04

 事前情報を知らされていなければ、一目でそれが味噌ラーメンであると断定するのは難しいだろう。料理は愛情という信念を掲げたメシマズキャラのごとく、葉那が殺人料理ダークマターを精製したからではない。麺が沈み野菜が山となる境界線、その海が真っ赤なのである。


 満を持して完成したその料理を見たフミは、


「普通に美味そうなのが出てきた」


 感心したように目を見開いている。


 これを前にして美味そうと素で出てくるのだから、さすが辛党の一族だ。俺には絶対に無理とは言わないが、咳き込みながらヒーヒー言うのは目に見えている。


 だから俺の分は、スープは赤茶色に留まっている。


「わざわざ別に作ってくれたのか」


「唐辛子を入れる前に、鍋を分けただけよ。洗い物がひとつ増えただけで、手間ってほどじゃないわ」


 エプロンを外しながら葉那は答えた。そしてニヤっと口端を上げた。


「なにせうちのコンロは、三口だったからね。楽な仕事よ」


「マジか。うちは二口だからなー」


「まー、ヒコの家はふたり暮らしだから。おばさんの腕を考えると、それで十分だものね」


「たしかに今回みたいに、鍋を分ける必要ないもんな」


 葉那が席についたのを確認して手を合わせた。


「それじゃ、いただきます」


「……いただきます」


「はい、召し上がれ」


 小さな声でフミが続くのを見て、葉那は笑みを零した。自分は箸を取ることなく、そのまま弟の様子を窺っている。


 まずはスープから。なんて通ぶらずに、一思いにフミは麺を啜った。


 真っ赤な液体をまとった麺。味わうように咀嚼し、フミは喉を鳴らした。俺なら絶対咳き込んだ後、そのまま水を求めるだろうが、フミはレンゲ一杯のスープを求めた。


「やばっ、メッチャ美味いんだけど」


 美味しいものを食べると自然と笑顔になる。それを体現するように、フミは満足そうだ。


 初めて弟に料理を振る舞った葉那もまた、満足そうに口端をニヤっとした。


「でしょう? ちなみにラーメンスープの素なしよ」


「マジで?」


「マジよ。家にある調味料だけで作ったわ」


「すげー……素もなしに、ラーメンって家で作れるんだ」


 フミは感動と尊敬が入り混じった眼差しを、制作者ではなく製造物に向ける。


 ちょっと料理をするようになれば大したことではないのだが。ラーメンといえば寸胴から作るイメージが定着しているのだろう。


 ガツガツと食べる弟を見ながら、気をよくしながら葉那はスープをすする。味見はしたであろうが、満足いく出来に頷いている。


「あ、そうそう、聞いてよヒコ」


 麺をすすっている最中なので、横目で葉那を見た。


「調味料を確認してたらね、唐辛子だけで十種類以上もあったわ」


「ぐふっ! ……マジかよ」


 不意打ちを食らって蒸せてしまった。嘘だとは思っていないが、葉那は真実を告げる生真面目なものだ。


「ラー油も四種類もあったと思ったら、冷蔵庫からも出てきてさ。あれ、絶対手作りよ」


「おばさんも凝り性だな」


「味見したら美味しいとかそういうの越えて、まさに実家の味。懐かしさが込み上がったわ。あれで食べる卵かけご飯が美味しいのよね」


「だったら空き瓶にでも入れて、持ち帰ったらどうだ。うちの冷蔵庫に備えといていいぞ」


「そうさせてもらうわ」


 スープをすすりながら葉那は言った。


「あのキッチンを見たら、なんか母さんのご飯が恋しくなってきたわね。家を出てから一度も食べてないから」


「前帰ってきたとき、食べたじゃん」


 夢中で食べていたフミが顔を上げた。家を出ることになって以来、初めて泊まった日のことを言っているのだろう。


「あれは、ザ・朝食だったから。ノーカン」


 葉那は首を横に振りながら苦笑した。


 朝食はまともな飯じゃないと否定したわけじゃない。


「あの調味料たちがふんだんに使われるご飯が食べたいの。あれを普段どう使ってるのか、一度見てみたいわ」


「秘伝ってわけじゃないんだ。いくらでも見せてくれるだろう」


「あ……」


 俺がこともなげに言うと、葉那は面食らった顔をする。


 簡単なことなのに、そんなこと考えにも浮かばなかった。


 その理由はわかっているからこそ、俺はもう一押しをした。


「料理ができるようになってくるとさ、カレーだったらスパイスに手を出すように、人間なにかと凝りだすのが宿命だ。おまえだったら絶対、激辛料理だろ」


「そうね。前から手を出してみたかったのよね」


「おまえの舌が喜びで震える料理なんて、うちじゃ絶対無理だからな」


「私に付き合わせるわけにはいかないから、これでも遠慮してたのよ?」


「それは悪かったとは言わん。そういうのを作りたきゃ、自分の家でやれ。幸いものは豊富そうだからな」


「そうね。あれらの使い方、一度母さんに教わるとするわ」


 強い感情を乗せずに、葉那は頷きながらラーメンを啜った。


 なにかを覚えるのに、家族を頼るなんて当たり前だ。でもそれを気軽にできない事情、家を出ることになってから作られた溝があった。


 それを埋めたいからこそ、葉那のほうから一歩踏み出した。当たり前のように振る舞ったそれが、いつしか自然となるように。


 正直、おばさんが泣かないか不安はあるが、それを含めての溝だ。


 今の葉那なら大丈夫だという確信が俺にはあった。

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