65 お別れしよう
百合の背中を追うように、里梨は歩を進めていた。
いつもであれば仲睦まじく隣り合っているのに、この形こそが今のふたりの距離を表しているように見えた。もしかしたら里梨にとって、百合の後ろを歩くのは初めてかもしれない。
百合が足を止めたのは、かつてふたりがよく逢瀬を重ねていた場所。百合ヶ峰の伝説の樹の下である。里梨はそんな百合から、人ひとり分の距離開ける形で歩みを止めた。
「あの、わたし……その」
里梨に振り返った百合は、言葉が見つからぬまま口を開いた。沢山話たいことはあるのに、なにから手を付けていいのかわからない。里梨をここまで連れ出すだけで、百合にとっては大仕事だったのだろう。
そんな百合の思いがわかったからか、
「マナヒーから、話は聞いた?」
淡く微笑みながら、里梨から話を切り出した。
緊張が走った百合は、硬い表情を浮かべながらも頷いた。
「里梨と会ったって……昨日、どんな話をしたのか全部聞きました」
「そっか、あの後すぐ全部話したんだ」
意外だったのか、里梨は目を瞬かせた。
「マナヒーなりに整理してから、百合に話すと思ってたんだけどな」
物思いに耽るように里梨は顔を俯かせた。
本人がいないからこそ、あけすけな言葉を使った。里梨にとって昨日の話は、百合にそのまま聞かせるつもりがなかったのだ。お互い承知の上だと思っていたからこそ、百合をなるべく傷つけないよう言葉を選んで、伝えられると信じていた。
その信頼が裏切られた。そんな横顔が浮かんでいないのは、すべて正直に伝えた意図がわかったからだろう。
「ごめんね、百合。私がもっとしっかりしてたら、今頃私たち……笑っていられたはずだったのに。私が、ダメにしちゃった」
悔いるような里梨の声音。
百合は打ち消すようにゆっくりとかぶりを振った。
「それを言ったら、里梨に依存しすぎたわたしが悪いんです。この想いは恋心だって、勘違いしちゃったから」
「ううん、百合は悪くない。百合の境遇を考えたら、仕方のないことだから。魔が差した私が悪いの」
「里梨、そういう言いっこは、止めにましょう。喧嘩両成敗、ですよね?」
「そうだった。一本取られたな」
昨日自分で口にしたことを返されて、里梨は苦笑しながら片手で後頭部を撫でた。
本当に全部話したと、それだけで伝わったのだろう。なんともいえない表情で、里梨は何度も口を開けては閉じてを繰り返す。
ようやくなにを声にするべきか決まったのか、里梨は薄っすらと微笑んだ。
「マナヒーってさ、優しいよね」
「そうですね。愛彦くんは凄い優しい人です」
共感した思いを示すように、百合は口元に微笑を浮かべた。
「それも相手の気持ちを大切にしてくれる優しさです」
「マナヒーとふたりっきりで話したのはさ、実は昨日が初めてなんだけど……自分の欲求よりも、相手の幸せを考えられる人なんだなって。今改めて、よくわかった」
里梨は伏し目がちな顔を、ゆっくりと上げた。
つま先から頭部を見渡した相手が、なぜ今ここにいるのか。その理由を再確認するように納得げな顔だ。
「廣場さんが余計な遊びを提案しなければ……まさに夢見た恋ができたんだろうな」
「人生最大のチャンスを自分で潰したって、向こうは嘆いてましたよ?」
「ほんと、なまじ向こうも満更じゃないから、余計悔しくなってきちゃった」
「愛彦くんのこと、好きですか?」
「うん。昔と同じく、また大好きになれた一番の男の子」
ハッキリと口にすることが面映そうにしながらも、里梨は嬉しそうに笑った。
「百合はどう? マナヒーのこと、好き?」
「はい。愛彦くんは一番大好きな男の子です」
頷いた百合もまた、そんな里梨の顔に倣っていた。そこに違いがあるとしたら、その先に続きがあったことだ。
「だけど、一番大好きな人は里梨です」
最愛の人へ送る、熱を帯びた眼差し。
それを受け取った里梨は、ハッとしたように唇を固く結んだ。
「里梨がどんな考えを持って、このまま離れようとしたのかは承知してます。それでもわたしは、あなたの側から離れたくない」
百合にこのように請われるのがわかったから。
自分への想いが断ち切れないからこそ、今眼の前に彼女がいる。それはわかっていたはずなのに、里梨は少し驚いたように目を見開いた。
「意外……だったな」
「なにがですか?」
「百合がそう思っているのはわかってたけど、それを私の前で口にできない。私が知ってる百合は、そんな強い子じゃなかったのにな」
強くあることはいいことだ。でも今はそれに、喜べばいいのか悲しめばいいのか。里梨はそんな曖昧な顔をした。
「だから諦めてマナヒーを選ぶしかできない。そう仕向けたつもりなんだけど……ちょっと離れてる間に強くなったね、百合」
そんな褒め言葉に、百合は否定するようにかぶりを振った。
「里梨が側を離れてから、わたしはなにも変わってません」
「変わったよ。あんな風に私を連れ出すなんて、前の百合じゃ考えられないもん」
「そうかもしれません。わたしひとりだったら、あんなことをしようなんて考えもしなかった」
百合は校舎側に向かって、顔を上げた。
「このまま終わりたくない。そう思いながらも、動けずにいた背中を押してくれる人がいたから。なんとかここまで来れたんです」
「マナヒーか……」
百合に釣られるように、里梨は屋上へ顔を向けた。
屋上からずっと君たちを見守ってきた。そう言ったから今もそこにいるのかもしれないと思ったのだろう。
「『俺は美しい百合を愛でる主義なんだ。枯れてない花を手折って、ふたりで桜を咲かせるには判断が早すぎる』。愛彦くんはそう言ってくれました」
百合は改めて決意をしたように、小さく息を吸い込んだ。
「わたしたちはまだ終わってない。あなたの気持ちはわかった上で、今度はわたしの気持ちを伝えにきました」
その目には迷いも弱々しさもない。
「わたしは里梨と別れたくない。里梨を諦めたくありません。これからもずっと、恋人として側にいてください」
請うではなく、願いを差し出すように百合は頭を下げた。
自分の
里梨が口を開くまで、いつまでもそうしていると言うようだった。
里梨はそんな百合を見て、動揺することもなければ、悲しげなものを前にした顔を浮かべるでもない。
ひとりでここまでやってきて、真正面から願いをハッキリと口にした百合に向かって、
「百合の気持ちはわかった。その上で私の答えは――」
里梨もまた決意したように表情を引き締めた。
「お別れしよう、百合」
もう恋人でいられない。その想いに報いれないとハッキリと口にしたのだ。
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