54 謝るの禁止

 学校を出る頃には、空は茜色に染まっていた。


 御影はスマ◯ラだけではなく、気を利かせて他のゲームも持ってきてくれていた。そんな中、チョイスされたカー◯ィのエアライドが死ぬほど面白くて、気づけばこんな時間になっていたのだ。


 今度スマ◯ラのコーチングをするために、御影の家に集まる約束までした。決闘を申し込まれたときは痛すぎる頭痛に苛まれたが、終わってみれば有意義な時間だった。


 下駄箱で先輩方に話しかけられた葉那を置いて、こうしてひとり帰路についている。


 楽しかった高揚感が落ち着くと共に、明日からの百合の対応をどうしようか。その悩みに耽っていた。


 きっと放課後や休みの日を、一緒に過ごしたがるだろう。里梨とすれ違っている間に、そんな要望を応え続けるわけにはいかない。その行為は、ふたりの溝を掘り続けるようなものだから。


 ふたりの間を取り持つことが、俺が取るべき正しい行動だとわかっているが……余計なことをしたせいで、決定的な別れに繋がるかもしれない。そんな考えばかりが浮かび、二の足を踏み続けていた。


「はぁ……どうしたもんかな」


 このままではいけないとわかっているのに、このまま流され続けている。


 そんな自分に嫌気すら差していると、


「そんなため息をついて、どうしたの。マナヒー」


 後ろから声をかけられた。


 振り向くまでもなく、声に思い至るまでもなく、その呼び方ひとつで誰であるかわかった。


「里梨?」


「やっほー。今帰り?」


 隣に並んできた里梨は、爛漫な笑みを浮かべていた。


 裏表はそこにはない。昼前に下駄箱で会ったときも、こうして自分たちはやり取りしていた。そんな錯覚を覚えるほどに自然なものだった。


「なんでこんな時間に?」


「久しぶりの部活に励んで、お喋りしてたらね。部活やってないマナヒーは?」


「ちょっと色々あって」


 だからこそ動揺してしまった。


 里梨と言葉を交わすのはバレンタイン以来。こんな当たり前のように話しかけてもらえるような、別れ方ではなかったはずだ。


「色々って、なにがあったのさ?」


「その、誤解量産機の葉那の尻拭いをな」


「なに、また廣場さんなにかやったの?」


「前に俺、葉那に惚れた男に宣戦布告されただろ?」


「あー、あの日景くんね」


「同じような奴がもう三人湧いてきてさ。一致団結した四人に決闘を申し込まれたんだ」


「決闘!?」


 堪えきれずに里梨は大声を上げた。驚いたというよりは、おかしくて吹き出したに近いだろう。


「ぷ、ふふ。四人かー。廣場さんは罪な女だね」


「まさに罪深い奴だよ、あいつは」


「それでマナヒーは決闘を受けたの?」


「友人の尻拭いだと思って、受けてやった」


「どんな決闘申し込まれたの?」


「グラウンド十周だ」


「なにそれ」


 コントを見せられたかのように、ケラケラと里梨は笑った。


「それでマナヒー、本当にグラウンド走ったの?」


「毎朝一時間のジョギングしてることを言ったら芋引きやがってさ。次は腕相撲を提案されたから、日景の握力を試してやった」


「その結果は?」


「軽く握っただけで力の差を思い知ったのか、身体を使う勝負を諦めてさ。今回のテストの結果で勝負だって言ってきたんだぜ?」


「ぷ、ふふふふ……日景くんたち、いつも張り出されてるテストの結果、見てないの?」


 よっぽどおかしかったのか。里梨はお腹を抱えだした。


「あー、おかしい。日景くんたち、それでついに諦めたの?」


「俺のような完璧な男に敵うわけなかったんだ! って膝を屈した」


「こうやって話してるとつい忘れちゃうけど、マナヒーって百合ヶ峰一の優等生男子だったもんね。さすがの日景くんたちも戦意喪失したんだ?」


「葉那がスマ◯ラなら、俺と対等に勝負できる! って煽るもんだから、全員その気になってさ。さっきまで視聴覚室で、スマ◯ラ勝負に興じるハメになったんだ」


「なんかもう、ツッコミどころが多くて滅茶苦茶だね。それで勝負はどうなったの?」


「俺の一番の得意分野とわかってて、葉那は煽ったんだ。当然、圧勝した」


「希望を与えるだけ与えて、負けるとわかってる勝負に追い込むなんて。廣場さんも悪い女だね」


「そう、あいつこそが百合ヶ峰に巣食う悪魔。学園の平和を願うなら、始末をしてしかるべき存在なんだ」


「マナヒーもマナヒーで、酷い言いようだね」


「ただの事実だよ。それでもこれが罪だというのなら、罪状は事実陳列罪だな」


 ツボに入ったように里梨は笑っている。


 流れる空気。雰囲気はとてもいい。まるでバレンタインの前に戻ったようだ。よく考えれば里梨とふたりでこうして話すのは初めてである。


 それでも昔からの友人のように接することができるのは、ひとえに里梨の人柄か。向こうから心を開いてくれているから、こんな風に笑い合っていられるのだ。


 あれ以来、里梨が俺をどう思っているかわからなかったから、これはいい流れだと思った。


「ごめん、里梨」


 謝るなら今しかないと、立ち止まって頭を下げた。


 数歩先に行った里梨。こちらを向いた靴先が目に入った。


「なにを謝ってるの?」


 謝られる心当たりがないような、含みのない声音。


「俺、なんでもかんでも里梨が許してくれるからって、調子に乗ってた」


「頭を上げて、マナヒー」


「でも、俺――」


「謝らなくていいの。悪かったのは私のほうなんだから」


 つい、頭を上げてしまった。


 里梨がそれを許してくれたからではない。なぜそんなことを言い出すのかわからず、その顔を見てしまったのだ。


 微笑んでこそいるが、どこか自嘲気味だった。


「あの日はさ、百合が私のチョコを作るために、その手伝いとかで呼ばれたんだよね?」


「うん」


「そしたらあんな雨に降られて、電車も止まって、帰れないから仕方なく泊まっただけ。ほら、マナヒーはなにも悪くないじゃん」


「いいや。やっぱり百合の家には、上がり込むべきじゃなかったんだ。里梨のためとはいえ、男を家に上げるのはしてはいけないことだって。ちゃんと、俺が教えるべきだった。……全部、俺が調子に乗ってたから悪かったんだ。ごめん」


「謝るの禁止」


 里梨の人差し指が、俺の唇に張り付いた。


 たしなめるように微笑んだ里梨は、少し苦い顔をした。


「本当はね、家に上がったこと事態は怒ってなかったの。百合のことだから仕方ないし、それ以上にマナヒーのことは信頼してたから。マナヒーのことは友達を家に呼んだだけ。それで許せてたことなの」


 たしなめるように微笑んでいた里梨は、苦いものを噛んだように眉尻を下げた。


「ただ、泊まったって言われたとき、ついカッとなっちゃっててさ。感情のコントロールができなかったの。百合のわからず屋。なんで私のほうが責められなきゃならないのって……本来怒ってないことまで持ち出して、マナヒーに八つ当たりしちゃっただけなの」


 里梨は恥ずかしそうに後頭部をかいた。


「ほんと、あのときの私って性格悪いよね」


「そんなことない! 恋人の家に男が上がり込んで、泊まったなんていきなり言われたんだ。俺が里梨の立場だった……カッっとなったなんて簡単な言葉じゃ絶対にいられない」


 それで一回死んでるからこそ、俺は自分の意思で自重しなければならない。


「せめて泊まると決まったとき、里梨に一言連絡入れるべきだったんだ」


「でもそれをしたら、なんで家にいるのか説明しなきゃいけなくなるじゃん。百合のサプライズが台無しになる。やっぱりマナヒーは悪くないよ」


「それでも俺がしっかりするべきだったんだ。ごめ――」


「それ、禁止」


 俺の唇に里梨の人差し指が張り付いた。


「じゃあ、こうしよう。喧嘩両成敗。お互い悪いから、謝るのはなしってことで」


「本当に、里梨はそれで納得できるのか? たとえそれが正論であっても、感情がそれを許すかは別だろう?」


「うん。むしろ冷静になったあと、自分が許せなかったくらいだから。百合がそういう子なのは、私が一番わかってたのに……百合の想いを、台無しにしちゃったなって」


 申し訳無さそうに里梨は顔を俯かせる。


 自分を無理やり納得させたのではない。本当にあのバレンタインの騒動を、里梨はそんな風に反省しているようだ。


 ただ、すれ違っていただけ。百合も話せばわかってくれる子だから、ちゃんとふたりが向き合わせばわだかまりはなくなる。


 ようやくその未来が見えた。


「だったらお願いだ。里梨のほうから、百合に歩み寄ってくれ」


 今こそふたりの間を取り持つ。その役目を果たせるときがきたと信じたのだ。


「里梨のほうから折れてくれとか、そういうんじゃないんだ。百合はまだ、そういうのは怖くてできない子だからさ。里梨のほうから歩み寄って、そのときの自分の気持ちを伝えれば、絶対にわかってくれる。必ずまた元通りになれるからさ」


 改めて俺は里梨に頭を下げた。


「なにより俺がいたから、こうなったことには変わりない。そのせいでふたりが仲違いしたまま終わるなんて……絶対に嫌だ。ふたりにはいつまでも、仲睦まじくいてほしい」


 自分勝手な思いまで吐き出して、里梨のほうから歩み寄ってもらいたい。たとえそれが卑怯なやり方であっても、素直の気持ちを伝えるしかなかった。


 頭を下げているから、そこにどんな顔が浮かんでいるかはわからない。でもなにかを言ってくれるまでは、いつまでもこうしているつもりだった。


「ねえ、マナヒー。前に言った、バトンを落とした子の名前、知りたい?」


 ふと、里梨は脈絡なくそんなことを言い出した。


 応か否の言葉が差し出されるまで、この頭は下げ続けるつもりだった。それを思わず上げると、爛漫な微笑みが浮かんでいた。


 里梨がどんなつもりで、いきなりそんなことを言い出したのか。まるでわからない。


「いや、そんなことはもうどうでもいいよ」


 俺のことはどうでもいいと示すようにかぶりを振った。


 ふたりの仲が修復される以上に、大切なことなどなかった。


 里梨はそんな俺の答えが気に食わなかったのか、


「マナヒー、ひっどい。どうでもいい扱いなんて、さすがにショックなんだけど」


 ムッとしたように唇を尖らせた。


「あーあ、傷ついちゃった。痛い痛い」


 里梨は胸を擦りながら、わざとらしい声を上げる。まるで俺に抗議するかのように、細めた目を向けてきた。


 ただ俺は、頭にハテナを浮かべていた。


 なぜ本人が可哀想ではなく、里梨が傷ついたように言うのか。まるでわからなかったからだ。


「マナヒーまだわからないの? もう答えを言ってるようなものだよ」


「答えって、なんのだ?」


「バトンを落とした子の名前」


 鈍感すぎると呆れるように、里梨はため息をついた。


 できれば俺に思い出してほしかった。


「上透里梨」


「……え」


 それを諦め、しょうがないなというように里梨は微笑んだ。


「それがバトンを落とした子の名前だよ」

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