な思いをしてるだろ?」


「はい……」


「もちろん相手が悪いのは大前提だけどさ。それでもやっぱり、嫌な思いをするかもしれないなら、予防はしなくちゃいけない。車や自転車の運転と同じだ。自分だけが交通安全を守っていても、もらい事故なんていくらもあるかさ」


 交通安全を守っているだけの軽自動車があおり運転にあいやすいように、可愛い女の子はナンパされやすい。ただ、そこにいるだけで標的にされるのだ。


心がけるべきは事故を起こさない運転ではない。事故に巻き込まれない運転である。嫌な思いをしたくなければ、こちらが考えて行動しなければならない。なんでそんな奴らのせいで自分が不自由な思いをしなければならないんだという怒りはあるかもしれないが、トラブルに巻き込まれるよりはマシである。


「そうですね。うん……愛彦くんの言う通りです」


 噛みしめるように頷く百合。次にその顔を上げたときは、一切の曇りはなかった。


「なにより可愛い女の子が、俺との時間のために嫌な思いをしてほしくないしさ」


 最後の締めに、ふたりに向かって初めてのウインクをしてみせた。


「ふ、ふふっ……愛彦くん、とてもカッコいいです」


「ぷ、ぷぷぷ……今のマナヒー、世界一カッコいいーよ」


 慣れない真似をしたせいだろう。キュンと胸を刺すつもりのそれは、笑いのつぼを突いたようだ。笑われているとわかってなお、俺は目をそらさずドヤ顔をし続けると、ふたりのほうから顔を逸らされた。


「あれ……そういえば愛彦くん、ひとりですか?」


 愛らしい笑い声がひととおり漏れ出すと、ふと百合に気づいたように言った。


「いや、ちゃんとあいつと一緒に来たぞ。なにせ今日は、そっちがメインだからな」


「でも、姿が見えないようですけど……」


「あいつは交通系ICカードスイカの残高不足で改札に阻まれたから置いてきた」


「マナヒー……直前に言ったセリフ、もう忘れたの? 早速ひとりにして、ナンパされるかもしれない状況に置いてきてるじゃん」


 里梨の口元が、呆れたへの字を書いた。


「なに、駅ナカだし大丈夫大丈夫。それよりもふたりが、性欲丸出しの猿共に絡まれる可能性のほうが問題だ」


「心配してくれるのは嬉しいけど……いくらなんでも、扱いが酷いんじゃない?」


「ツレがいて残高不足とか、ちゃんと確認しないほうが悪いだろ? 先に行って酷いとか、逆恨みもいいところだな」


「そう言われたら……さっき同じことやからしたから、なにも言えないけど」


「チャージ不足なんて、生きてりゃ誰でも経験することだ。ツレにそのせいで待たされたとかぶつくさいう奴なんて、器が小さいだけだから気にするな」


「マナヒーの手首はクルクル回るねー。実はその手、ドリルなのかな?」


「ああ。この手が回り続ける度に、俺は前に進み続けてるんだ」


 ああいえばこういう。その擬人化を前にしたように、里梨は敵わないと肩を落とした。


 漫才のようなやり取りが、一区切りついた頃。


「ごめん、お待たせ」


 残高不足で改札に阻まれた悪魔が、ようやく合流したのだ。

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