51 私のために争わないで……!

 それは時間を遡ること数十分前。


「あー、やっと終わったー、って感じだな」


「今年度分はこれで一段落しましたね」


 学年末テストが終わり、開放感を覚えながら百合と教室を出た。


 テストから解き放たれて、浮かれているのは俺たちだけではない。午前中で学校が終わったこともあり、皆が皆この後の予定を浮かれながら話し合っている。騒がしいとまでは言わないが、賑やかな声が満ちていた。


「どうだ、今日の手応えは?」


「あんまり……よくないですね」


 今日のテストの出来について聞くと、百合は恥じ入るように眉尻を下げた。


「いつもなら簡単に解けるような問題で、悩むところが多かったので」


「そんなにか?」


「今回は愛彦くんに負けちゃいますね」


 社交辞令でもなんでもなく、確信めいた顔で百合は言った。


 昨日まで俺たちは、テストが終わればそのまま視聴覚室で自己採点をした。いつもなら間違わないような問題を、百合はところどころ落としていた。その結果、昨日の時点で点数は俺の勝ち越し。今日のテストでも同じような手応えなら、たしかに百合を上回るだろう。


 ずっと一番に君臨し続けていた百合が、ついに二番へ転落するのだ。


 前回は俺に並ばれて悔しがっていたはずの百合が、今回は一番に固執していない。俺に抜かれたなら仕方ないというように、どこか達観した態度である。


 俺は今回のテスト勉強で、今までで一番いい成績を残せた自信はある。それはひとえに百合とずっとテスト勉強をしていたから。いつもなら何十分も悩んだ末にようやく理解できるようなところが、百合に教えられるとスッと頭に入ったのだ。


 一方百合は、気づくと上の空であることが多々あった。俺がいて集中できないとかではなく、他の悩みに気を取られているかのように。そんな寂しそうな顔を見せたのだ。


 その原因は言うまでもない。


「愛彦くんはこの後どうしますか?」


「とりあえずは帰って飯食って、ゆっくりしたら自己採点ってところかな」


「あ、だったら――」


 下駄箱にたどり着くと、百合の悩みのタネがそこにはいた。


 友人たちに囲まれた里梨と、百合は目があったように見える。でもお互い何事もなかったかのように、また各々の世界に目を向けた。


「この後、うちで一緒に答え合わせしませんか」


「えっと、それは……」


「お昼はご馳走しますから。どうでしょう?」


 すぐ側に里梨がいるにも関わらず、百合は『お願い』と求めるように提案してきた。


 バレンタインのときに、俺が家にあがること自体がおかしい。そう咎められているのは覚えているはずなのに、それを言った本人の前で、悪びれもせず口にした。まるでもう、里梨のことは関係ないと思っているかのように。


 俺は言葉に詰まった。


 あれ以来、百合とふたりになるとしても、学校や図書館のような施設を選んでいた。里梨のことはまるで禁句かのように話に出せず、ただ目の前のテスト勉強にだけ集中していた。


 いつまでも目を背けたままではいられない。テストも終わったから、そろそろなんとかしなければと思った矢先にこれである。まるで里梨に先制パンチを浴びせるかのような言動は、ますます解決が遠のいていく。


 百合も百合なら、里梨も里梨。まるで俺たちのことなど無関心かのように、友人たちと楽しそうに笑っている。


 これで俺が百合の提案に乗りでもすれば、もう決定的に終わってしまう。そんな予感がしたのだ。かといって断れば、どうしても里梨の話題は避けては通れない。解決の糸口も掴めないまま、それに突入していいのかと悩んでいると、


「守純、ちょっといいかな?」


 日景に声をかけられた。


「この後時間、貰いたいんだけど……」


 百合に目を向けながら、日景は遠慮がちに言う。テスト終わりということもあり、無理を言っている自覚を持ち合わせたような声音だ。


 今はそれが、差し伸べられた救いの手に見えた。


「ああ、構わんぞ」


「え、いいの?」


 オーケーを貰えたことに、頼んだ本人が戸惑っている。


「よっぽどのこと……ってわけでもなさそうだけど、早く済ませたい用事なんだろ?」


「うん。守純には迷惑なことかもしれないけど……どうしても、話したいことがあるんだ」


「わかった。そういうわけで百合、今日のところはまた明日だ」


「ごめん、真白さん。今日だけは守純を譲って欲しい」


 俺が手刀を切るように百合に謝る側で、日景は深々と頭を下げている。


「残念ですけど、わかりました。それじゃあ愛彦くん、また明日」


 残念そうにしながらも、微笑みを向けてくれる百合に背を向けた。


 付いてきてくれと言うように歩き出した日景の後ろについていく。


「悪いね、守純。テストが終わったばかりのところ、無理言って。ありがとう」


「いや、むしろ礼を言うのはこっちのほうだ。ほんと助かった」


「え。助かったって……この後真白さんと過ごすはずだったんじゃ?」


「まあ、色々とあるんだ」


「そっか。まあ、詮索はしないでおくよ」


「おう、そしてくれると助かる」


 そんな話をしながら階段をひたすら上っていくと、ついには屋上へとたどり着いた。


 誰にも介入されない場所で、ふたりきりになれる場所としてここを選んだのだろう。


 そう思って屋上へ出ると先客がいた。


 三人の男子生徒だ。


 俺たちに気づいた彼らは、ピタッと話を止めた。聞かれたくない話をしていたところ、闖入者が現れたからではない。まるで待っていたかと言うように、緊張した面持ちを俺に向けた。


「あ、守純さん。よく来てくれましたね」


「わざわざご足労頂き、ありがとうございます」


「日景もパシリみたいにして悪いな」


「いや、しょうがないよ。守純とまともに話したことあるのは俺だけだからさ」


 立ち止まった俺から離れ、日景は合流するかのように彼らに並んだ。


 こうして見ると、彼ら全員日景に劣るとも勝らぬイケメン揃い。


「俺、一組の蔭山かげやまです」


「二組の御影みかげです」


「四組の陰本かげもとって言います」


 揃いも揃って肩を痛めたポーズが似合いそうである。いや、実際三人ともそんなポーズを取っていた。気取っているんじゃなくて、慣れない姿を恥ずかしがっているようだ。よく見るとワックスの使い方がまだまだ慣れていない、そんなヘアセットだった。


「そうか。まあ、知ってると思うが俺は守純だ。今日はどうしたんだ?」


 神に拝まなければいけないほどのただならぬ雰囲気はない。


 彼らの要件がまるで思い浮かばない。頭に浮かぶのは精々、ハテナマークくらいなものだ。


「その……日景のようにさせて貰おうと思って」


「日景のように?」


「守純さんのこと……守純って呼ばせてほしいんだ」


 蔭山の言葉に首を傾げると、御影がそう答えた。


「別にそれは構わんけど――」


 ふと、かつての日景とのやり取りを思い出した。


 ある日突然、覚醒したかのようにイケメン化した日景。そんな日景が俺を守純と呼びたいと思ったわけは、とある悪魔が原因だった。


「まさか俺のことを、ライバルだと思っているとでも言いたいのか?」


「ああ、そのとおりです守純さ――いや、その通りだ守純」


 昨日までの自分と決別したかのように陰本は言った。


 そうか……こいつら全員、葉那の被害者たちなのか。


「この三人は、俺と同じ悪魔のような幼馴染に虐げられてきた人間なんだ」


 日景は三人に、同胞へ送る眼差しを向けた。


「昔はさ、仲はよかったはずなんだ。けど気づけば、出てくるのは嫌がらせの言葉だけ。どれだけ心を尽くそうとも、返ってくるのは心を傷つける罵声だ。親たちにはいい顔してるから、俺よりもあいつのことを信用してさ。あんないい子が側にいて、なにが不満なのなんて言う始末だ」


「だからせめて、高校だけは別にって……あいつの志望校とは違う、百合ヶ峰を選んだんだ。いざ受かって、喜んだのも束の間。なぜかあいつも百合ヶ峰に受かっててさ。『私の目の届かないところに行くなんて許さないわ』って言われたときは、ゾッとしたよ。俺は一生この悪魔に、人生を滅茶苦茶にされる運命なんだって絶望すらしたんだ」


「家でも学校でも、あいつに見つかれば嫌がらせを受けて、耐え忍ぶ日々だった。あの日も顔を俯かせて、台風を通り過ぎるのを待っていたら……廣場さんがあの悪魔を撃退してくれたんだ。『たとえどんな理由があったとしても、人の心を踏みにじって、弄ぶような真似は決して許されることなんかじゃない!』ってさ」


 そのときのことを思い出しているのか、三人揃って女神に救われたような表情を浮かべている。


「俺たち全員、悪魔から救われたんだ。廣場さんって女神にさ」


 日景もその日のことを思い出しているのか。憧憬を瞳に宿していた。


 なるほど。揃いも揃って悪魔から救われたと思って、覚醒してイケメン化したのか。通りで見ない顔だと思った。


 本当に……本当に哀れでならない。志望校を変えてまで自分を追いかけてきたツンデレ幼馴染とのフラグを、バッキバキに折られてしまったのだ。それだけではない。あいつのことを悪魔から救ってくれた女神だとすら信じている。あいつこそが本物の悪魔だということも知らずに、貴重な青春をドブに捨てようとしているのだ。


 まさにこのカゲの者たちは、悪魔の被害者の会である。被害者にその自覚がないからこそ、なおさら可哀想でならない。


「日景にも言ったが……おまえたちのために思って言うぞ。あいつを追い求めることだけは止めろ。折角イケメン化したのに、青春をドブに捨てるはハメになるぞ」


「そんなのは覚悟の上だ」


「それでも憧れのまま終わらせたくないからさ」


「手を伸ばさなかった後悔だけはしたくないんだ」


 葉那がただの悪魔だと教えられればどれだけよかったか。それを話して説得するだけで、四人の人間が救われるのはわかっているが……それでも俺は、友情を捧げることだけはできなかった。


「そうか。一応俺は止めたからな」


 日景と同じく、その意思は固いと知り、最低限の義理を果たしたからと匙を投げたのだ。


「話ってのは、その宣誓だけか?」


「いや、ここからが本題なんだ」


 日景はまだ帰らないでくれというようにかぶりを振った。


「俺たち四人はさ、まだライバルですらない仲間なんだ。廣場さんの気持ちが向いてるのは……わかるだろ?」


「ただの誤解なんだが……まあいい続けてくれ」


「まずはさ、守純に向いている気持ちをどうにかしたい。どうすればいいかって、ここ二週間近く話し合ってきた。それこそ放課後も休みの日も、ずっとさ」


「いや、そこはテスト勉強しろよ」


 どうやらあいつの悪魔の振る舞いは、こいつらからテスト勉強の意欲すらも奪ったようだ。


 可哀想だと思う一方、『二週間』という単語に引っかかった。日景のフラグが折れたのは、一月のことだ。そこから間が空いて、なぜ二週間前からテスト対策もしないで、俺への対策を考えてきたのか。


「あ」


 二週間前辺りのイベントを思い出した。


「おまえたち、あいつからチョコ貰わなかったか?」


「え? ああ、うん」


「まあ、その……」


「平等に、くれたんだ」


 日景以外の三人に目を向けると、顔を赤くしながら首を痛めたポーズをした。


 なるほど。こいつらが固まって動き出した理由がよくわかった。


 悪魔のバレンタインの企みが見事に成功したのだ。日景が悪魔の甘い誘惑に引っかかったところは目撃済み。揃いも揃って、ガチ恋という底なし沼へ引きずり込まれたのだ。


 有言実行し、それを成功させる能力があるからあの悪魔は本当にたちが悪い。やはりあの悪魔は、始末をされてしかるべき存在である。


「俺たちはまず、守純のことを乗り越えなければいけない。それがわかったから――」


 悪い行いには悪い結果がついて回る。


「守純、俺たちはおまえに決闘を申し込む」


 俺には関係ないからという無関係面した因果が、こうして降りかかるハメになってしまった。


 なぜ葉那の気持ちを俺から逸らすことが、決闘に繋がるのか。わけがわからなかった。


 痛すぎる頭痛に苛まれていると、


「待って!」


 百パーセント事態をややこしくする声が屋上に響いた。


「お願い……」


 完璧なタイミングで飛び込んできた悪魔は悲劇のヒロイン面をしながら、


「私のために争わないで……!」


 そんなことを言ってて恥ずかしくないのか、みたいな台詞を臆面もなく吐き出したのだ。

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