59 私がなんとかしてあげる
「過ぎてしまったことは仕方ない……とは言わないわ」
覗き込むというよりは、顔を俯けたまま葉那は言った。
「でも今は、後悔よりも反省。真白さんの依存先がヒコになるのは間違いないことなんでしょう?」
「……今の時点で、ほぼそうなってる」
「この先、真白さんに好きだって言われたら……ヒコは、受け入れられるの?」
受け入れるの、ではなく、受け入れられるの、と問われた。まるでこうなった責任を取るのかを聞かれているようであった。
「その気持ちは依存心だって、ちゃんと教えるつもりだ」
「それでもいいから、側にいたいって言われたら?」
はぐらかすのは許さない。こうなるのはわかっているだろと言うように、葉那は真っ直ぐと見据えてきた。
その視線から逃げることもできず、かといってこれ以上はぐらかすわけにはいかない。
百合をどうしたいのか。その答えが自分の中で出ていないからこそ、
「百合を……都合のいいお人形さんにはしたくない」
今の気持ちを告げることしかできなかった。
「そう……」
葉那は独り言のように呟いた。
百合の幸せではなく、自分の気持ちを優先したいと吐き出した。葉那はそれに呆れるでもなければ、軽蔑することもない。
「わかった。ヒコがそうしたいって言うなら、私がなんとかしてあげる」
心を決めたように微笑んだ。
「今の真白さんは、ひとりで夜を過ごすのが、休みの日に隣に誰もいないのが寂しいのよね? 上透さんが離れた今、その役目を全部ヒコに求めてる。そうなるってヒコも上透さんも、確信してるんでしょ?」
「あ、ああ」
なんとかしてあげる。そう告げられすぐ矢継早に問われたものだから、戸惑ってしまった。
「都合のいいお人形さんにしたくないって言うけど、真白さんはそれでも幸せなのよ。ヒコだって真白さんと付き合えるのは満更じゃない。ウィンウィンなのに、なにが不満なの?」
「なにが不満って……だって、可哀想な状況につけ込む形になるんだぞ?」
「ヒコ、いつも言ってるものね。かわいそうで抜けるのは、二次元とAVだけだって」
葉那はおかしそうに一笑すると、
「付き合うにしても、同情だけは抱えたくないのね」
返事はいらないと目顔で言った。俺がそのような感情を百合に向けているのを、喜んでいるかのようだ。
なぜそんな風に喜んでいるのか。その気持ちがわかった。
葉那はこんな風に生まれてしまった境遇を、俺にだけは同情されたくなかった。再会してからも、廣場花雅として築いた変わらぬ友情を求めた。マサとして、俺と対等の友人でいたかった。
だから、自分が女であると知らされてから患ったうつ病を、俺にだけは知られたくないとひた隠しにしてきた。同情されたら最後、もう今まで通りの関係には戻れない。廣場花雅としていられるただひとりの友人に、可哀想な奴と扱われたくなかったのだ。
そんな葉那の思いを汲まなくても、俺は同情など一度もしてない。ただ、あのときの葉那を、このままじゃいけない。友人に手を差し伸べて、引っ張り上げたのだ。葉那のために、それ以上に自分のために。
それ以来、葉那も弱みを見せないことが、対等でいることではないとわかってくれたのか。今の自分の精神状態や通院等について、教えてくれるようになった。
『なにか困ったことがあったら言ってね。ヒコのためなら私、なんでもするから』
こんな台詞も、恥ずかしげもなく吐くようになったのだ。
「だったら、毎日この家に連れてきたらいいじゃない。ここでご飯を食べて、夜は一緒に過ごして、そして泊まっていって貰うのよ」
「毎日って……おまえ、それだと困ることが――」
「その場には必ず私がいるわ」
見開いた目が、得意げな顔をする葉那を捉えた。
「真白さんはヒコとふたりになりたいんじゃない。ひとりになりたくないんでしょ? だったら三人一緒にいれば、問題ないじゃない。この家に泊まるのが不味いと思うなら、私の部屋に泊めてあげる。土日は三人で遊びに行ったり、一日中ゲームしたり、肩を並べてご飯作ったりさ」
そのときの光景を思い浮かべているのか、葉那は微笑ましそうな目を浮かべている。
「
「それは……助かるけど」
そのことについては問題があった。
「おまえの友達に紹介したら、ますますややこしいことになるだろ」
悲劇のヒロインぶってばら撒いた誤解は、なにひとつ解けていないのだ。ここで葉那が百合を友達に紹介したら、余計問題が大きくなりそうだ。
「大丈夫、私たちの誤解はしっかり解くから」
「どうやってだ? 生半可なやり方じゃ解ける気しねーぞ」
「たとえば……そうね。私とヒコがこうして親しいのは、共通の男の子を通じた関係はどう?」
「共通の男の子?」
「その男の子は、ヒコの親友であり、廣場葉那が恋していた相手。ずっと三人で楽しくやってきたけど……その男の子はね、ある日突然倒れて、救急車に運ばれて……そのまま死んじゃったの」
背もたれで頬杖をつきながら、名案でしょとニヤりと笑っている。
「葉那、おまえそれって……」
その設定がなにを下書きにされたものか。絶句しそうになりながらも、なんとか声を振り絞った。
「私はその相手を今でも忘れられないで、心に深い傷を負ってる。ヒコはそれを知っているからこそ、いつか立ち直れるように気にかけてくれている。どう、悪くない設定でしょ?」
「ダメだって……それだけは絶対にダメだ」
「その上でさ、真白さんには私の生い立ち、全部伝えてもいいわよ。そうしたら真白さんも、気を使わなくて済むでしょ」
俺の静止など聞こえていないように葉那は続けた。
対外的には、廣場花雅は死んだようなものだ。療養中とは周りに伝え広めているが、かつての友人たちとは二度と廣場花雅として接することができない。その現実を改めて、それも目の前で突きつけられて、葉那はあの夏の日に泣いたのだ。その姿を俺に見られ、心が折れて死にたいと何度も口にした。
「なんでそこまで……」
今はこうして立ち直ったが、大概的な設定とはいえ廣場花雅を殺すなんて……それも身の上を百合にすべて伝えるなんて、葉那はしようとするのか。
「言ったでしょ。ヒコに困ったことがあったなら、私はなんでもするって」
強がりでもなんでもない。ようやくその日が来たことに、
「たしかに家族や友達を殺せって言われたら無理だけど、
葉那は誇らしそうに笑ってみせた。自分の精神状態はそこまで回復した。それを見せつけるように。
「真白さんが好きだって言いそうな兆候があったら、私がちゃんとその想いは依存心だって教える。一旦その気持ちを保留にして、まずは沢山の友達を作りましょうって」
「俺がその間に、誰かに取られるかもしれないって強迫観念が働いたらどうするんだ?」
「ヒコを欲しがる女は誰もいないから安心してって言うわ」
火の玉ストレートを受けて苦い顔を浮かべる俺に、葉那はドヤ顔を見せた。
「その先でヒコが好きだっていうなら、その想いは本物だから。そのときの真白さんはもう
まだなにかある? と目顔で問われたが、葉那は百点の答案を出したように自信満々だった。
葉那ひとりがいることで、自分が問題にしていた部分がすべてクリアされた。これ以上ない答えであり、葉那はそこまで献身的に助けてくれる気だと言ってくれたのだ。
百合がたどるはずだった人生を、狂わせてしまった。その帳尻を合わせる責任は、それできっと果たせるかもしれない。
でも、それでようやく半分。
決定的なひとりは欠けたままであり、
『それじゃ、次もまた三人で遊びに行こうね。約束だよ』
約束が果たされることはない。それだけがどうしても納得ができなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます