64 ちゃんと話そうか

 空が茜色に満たされた放課後。


 部活が終わり帰路に着くため、上透里梨は校門へと向かっていた。同じ陸上部のクラスメイト、マキと並びながら、部活中に遭遇したカルガモ親子についてはしゃぐように語り合っている。


 お互いの顔を見合って、前方不注意に歩いていたからか。その存在に先に気づいたのはマキのほうだった。


「あれ、真白さんじゃない?」


「……え?」


 思わぬ名前が上がったことに、里梨はドキリとした声音を発した。


「ほらほら、あそこ」


 その動揺に気づかぬマキは校門に向かって指を差した。


 遠目からでもわかるほどに、茜色の世界から浮かぶように咲く白い花。誰かを待ちかねているかのように、校門を背に顔を俯かせていた。


「守純くんを待ってるのかな?」


 マキは物見高い目を百合へと送った。その名を呼ぶことに嫌悪がないのは、ひとえに里梨が誤解を解いたからだ。


 百合ヶ峰の男子と女子のツートップ。ふたりがどのような交際しているのかは、愛彦の誤解が解けた後も女子の間では興味が尽きないネタだった。廣場葉那という存在がいるからこそ、いつか修羅場になるのでは。タイトロープな見世物気分を楽しんでいるのだ。


「あれ、でも守純くんって、部活とかってやってないよね?」


「うん、そうらしいね」


「テスト期間も終わったのに、なんでこんな時間まで残ってるんだろ?」


「……そう、だね。なんでだろう」


 曖昧な口調で里梨は答えた。


 マキの中では、百合に待ち人がいるとしたら愛彦しかいない。だから愛彦を待っているんだ、以外の考えは及ばないのだ。


 それはマキだけが特別ではなく、百合を知る学園中の総意とも言える。


 でも里梨の考えは違った。愛彦を待っているんではないと直感した。


 それに気が重くなった里梨は、百合から視線を外すように目を伏せた。


 一歩、また一歩進んでいく中で、マキのように自分は関係ないという顔を装った。


「あ」


 そんな音が届く距離で、百合はこちらに気づいた。


 素知らぬ顔は出来ぬと見上げると、真っ直ぐとその顔がこちらを向いている。


 こうして向かい合ったのは久しぶりだった。


 なんだかその顔を見るのに、里梨は懐かしさすら感じた。


 唇を固く結んだ百合は、覚悟を決めたようにそれを開いた。


「っ……里梨」


 振り絞るようにその名を呼んだのだ。


 久しぶりにまみえた相手を前にして、浮かんでいるのはなんともいえない顔。喜んでいるわけでも、怒っているわけでも、哀しんでいるわけでも、ましてや楽しそうにしているわけでもない。


 ただ、求めている。それだけは伝わった。


「なになに? リリィってば、真白さんと仲良かったの?」


「え、っと……まあ、うん」


 名前を呼ばれたことで、親しい仲であったことがマキに伝わった。面食らったようなその顔に、里梨は曖昧な返事しかできずにいた。


 百合と友達になったことは、ずっと周りに隠してきた。百合のことを友人たちに紹介しても、今の百合では上手くいかないと思ったから。自分を通して成長するまでは、百合との関係は伏せてきた。


 恋人となったことで、それが隠さなければいけない関係になった。なにかの拍子に明るみになって、学校というコミュニティから迫害されるのを恐れたからだ。


「なんだー、もっと早く言ってくれたらよかったのに。可愛い子の独り占めはずるいぞー、リリィ」


「は、はは、ごめんごめん」


 肘で突かれながら、里梨はなんとか笑顔を取り繕った。


 そんなやり取りを前にした百合は、ずっと里梨から目を離さない。余裕がないというよりは、緊張で前しか見えていないかのようだ。


「あの、里梨……話がしたいんです」


 そうして百合は乞うように言った。


「お願いします。時間を作ってください」


 里梨に向かってその頭を下げた。


 これに大きく戸惑ったのは、里梨ではなくマキのほうだった。自分の存在が見えていないかのような、深刻なその姿に目を丸くした。


「……痴情のもつれ、的な?」


「ち、違う違う! そういうのじゃないから!」


 慌てて手を振りながら里梨は否定した。図星をつかれたからこそ、大袈裟な身振りをしてしまった。


 いつまでも頭を下げている百合を見て、マキはその否定を信じていない表情を浮かべた。


「そっか……真白さんと廣場さんだけじゃなくて、リリィまでもか。三大花美のすべてを虜にするとか罪な男だね、守純くんも」


 誤解したクラスメイトは、どうぞどうぞと両手を差し出しながら百合の隣を素通りした。


「あとはお若い人同士で、ごゆっくりー」


 修羅場に巻き込まれまいと、そんな言葉だけを残して去っていった。


 明日登校したら、数の暴力で面白がって追求される。それだけは確信できた里梨。


 その悩みに頭を抱えることがなかったのは、それよりももっと大きな問題を前にしているから。


「そうだったね……私たち、一度も話し合ってなかったもんね」


 まだ頭を下げ続けている恋人だったものへ、優しく声をかけた。


「最後くらい、ちゃんと話そうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る