02

 徒歩十分。近くもなければ遠くもない、チェーン店のスーパー。二十四時間ということもあり、タイムリープ前はよくお世話になっていた。具体的には深夜の酒の買い出しである。手軽に安くいつでも買えるからこそ、アル中になるのが捗ったのかもしれない。


 葉那と生鮮食品コーナーを物色していた。


「お、ラッキー。豚ひき肉の三十パー引きがあるぞ。こりゃミートソースで決まりだな」


「思ったんだけど、ここまで来たらパスタじゃなくてもいいんじゃない?」


「たしかにそうだな。ご飯物以外で希望はあるか?」


「焼きそば……いや、折角だしここはラーメンね」


「至高か? 地獄か?」


「もちろん、地獄。あれ、ヒコが作る中で、一番好きなのよね」


「了解。なら、生麺と豆腐を買わんとな」


 冷蔵庫の中身を思い出しながら、必要なものを指折り数えた。


 ちなみに地獄とは、激辛ラーメンだ。俺が考案した料理ではない。三十代のときに出会った、ユーチューバー料理研究家が生み出したレシピである。彼の生み出すレシピはいつだって家庭の味方。美味しいを作るハードルが低く、なによりアル中というところに親近感が湧いた。末期になると彼の酒を飲む言い訳を聞くために、動画を開くようになっていたほどだ。


 値引きシールが貼られたひき肉をカゴに入れると、生麺と豆腐を求めて移動した。


 その道中に、後ろから声をかけられた。


「あれ、兄ちゃんとヒコくん?」


 振り返るとそこには、雅史まさふみがいた。


「おお、フミか」


 生活圏内が重なっているから、こうしてスーパーで会うのは驚くほどではない。奇遇だなと足を止めた。


 今年度で十四歳になったフミは中学二年生だ。彫りの深い顔立ちは少年ながら男らしい。小手先に頼らず飾らぬその姿は、変身前の日景たちのようでコスパがよさそうだ。端的に言えば、美容については千円カットオンリーの、ザ・中学生そのものである。美形遺伝子を粗末にしているフミを見る度、勿体ないと思わずにはいられない。


 フミは友人枠でもなければ後輩枠でもない。友人の弟である。中性的な兄とは似ていないと常々思ってきたが、今年度の四月にようやくその理由に納得した。


「兄ちゃんじゃなくて、姉ちゃんでしょ」


「あ、ごめん兄――姉ちゃん」


 葉那にたしなめられて、フミは不注意を反省する。


 ふたりはこの通りの関係だ。兄ではなく姉だったからこそ、似ていない兄弟だったわけである。


「私たちを知ってる人に今のを聞かれたら、正体バレるかもしれないんだから」


 現在葉那は、廣場家の親戚として実家を出入りしている。生まれたときから住んでいた環境だから、この辺りは廣場兄弟を知るものも多い。今のやり取りで花雅イコール葉那と感づくものもいるかもしれないと恐れたのだ。


「でもついさ」


「それはわかるけど。ほんと気をつけてよね」


 なんとも言えない顔で葉那は言い含める。


 物心がついたときから呼び続けてきた愛称を、無意識レベルで矯正するのはまだまだ時間が足りないのだろう。なによりフミにとって、やっぱり葉那は兄である。それがわかっているから、葉那も強く言えないのだ。


「それでふたり揃ってどうしたのさ?」


 フミは俺の買い物カゴに目を向けた。


 お菓子やジュースを買うわけでもないのに、高校生ふたりが生鮮食品を買ってるのが不思議なのかもしれない。


「昼飯を作ろうにも、冷蔵庫にろくなもんがなかったからな」


「カップ麺もないの?」


「袋麺はあったな」


「じゃあ、それ食べればよかったじゃん」


「俺ひとりだったらそれでもよかったんだが。それじゃあつまらないからな」


「へー」


 フミは細い目を葉那へと向けた。どうやら葉那がわがままでも言ったと勘違いしたのだろう。


「あのね、夜は私が担当なの。どっちにしろ買い出しは必要なのよ」


「え、兄ちゃ――姉ちゃん、飯作れるの?」


「ひとり暮らしを始めて、そろそろ一年よ。そのくらいできるようになるわよ」


「でも、ヒコくんの家でいつもご飯食べてるらしいじゃん」


「ちゃんとおばさんのお手伝いしながら教わったのよ」


「ふーん」


 納得したように話を打ち切りながら、フミの目はどこか疑わしげだ。


 弟から向けられる不信への逆襲のように、葉那はフミのカゴへ目を落とした。


「そういうあんたは、随分と素敵なお昼ごはんのようね」


 カレーヌードルと唐揚げ弁当、そしてコーラーがふたつずつ。栄養バランスをぶん投げた、中学生男子を満足させる献立。結局茶色いものが一番美味いのだ。なお、隣の悪魔は赤いものが一番の好物である。


「まさかそれって、夜の分も?」


「悪い?」


「二食連続それとか、母さんが見たら嘆きそうね」


「その母さんがいないんだから仕方ないだろ」


 葉那が眉をひそめると、フミは口元を歪めた。


「なんだ、おばさんいないのか?」


 俺は口を挟んだ。


 葉那がこちらを向いた。


「親戚の親戚の親戚に不幸があったらしくてね。月曜から家空けてるのよ」


「それは他人というのでは?」


「私たちと父さんにとってはね。母さんにとってはお世話になった人らしいから。その手伝いに行ったのよ」


「なるほどな」


「ちなみに父さんは出張中よ」


「彼女を連れ込むチャンスじゃないか」


「いないよそんなの」


 不貞腐れたようにフミはムッとした。彼女がいないことを指摘されたようでムカついたのではない。連れ込んだ後の話を友人たちとするのが恥ずかしい、そんな難しいお年頃なのだろう。


 まだまだフミもお子様というわけだ。これが救急車で運ばれる前の葉那だったら、


『そういうことしてくれるお姉さんを呼んだら不味いかな?』


 くらいは返してきたものなのに。


 まあ、葉那については小五の頃から、俺が持つすべての知識をフル動員し、あの手この手でおかずを与えてきた。葉那が中学に上がったときは専用のパソコンを手に入れたので、そこからは天下であった。


 そういう意味では、葉那の性教育は俺が施したと言っても過言ではない。


「でも中二で――」


 と口を開きかけて、言葉を飲み込んだ。


 世間一般的な両親が揃った家庭で、息子ひとり置いて長期間家を空ける。小学生ならありえないだろうし、高校生ならそのくらい、となるかもしれない。でも中学生はどうなのか。その辺りの感覚がわからないだけに、その間だけ葉那が戻るか、部屋に泊まらせるほうがいいのでは?


 雑談くらいの軽い気持ちで口にしそうになったが、それが難しいことをすんでのところで思い出した。こうしていると問題のない姉弟に見えるが、ふたりにはまだまだ溝がある。久しぶりに泊まった我が家は、居心地が悪かったと葉那は言っていたではないか。


「どうしたの、ヒコ?」


 急に言葉を飲み込んだ俺に、葉那は不思議そうにする。


「いや、中二の身で、そんな悠々自適な時間が出来て羨ましいと思っただけだ」


 咄嗟にそんな思ってもいないことを口にした。十数年もひとりで生きてきたから、親が側にいてくれるありがたさは身にしみている。


「そんな身体の悪い食事は、まさにひとりの特権だな」


 半額弁当とカップ麺の組み合わせは、飽きるほどに食べてきた。あんな食生活には二度と戻りたくないが、中学生ならこれも楽しい食生活なのかもしれない。


「最初はそうだったけどさ」


 そう思ってたのだが、フミはうなだれるように息をついた。


「なんか四日目辺りで飽きたね。もうそこそこの味で腹が溜まればなんでもいいやって感じ」


 カレーヌードルとからあげ弁当とコーラーがふたつずつ入ったカゴを、フミは強調するように持ち上げた。


 どうやらその組み合わせが好きなわけじゃなかったのか。


「だったら弁当屋で買えばいいだろ。作りたてはやっぱり美味いぞ」


「毎回待つの面倒くさいじゃん。それにここだったら全部揃うし」


「近頃の若者ときたら、そのくらいの我慢も足りんのか……」


「ヒコくんも若者じゃん」


 澄ました表情でフミは言った。


 弟がこんなのでいいのかと隣を見ると、


「わかるわー。私もひとり暮らしを始めたときは弁当屋で買ってたけど、なんか待つのが億劫になっちゃったもの」


 葉那は腕組みしながらうんうんと頷いていた。


「結局飲み物買うのにスーパーに寄るから、ここで全部揃えるようになって。最後にはスーパーに行くのも面倒くさくなって、近くのコンビニで買ってたもの。あの日食べたおばさんのご飯が、美味しくて仕方なかったわ」


「そういやそうだったな」


 あまりにも美味しそうに食べる葉那に、母ちゃんもニコニコしていた。いつもなにを食べているのか聞いたら、その顔も一気に痛々しいものを見る目に変わった。そりゃ母ちゃんも、これからはうちで食べなというわけだ。


「まともな食生活に戻ったら、わかりやすく身体の調子がよくなったわ」


「健康は日々の食事が作るもんだからな」


 未来に希望を見いだせず、ストロングのロング缶を接種し続けてきた日々を思い出す。


「しょうがないわね」


 葉那は同情するように、いや、共感したように声を漏らした。


「今日の昼と夜は私が作るから、それは戻してきなさい」


「……え?」


 呆気に取られたようにフミは口をぽかんとした。


「弟がそんな食生活をしてるって言われたら、さすがに放って置けないわ。うん、あのときのおばさんの気持ちがよくわかった」


 ひとり納得したように葉那は深く頷いた。


 兄と呼ばないよう気をつけろといった身で、弟と口にしたことは気づいていないようだ。そのくらい見過ごせないことなのだろう。


 急な提案にフミは狼狽えている。


「い、いやいいよそんなの」


「これ以上ゴミ箱をそんなもので埋めようものなら、帰ってきた母さんが嘆くのが目に浮かぶわ。どうせ弁当の容器だって、洗って分別もしてないんでしょ?」


「え、洗わないとダメなの?」


「ほら、見なさい」


 鬼の首を取ったように葉那は鼻で笑った。


 一年前までそんなことも知らなかったのに、よくも偉そうに振る舞えるものだ。まあ俺も三十三年間、環境を甘やかしてはいけないと理念を掲げて、なんでも燃えるゴミに出したものだが。


 これからの社会を担う人間として、互いに成長したということにしておこう。


「急で悪いけど、ヒコもそれでいい?」


「さすがにこの不摂生はな」


 フミのカゴの中身を見ながら頷いた。


「しょうがないから、フミもうちで食わしてやるか」


「一応家庭の問題だから、そこまで迷惑はかけないわ」


「ん?」


 どういう意味かと葉那を見ると、腰に手を当てながら言った。


「今日の昼と夜は、実家うちで作るわ」

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