05
食後、洗い物くらいはと申し出たが、葉那が受け取ってくれたのは気持ちだけ。数も多くないから、好きに寛いでてと言われた。
テレビも見ないとなると、やはりゲームくらいしかやることがない。
「ヒコくん、やりたいものある?」
「さっきのバ◯オの続きしようぜ」
「そうなるとヒコくん見てるだけじゃん」
「先がわかってるからこそ、見てるだけの楽しみ方があるんだよ」
「ヒコくんがいいならやらせてもらうけどさ、さっきみたいな嘘は止めてよね」
フミはそこまで言うならと、昼食前の続きを始めた。
俺は今まで、沢山のゲーム配信を見てきた。同じゲームでも配信者によって、千差万別の反応をする。長時間の沈黙は事故とされ、常に喋り続けているからこそ、ゲームの先がわかっていても楽しめる。
つまり黙々と進められると飽きるのだ。
フミのプレイスタイルも昼食前にわかっている。十分もすれば無聊を慰めるため、ゲームとは関係ない口が開いた。
「どうだ、学校は最近? 楽しくやれてるか?」
「ヒコくんは親戚のおじさんかよ」
フミは呆れたように眉根を寄せた。
「普通だよ、普通。普通にやってるよ」
「普通って、なにがどう普通なんだ?」
「ヒコくんの中学時代と比べれば」
「そんなこと言ったら、ちょっとのイジメも普通になるだろ」
「たしかにそうかも」
面白かったのか、フミは軽く吹き出した。
フミは同じ中学に通う、二年年下の後輩だ。校内一の有名人である俺が、どういう扱いを受けていたのかは承知の上である。
「入学して一月で、三年にはヤバイ奴がいる。関わらないのが身のためだ、って一年でも有名だったからね」
「酷い話だ。俺がなにをしたって言うんだ」
「でもさ、先生たちからの評判はいいんだよね、ヒコくん」
しかめっ面をする俺に、フミは不思議そうな顔をする。
「特に数学の先生。ヒコくんほどの優等生は見たことないって」
「さやか先生か。懐かしいな。俺さ、さやか先生のこと好きだったんだよな」
「え、マジで?」
「どうやったらさやか先生とエッチができるか。それだけを考えて、頑張ってきた三年間だった。好感度は十分上げたと思ったんだけどな……」
「やっぱりヒコくんヤバイじゃん」
フミはなんともいえない顔をする。エッチな話を年上とするのは、まだまだ恥ずかしいお年頃なのだろう。
猥談は好ましくないようなので、話題を変える。
「そういや、部活とか入ってないのか?」
「入ってない。万年帰宅部だよ」
「バスケはどうしたバスケは。なんで入らなかった」
「別に……もういいかなって思っただけ」
一瞬、フミは言葉を詰まらせた。
小学三年生からフミは、バスケを始めた。最初は友達に誘われて軽い気持ちで始めたようだ。でもそこは葉那の弟。天才気質だから、すぐに頭角を現し活躍していたようだ。努力すれば必ず返ってくるから、本人も楽しそうにしていた。
「そりゃバスケは自分から始めたことだけど……やっぱり毎日好きにゲームできるのは楽しいよ。なにより周りに気を使わなくてもいいから、人間関係も楽だよね。うん、誰にも迷惑かけないし、やっぱ楽」
開放感に溢れたものの言葉ではない。フミはどこか、自分に言い聞かせるようだった。
そんなフミの態度が気になり、青少年の心を傷つけないようおずおずと聞いた。
「その……なんだ。クラスにちゃんと友達とか、いるか? 仲間ハズレとか、されてないか?」
「ヒコくんは親かよ」
フミは苦々しい表情を浮かべた。
「そのくらい、普通にしてたらいるに決まってるだろ」
「俺はほら、いなかったからさ」
「ヒコくんは普通じゃないから」
兄の友人であり先輩でもあるにも関わらず、フミは辛辣に言った。
「そりゃクラスの中心とは程遠いけど、ゲームを貸し借りしたり、マンガの感想を言い合ったり、小説をおすすめしてくれる相手くらいいるよ。どう、安心した?」
「小説? 具体的にはどんなものを読んでるんだ」
「えっと……それは」
フミの横顔は余計な口を滑らせたと物語っていた。確実にヘッドショットを決めていたコントローラーさばきが、急に乱れている。
この反応、間違いなかった。
「ハルヒか? 禁書か? それとも今アニメでやってるシャナか?」
「ヒコくんも……そういうの見るんだ」
「ま、昔取った杵柄だ」
フミは見開いた目を向けてきたので、得意げに言った。
どうやらフミは、ラノベに手を出しているようだ。
この時代のオタク作品は、まだまだ一般人からの偏見が強い。手を染めているとバレたら最後、キモヲタというレッテルを貼られる。だからこそ教室の隅でこそこそと鎖国しながら、仲間たちと盛り上がるのだ。まあ、俺にはそんな友達すらできなかったが。
ともあれ同好の士とわかり、フミの態度は和らいだ。
そこからは簡単だった。ラノベは最近の有名所は押さえながら、アニメはガ◯ダムの種と運命は履修済み。リリカルな魔法少女ものにまで手を染めている。好きなマンガを問われワン◯ースではなく、迷わずジ◯ジョをあげたのは、この時代の中二が出すには優秀すぎる回答であった。美少女ゲーは未経験のようだが、これはもう時間の問題だろう。
かつてのバスケ少年は、オタク街道を順調に突き進んでいたのだ。
そういった話で盛り上がっているところに、
「フーミー」
いつもより低い声音がリビングに響いた。
振り返ると眉をひそめながら、腕組みしながら仁王立ちしている葉那がいた。
「あんたねー、あの脱衣所の有様はなに?」
「なにって……なにが?」
いきなりのお説教モードに、思い至る節がないフミは狼狽える。その態度に葉那は立腹を通り越して呆れて息をついた。
「洗濯かご。あんたの衣類とバスタオルでミルフィーユになってたわよ」
「そいつは酷いな」
「え、なにが?」
葉那が上げた問題に俺がそう言うと、フミは混乱した声を上げた。
「母さんが家を空けてから、一度も洗濯してないでしょ、あの有様」
「その母さんがいないから、しょうがないじゃん」
「その母さんがいないなら、自分でやりなさいよ」
説教する口ぶりの葉那に、フミはそんなこと考えもしなかった顔をする。それにまた、葉那は弟のポンコツっぷりを肩を大きく落とした。
こうして葉那がうなだれる気持ちもわかる。でもそれは、できる人間の傲慢。大人でそれは不味いかもしれないが、相手はただの中学二年生だ。
「まあまあ。おまえだって、寮生活で初めて洗濯機回したって言ってたじゃねーか」
「それは……そうだけど。でも一仕事を終えて帰ってきた母さんが、あれを見たらと思うとね」
「ま、こればかりはおばさんの教育不足だろ。親がなんでもやってくれる内は、覚える機会なんてないからな」
「……そうね。そうだったわ」
納得いったのか、葉那はあっさりと頷いた。
葉那は家を出てから親のありがたみを覚えた身だ。今は当たり前にやっていることでも、中二のときの葉那もフミと変わらなかった。それをポンコツだと責めるのは、かつての自分に返ってくるとわかったようだ。
「最低限の家事は教えるよう、母さんに言っとかなきゃね」
「その……洗濯、今やったほうがいいの?」
おずおずとフミは訊ねた。
「いいわよ。もう洗濯機は回したから。今回は私がやってあげるから、次からは自分でできるようにしときなさいよね」
「わかった」
葉那に言われて、素直にフミは頷いた。
それに満足した葉那は、そのまま買い物へ向かった。今日の夕飯の買い出しである。
葉那はそうやって、おばさんが家を空けている間に溜まった洗濯物から始まり掃除。夕飯の支度などしている内に、日は暮れていた。その間俺たちは、リビングでずっとゲームをやり続けていた。
母ちゃん直伝のチキン南蛮を食べたフミ。その驚く顔に葉那は満足そうである。
その後の洗い物を含め、一日家事に追われていた葉那を差し置いて、風呂に入るのは憚れた。一番風呂を葉那に差し出して、俺はまたフミのゲームプレイを見る仕事に追われたのだ。
「飯、美味かった」
ポツリと、フミは漏らした。
「そういうのは、本人に言ってやれ」
「うん」
俺が言うと、フミはそう喉を鳴らした。
それを言いたかったわけではないのは、なんとなくわかった。
「どうかしたか?」
まだなにか言いたげのフミの背中を押すように聞いた。
テレビ画面で動き回っていた、操作キャラの動きが止まった。フミはコントローラーに目を落としながら、言葉を探すように何度も口だけを動かし、
「姉ちゃんってさ、いたらこんな感じなんだね」
絞り出すようにフミは声にした。
言葉に込められているのは、葉那がいる我が家、という意味ではない。姉を初めて持った感想。兄が姉になってしまった戸惑いが、改めて漏れ出したのだ。
無理もない。母がいない代わりのように、家事をテキパキこなすあの様は、かつての兄の面影はない。まさによく出来た姉の立ち回りそのものだ。
「あんな風に変わっても、あいつはマサだ。根っこはなにも変わってない、おまえの兄ちゃんだよ」
「……変わったよ。全部、根っこから」
心配ないと諭したつもりが、ますますフミは言いにくそうに唇を結んだ。
今の一言を吐き出すだけでも、強い意思が必要だった。フミは現実を受け入れるための、強い決心をした眼差しを向けてくる。
「だって兄ちゃん……姉ちゃんとヒコくん、付き合ってるじゃん」
「なに言ってんだおまえ」
真剣な面持ちから吐き出された馬鹿げた発言に眉をひそめた。
葉那の事情を知らぬ相手からそう見られるのはわかるが、それを知っているはずの家族がなぜそんなことを言い出すのか。からかっているのではなく、本気だからこそ戸惑うしかなかった。
よりにもよってなぜフミが。
「隠さなくてもいいよ。僕、見たんだ」
「一体なにをだ?」
「夏休みの祭りの日に――」
「ブルータス!」
おまえもか!
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