09

 フミがお風呂から上がると、今度は入れ替わりでヒコが入った。帰ってわざわざ湯船を張るのが面倒だろうからと勧めたのだ。


 リビングでゲームの続きを始めるフミ。私はそれをダイニングキッチンから眺めている。


 今日はずっとヒコがいたから、フミとふたりきりになるのは初めてだ。今日一日でという意味ではない。私が花雅としていられなくなって、葉那として生きるようになってから、兄弟ふたりきりになるのは初めてのことだ。


 自分が話さなければならないことを決めたはいいが、どう切り出すか迷う。


 五分もの間そうやってうだうだ悩んで、ようやく口を開いた。


「そういえばフミって、部活はなにもやってないんだっけ?」


「部活? やってるよ」


「あれ、なにやってるんだっけ?」


「帰宅部」


「それはまたご立派な部活なこと」


 振り向かずに戯言を吐き出すフミに、皮肉げにそう言った。


「なんでバスケ部に入らなかったの?」


「別に、バスケはもういいかなって思っただけ」


 どうでもいいという口調ではない。既に一度、問題を予習したような口ぶりだ。


「だから帰宅部? なんか勿体ないわね」


「どうせプロになれるわけじゃないんだ。いつ辞めようが、変わらないだろ」


「大きく変わるわよ」


「なにが?」


「身長が。伸ばしたいなら成長期の運動が大切じゃない」


「そういうのって結局、遺伝らしいよ?」


「でもヒコは――」


「うん?」


 急に言葉を切った私に、フミは不思議そうな声を出す。


 かつてのヒコは、169センチで身長が打ち止めだった。でも今は173センチ。それもこれも、成長期に運動を習慣化しているからだ。


 ヒコの事情をなにも知らないフミにそう告げても、なにを言ってるんだと呆れられるだけである。そもそも背を伸ばしたいなら、バスケをするべきだと勧めたいわけでもない。


 ダイニングテーブルから離れると、フミの隣、ソファーへと腰掛けた。


「ねえ、フミ。あんた今、何センチあるの?」


「165」


「165? そんなにあるの、あんた?」


 思わずフミの下から上まで見渡した。そうやって目測で測れるのは座高だけなので、その数字は感じ取れない。


 頭頂に置いた手のひらを、背を比べるようにフミとの間を行き来させる。


「私があんたくらいのときで、157だったのに」


「今は?」


「160」


「え、それしか伸びてないの?」


 ずっと画面を向いていたフミの顔が、初めてこちらを向いた。


「もう高二でしょ? 3センチしか伸びてないじゃん」


「そうなのよね、まったく伸びないのよ」


 ため息をつきながら、膝に視線を落とした。


 期せずして目についた大きなもの。自分を女として象徴するそれに両手を置いた。


「大きくなるのはこっちばかりなのよね。どのくらいあると思う?」


「知らないよそんなの」


「Fよ、F。ヒメちゃんより大きいわ」


「あ、そう。だから?」


 頬を緩めてる私に、フミは投げやりに答えた。これ以上それを見たくもないとばかりに、テレビに目を向ける。


 女の胸に思い馳せるのは、男が思春期になれば当たり前だ。でもそんな話を私から振られるのは、からかわれていると思ったのだろう。かつて兄ちゃんと呼んでいた女が、自分だけ折り合いをつけて楽しそうにしていると。


 フミの立場に立って、それがどれだけ腹立たしいことか。それがわからないほど、愚かでもなければ酷い兄ではないつもりだ。 


「二年半でこれだ」


 いつもより低い、かつて当たり前に発していた音。


「おまえの身体は女だって告げられてから、たった二年半でこの有様だ。信じられるか?」


 まだ自分が男だと信じていたときの声で、“俺”は自嘲気味に発したのだ。

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