本編 後日談
01
推しの百合カップルが無事、よりを戻した週の土曜日。
休みの日だからといって惰眠を貪ることもなければ、テスト明けの解放感に飲まれるがまま街に繰り出すわけでもない。リビングで勉学に励む模範的な優等生ムーブ(遊んでくれる相手がいない)を午前中からかましていた。
没頭というほどではないが、時間を忘れていたのはたしかである。
「ヒコー、お昼どうする?」
後ろから声をかけられ時計を見ると、短針は頂点を達していた。
もうこんな時間かと思いながら、葉那へ振り返った。
「今日は遅くまで母ちゃん帰ってこないからな。適当に済ませるつもりだったが、おまえも食べるならちゃんと作るか」
「別に私が作ってもいいわよ?」
葉那はソファーの背もたれに寄りかかっていた。
「いや、気分転換だ。俺がやる」
「そう? じゃあ、夜は私が作るわ」
「なら、今日はそういう分担で」
伸びをしながら立ち上がると、冷蔵庫へ足を向けた。
「さて、なにを作ろうかねー」
まずは冷凍庫の中身を見て、米がないのは確認できた。今から米を炊くと時間がかかるから、この時点でご飯ものが選択肢から外れていた。葉那も食べるのに、炒め野菜を乗っけただけの袋麺はつまらない。
そうなると主食は決まったようなものだ。
「葉那、和風と洋風、どっちがいい?」
「もしかしてパスタ? だったらガツンと洋風の気分ね」
「わかった。ひき肉が合ったらミートソース。なかったらナポリタンな」
「おっけー。楽しみにしてるわー」
ソファーでファッション雑誌に目を落としたまま、葉那はひらひらと片手を振ってみせた。
頭の中ではもう、昼食のビジュアルが浮かんでいた。
付け合せのサラダに、コンソメスープ。そのど真ん中に並ぶのは、果たしてミートソースか。はたまたナポリタンか。
「さあ、ご注文はどっち!」
と独りごちりながら冷蔵庫をオープンした。
パッと見、ひき肉なるものがないのは明白だった。
「よし、ナポリタンだな」
今朝、食卓に並んだばかりのウインナーを求め、冷蔵庫の一角を漁る。
どこのご家庭でもそうだと思うが、冷蔵庫は主婦の縄張りだ。自分が使いやすいよう、かつ食材がどこにあるかわかりやすいよう整理整頓されている。子供はもちろん、たとえ大黒柱であろうとそのポジショニングを弄ることは許されない。
「ありゃ、朝食べたので最後だったのか」
だからその一角に見当たらなければ、ウインナーがこの家にないということだ。
「……こっちもないかー」
だったらその代替品を求めるも、ベーコンもハムも見当たらない。
ミートソースかナポリタン。すっかりその口になっていたところ、手鼻を挫かれてしまった。
だったら作戦変更。まずはなにがあるのかと、改めて冷蔵庫の中身をチェックする。
そうやって冷蔵庫とにらめっこすること十数秒。
「うわ、マジかー」
気づけば眉根が寄っていた。
「どうしたのヒコ?」
ソファーから不動でこそあるが、葉那はなにかあったと察したのだろう。振り返ると雑誌から顔を上げ、こちらに不思議そうな顔を向けていた。
「大変だ、葉那。我が家には今、豚さんと鶏くんがいないようだ」
「お牛様は?」
「もちろん、おられない」
「えー、ほんとー。マジかー」
その意味を理解して、葉那もまた眉根を寄せた。
食事はただ栄養を得るのではない。同時に楽しみという心の栄養も得られるのだ。
豚さんも鶏くんもお牛様もいないパスタというものは、その栄養を大きく損なうことに繋がる。
悩むように唸った先で、苦渋の選択のように葉那は口にした。
「シーチキンは?」
「……ないな」
「ないかー」
引き出しをチェックした結果を告げると、ガックリと葉那は肩を落とした。
「納豆パスタなら作れるが」
「そういうヘルシーなのじゃなくて、動物性タンパク質がほしいところね」
ガツンと洋風の気分だったところ、シーチキンすらない我が家の現状。葉那をパスタで満足させるのは最早不可能に近い。
もちろん、俺も同じ気持ちである。
「ちょっと買い物行ってくるわ」
下手なもので腹を膨らませるくらいなら、お腹を空かせる時間を伸ばしたほうがいい。もうそういう気分になっていた。
「だったら私も行く」
葉那はパタンと閉じた雑誌をテーブルに置いた。
「別に気使わなくても、俺ひとりでもいいぞ」
「だって夜は私が作るもの。今聞いた冷蔵庫の中身じゃ、ろくなもの作れないじゃない」
「それもそうだな」
「ずっと家に籠もっているのもあれだし、散歩がてら一緒に行くわ」
本人がそう言うのなら断る理由はなにもない。
むしろ昼をどうするか、夜はなにを食べたいか。食材を見ながら相談できるのだから、メリットしかない。
こうして俺たちはお肉様を求めて、腹を空かせながら家を出た。
太陽が頭上にあったはずなのに、この家に戻ってくる頃にはそれも深く沈み。葉那だけは帰ってくることはなかったのだ。
不穏なことは一切ない。
葉那の人生の課題、大きな一歩が前進しただけの話だ。
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