62 夜の散歩
「こんばんは、愛彦くん」
「ああ、こんばんは、百合」
マンションの出入り口から出てきた百合を、片手を上げて出迎えた。
時刻はもう七時を回っている。女の子を外に呼び出すにはアレな時間だが、百合の顔は非常識を訴えてはいない。それどころかプレゼントを貰えるかのように、嬉しそうな微笑みが浮かんでいた。
十年後の未来はこ◯亀もい◯ともも終わっている。そんな人生のネタバレをした後、百合に今から会えないかと連絡を取ったのだ。時間的に非常識なのはわかっていたが、それでも善は急ぎと動かずにはいられなかった。
電話をかけた結果、百合の対応は見ての通り。
「悪いな。いきなり話したいことがあるなんて呼び出して」
「いえ。放課後の時間を取り返せて嬉しいです」
胸元で五指を合わせながら、満面に笑みを咲かせた。
話があるなら家に上がってくれと電話では言われたが、そこは固辞した。そこで深く誘ってこなかったのは、その理由がわかってるからだろう。
「ちょっと歩こうか」
「どこへ行くんですか?」
「ノープランだ。その辺をぶらぶらすることしか考えてない。それともどこか、腰落ち着かせられる店のほうがいいか?」
「愛彦くんにお任せます」
「なら、夜の散歩に洒落込もう」
百合が隣に並んだのを出発進行の合図とし、俺たちは歩き出した。
進行方向は最寄り駅とは真逆を行った。折角の散歩なら歩き慣れた道より、知らない場所を歩いたほうが面白いかもしれない。
ご飯はもう食べたのかとか、テストの自己採点はどうだったとか、他愛のない話を初めて早十分。
「ちょっとワクワクしますね」
糸のように細い月を見上げながら百合は言った。
この現代社会、真の暗闇を住宅地に求めるのは難しい。家々から漏れる明かりに、等間隔で設置されている街灯。雲ひとつない空に浮かんでいる星々の光は、そんな人工的なものによって眩んでしまっている。
「夜のお散歩は初めてだから、なんだか楽しいです」
世界がそんな明かりに塗れているからこそ、夜の道を行く恐怖はないのだろう。未知の体験をしていることに、百合ははしゃいでいる。
「なんだ、夜の散歩は初めてだったのか」
「日が沈んだ後、ひとりで歩くのはさすがに」
「たしかに女の子の夜のひとり歩きは危ないもんな。楽しんで貰えてるようならなによりだ」
家に上がるわけにはいかないからやむを得ず散歩の形になってしまったが、これはこれで悪くなかったのかもしれない。いきなり面と向き合って話を始めるのは、互いに心の準備が足りないから。
「最近、暖かくなってきたな」
「もう三月ですからね」
「後少しで今年度も終わりか」
「来月にはわたしたち、二年生ですよ?」
「二年生ってことはクラス替えか」
「あ、そうだった。クラス替え、あるんでしたね」
「また一緒のクラスになりたいな」
「……なれなかったらどうしよう。愛彦くんがいなかったら、またクラスでひとりになっちゃう」
「俺もだ。そうなったら困るから、みつき先生に頼んでみるか」
「お願い、聞いてくれますかね?」
「百合がクラスで孤立してたのは、ずっとみつき先生も気にかけてたらしい。だから俺と一緒にいて、楽しそうにしてるのを見て嬉しいな、ってさ。伊藤の件も学園長から聞いてるようだし、頼めば聞いてくれそうな気がする」
「神様仏様、愛彦くん様頼みですね」
「任せてくれ」
目的もなく歩いているからこそ、こういった他愛のない話はしやすかった。
「あ、そうだ」
思い出したような顔で、百合は手を合わせた。
「日景さんはどんな用事だったんですか?」
「ああ。あの後、決闘を申し込まれた」
「決闘!?」
百合は驚きを閉じ込めるように、口元に手を添えた。
「しかも相手は四人。全員、葉那にガチ恋した男たちだ」
「廣場さん、凄いモテモテですね。それで、どんな決闘を?」
「まあ、色々と協議した結果、スマ◯ラで決着をつけることになった」
「あ、あのゲームですね」
貸し出されているゲームの中に混ざっていたから、百合はすぐに思い至ったようだ。
「視聴覚室にゲーム機を持ち込んで、大画面でやったんだ」
「愛彦くん、悪い子ですね。学園長にバレたら怒られちゃいますよ?」
「ここだけの秘密な」
口元に人差し指を当てると、百合はおかしそうに微笑んだ。
「結果はどうなったんですか?」
「俺の圧勝だ。クソ雑魚すぎて話にならんかった。その後は、他のゲームでワイワイやって解散だ」
「あの後、そんな楽しそうなことをしてたんですね。羨ましいです」
拗ねたように百合は唇を尖らせた。
「今度は百合も一緒にやろうな。うちに来たら葉那もいるしさ。そのときにあいつを紹介するよ」
「本当ですか! 約束ですよ」
「ああ、約束だ」
百合は胸元で両手を合わせながら、今にも飛び上がりそうなほどに喜んだ。
そんな顔を見るとこちらまで嬉しくなってきた。いつまでもそうして笑っていてほしい。そう思ったが、一時の感情に流されるわけにはいかない。
改めて腹を決めたとき、丁度公園が目に入った。
顔を向けると百合も承知してくれたのか、隣に寄り添いながら付いてきてくれた。
遊具はブランコとすべり台とシーソーだけ。そんな小さな公園だ。
近くのベンチに隣り合って腰掛けた。
「帰りにさ」
先程の続き。そんな気軽さで口を開いた。
「里梨と会って、話してきたんだ」
息を呑む音がした。
顔を向けると声にならない声を押し込むようにして、百合は固く口を結んでいた。
「……里梨は、なにか言っていました?」
今まで避けてきた話題を急に振られ、平常心を保とうと努めた顔で百合は聞く。
数時間前に里梨と話したことを、包み隠さず語った。
話を終えるまで百合は一切、口を挟むことはない。
感情も大きく表に出すことなく、なにを口にしても平静な様子だった。
遠巻きからその幸せを祈っている。里梨は元の関係に戻る気はないと知った最後まで、平常心を保ち続けていた。
こうなることはわかっていたと言うように、百合はそっと顔を俯かせた。
「そう、ですか。わたしの気持ちは、ただの依存心だったんですね」
しばらく無言が続いた後、自分に言い聞かせるように百合は言った。
「里梨には悪いこと、しちゃったな」
「悪いこと?」
百合は膝に置いた手を、ギュッと握った。
「里梨はちゃんと、自分以外の友達を作ろうって考えていてくれたのに……わたしが自分の気持ちを勘違いしたせいで、里梨に間違った道を選ばせてしまった」
「間違ったなんて、そんな――」
「やっぱり、女の子同士なんておかしいんです。だって周りに知られちゃいけない関係なんて、間違ってるからじゃないですか」
そんなことはない。
「里梨は……本当は男の子が好きだったはずなのに」
そう口にする前に、百合は後悔を吐き出した。
大切な人が自分のために、間違った道を選ばせてしまった。その罪悪感に苛まれるように、百合は唇を固く結んだ。
「悪いことをしたっていうなら、俺たちが一番悪いんだ」
そんな姿を見せられ、俺のほうが自責の念に駆られてしまった。
「葉那と一緒に嫉妬を煽る遊びなんてしたせいで、それを見た里梨を傷つけた。それがなければ今頃、百合たちは友達同士でいられたんだ」
「そうしたら今頃、里梨の恋人は愛彦くんでしたね」
顔を上げた百合は、うっすらと笑った。
「惜しいことしましたね」
「ああ……人生最大のチャンスを自分で潰しちまった」
自虐的な乾いた笑いを浮かべた。
「里梨のような、自慢の恋人が欲しいだけの人生だったのにな。やっぱり、悪い行いには悪い結果がついて回るもんだな」
ふと、そこで思い至った。
七つの大罪には、嫉妬がある。それを弄ぶような人間には、天からの罰が下るようになっているということかもしれない。
「だったら、わたしはどうですか?」
それはポンと、優しく投げられるように降ってきた。
「愛彦くんの自慢の恋人になれませんか?」
膝上の左手に、百合の温かい手が重ねられた。
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