07
グラスいっぱいに注がれたコーラ。ストローから一度も口を離すことなく、あっという間に中身は空になった。
「はぁー、やっぱり風呂上がりはこれよね」
風呂上がりの一杯に、葉那は悦びの声を上げていた。ダイニングテーブルで一杯やっているその様は、まるで晩酌をしている母ちゃんのようだ。
普段はかんざしで纏めているその髪も、風呂上がりは下ろされたまま。その黒髪ロングの正統派美少女っぷりは、学園で見られなくなってから久しい姿だ。しかし普段から我が家で風呂を済ませているので、俺にとっては見慣れた光景である。
気になるところがあるとしたら、その格好だ。
「また懐かしいもの着てるな」
「着替えは昔のものしかないからね」
そう口にしながら、葉那は二杯目のコーラを注いだ。
葉那が着ているのは、中学時代のジャージだ。もちろん中学三年生を過ごした女子校のものではない。廣場花雅として中学二年生まで通っていた、俺の母校のものである。
「入学時に買ったものがジャストサイズとか、正直ショックだったわ」
「今身長いくつだ?」
「160。救急車に乗ってから、三センチしか伸びてないのよね」
「大きくなったのは、数字じゃなくてアルファベットというわけか」
「そうなのよねー。こんなの大きくなっても無駄どころか邪魔だから。大きくなる栄養は背に回したかったわ、背に」
「まーた世の女を敵に回してる」
「それで揉み返せるなら安いもんよ」
片手をワキワキさせながら、葉那は不敵に鼻を鳴らした。
「そうそう。着替えが当時使ってた男物しかないから、久しぶりにトランクス履いたんだけどさ。普段履きしたいくらい楽ね。このまま持って帰りたいくらい」
「ならそうしたらいいだろ」
「そうしたいのは山々だけど、こんなの履いてるのがバレたら、酷いことになるわよ。主にヒコが」
「なぜそこで俺が?」
「おしゃれ女子で通ってる私が、男物の下着を履いてるのよ? いくら私のものだからと主張しても、絶対信じてもらえないわ。そこで問題です。じゃあこの下着は、誰のものだと思われるでしょ――」
「絶対に普段履きにするのは止めろ」
食い気味に強い口調で言い含めた。
あれだけ当人が否定しているのに、俺たちの関係は誤解されているのだ。俺のパンツを履いていると思われようなものなら、誤解で外堀が埋められてしまう。推したちとの楽しい学園生活に支障がでる。
ふと、下着という言葉に改めて引っかかりを覚えた。
「下は男物で代用できるとして、上はどうしたんだ? そのまま着回してるのか?」
「着てないわ、ノーよ、ノー」
「ノーか……」
ジャージで盛り上がっている部分に、細めた目を向ける。
「なーに、気になるの?」
そんな俺に対して、葉那はニヤニヤとしている。
「めっちゃ気になるな。その下着の行方か」
「はぁ?」
「まさかおまえ、脱いだものそのまま、洗濯かごに突っ込んだのか?」
「当たり前じゃない」
葉那は不思議そうな表情を浮かべている。
脱いだ衣類が洗濯かごに収められる。たしかに当たり前であり、常識的な行動だ。我が家でもそれは違わないルールである。そしてひとり分増えるくらい一緒だからと、葉那の洗濯物の大半は日中に母ちゃんがやっている。
そうなると葉那の下着類を、よく目にする機会があるわけだ。されど布でありながらも、たかだか布だ。大事なのは誰が着たものなのか。
かつて百合の下着を見たときは大興奮であったが、葉那の下着を見たところでなんの感情も覚えない。葉那もそれがわかっているから、無防備に脱いだ下着を洗濯かごに突っ込んでいる。
勝手知ったる実家だからこそ、今日もそのご多分に漏れなかったようだ。
「あのなー。おまえの下着を見てしまう、フミの気持ちを考えろ」
葉那と入れ替わりで、フミは風呂に入っている。いつものように脱いだものを洗濯かごに入れようとしたら、こいつの下着が目に入るのだ。
「年頃の少年には、おまえの下着は刺激的すぎる。特に上はFだろ?」
「あー。そこまでは気が回らなかったわね」
呆けたように開いた口に、葉那はストローを迎え入れた。ちゅーと一口コーラを吸い込むと、
「ま、でも大丈夫よ」
「バスタオルで覆ったのか?」
「今日はピンクだから。大人しい色でしょ?」
「色とか関係ない。おまえが着ていたものっていうのが問題だ。日景たちに与えようものなら、秒で赤いシミがつく」
「もしくは使用後に、白濁したシミがつくわね」
ケラケラと笑いながら、下ネタをぶっ込んできた。この姿は下ネタに理解ある女子ではない。母ちゃんの前で見せられない、男同士のノリである。
「ま、フミなら気にしないでしょ。女物とはいえ、元兄の下着。いきなり目についてビビることはあっても、思春期男子の心がくすぐられることはないわよ」
楽観的な口ぶりで葉那は言った。
身体はたしかに女であるが、十四年も男として生きてきた。フミはそれを知っているからこそ、自分のことを兄としか見ていない。ただ女としての身体について触れないよう意識しすぎているから、兄弟の関係がギクシャクしてしまっている。
そうやって、葉那は勘違いをしているのだ。
「いいか、葉那。フミはな、俺たちが付き合ってると本気で信じてたんだぞ」
「はぁ?」
学園では決して見せないしかめっ面を、葉那は浮かべた。きっと俺も、さっきはこんな顔をしていたのだろう。
「なにをどう勘違いしたら、そんな勘違いできるのよ」
眉間のしわををほぐすように、葉那は人差し指でグリグリとした。怒っているのではなく、難問を前に理解に苦しんでいるのだ。
ずっと半身だけ振り返っていたソファーから俺は立ち上がる。
「夏祭りのとき、俺たちが嫉妬を煽る遊びをしていたのをあいつは見ていたんだ」
「フミも!?」
まさかの事実に、葉那は絶叫した。
痛めた頭を片手で押さえながら、もうひとつの手で葉那は待ったをかけてきた。
「いや、でも上透さんじゃないんだから。なんでそんな勘違いするのよ。私の身に起きたこと、家族なんだからよく知ってるじゃない」
「たしかにおまえの身に起きたことはな。……でも、それ以外あいつは、なにも知らなかったんだ」
ソファーの背面に回ると、背もたれに両手を預けたままもたれかかった。
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