49 それはさすがに、ないでしょう

作者からのお知らせ。

前話を誤って前前話と同じ内容を投稿してしまいました。

既に修正済みなので、もし同じ内容を見た方は前話から見て頂ければと存じます。


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 目が覚めると、そこが自分の部屋ではないことに気づいた。


 ゆっくりと右手を上げて、指の隙間から天井を覗いた。


『知らない天井だ』


 なんて古典芸能名言辞典に載っていそうな台詞を、恥ずかしげもなく吐き出しそうになるのをグッと堪えた。自分に酔った厨二病台詞を吐き出そうものなら、守純の教えの二の舞いになるのではと恐れたからだ。


 ここは百合の家。そのリビングである。タオルケットと畳んだバスタオルを枕代わりにして、ソファーで寝ていたのだ。


 昨晩は十一時までゲームをしていたが、いい時間だからもう寝ようと俺から言った。百合は子供のようにもう少しだけ、みたいな顔をしていたが、寝不足でバレンタインを迎えたくないだろと言うと、あっさりと引き下がった。


「それじゃ、今日はもうおやすみしましょうか」


 と当然のように百合の部屋に案内されたときは驚いたものだ。


「ゆ、百合さん……さすがに一緒に寝るのは不味いと思うのですが」


「え? お友達とのお泊まりなら、一緒に寝るのは普通だって里梨が」


 例の里梨から学んだお友達理論を展開されて、さすがの俺も絶句してしまった。


 そんな俺の顔がよっぽどおかしかったのか。キョトン、とした百合の顔は、悪戯が成功した子供のものに変貌した。


「ふふっ、冗談です」


「だよなー。これを本気で言ってるなら、里梨へ報告案件だった」


「さすがにそのくらい不味いのは、わたしだってわかりますよ?」


 冷や汗をかいた俺に、百合はベッドに向かって手を差し伸べた。


「ベッドは愛彦くんが使ってください。わたしはソファーで寝ますから」


 今度は冗談でもなんでもなく、当たり前のように百合は言った。


「いやいやいやいやいや。百合さん、百合さん。それもかなり不味いですよ」


「愛彦くんはお客さんですから、これくらいは……」


「百合、よく聞いてくれ。俺が里梨の立場ならブチギレ案件だ。そんなこと知ったら発狂する」


 恋人のベッドに男が寝るとか、脳破壊防止法に抵触するほどの事態である。さすがになんでも許してきてくれた里梨大明神とはいえ、こればかりは許せないだろう。


 ことの深刻さをよくわかっていない百合は、「でも……」と自分がこのままベッドで寝るのは後ろめたそうにしていた。


「とにかく、俺はソファーで十分だから」


「わかりました」


 俺の意思は頑なだとわかった百合は、ウォークインクローゼットを開けると、タオルケット一枚取り出した。そしてベッドに上がっていた枕を、ふたつあるうちのひとつを一緒に渡してきた。


「その、いつもわたしが使ってるもので申し訳ないですけど……使ってください。わたしは里梨用のを、今日のところは使いますから」


「百合、枕もダメだ」


「え、枕もダメなんですか!?」


 信じられないというように百合は驚いた。


 やはり俺たちの間にある線引きのギャップは深刻なようだ。


 前からは百合は、純粋な子供のようなところが多々あった。百合がどのように育ったかを知った今、色々と納得がいった。経験が希薄すぎるからこそ、俺たちの知る当たり前が通じない。まるで年を重ねただけの幼い子供のように、成長と共に失うはずの純粋さが残されていたのだ。


 百合の情操教育について一回、里梨としっかり話し合わねばならないだろう。


 ソファーから身を起こし、壁がけ時計を見やる。


 時刻は六時三十分。いつもなら外を走っている時間だった。


 さすがに着替えがないので今日は走らないが、日課がこなせないとなるとなんだか気持ち悪い。


 まずは顔を洗おうと伸びをしながら立ち上がる。


「はぁ……」


 大きなあくびをしながら、洗面台を目指し脱衣所の扉を開けた。


「……え」


 すると予期せぬ声が耳に入った。


 脱衣所には既に先客がいた。いや、先客と言うよりは家主と言ったほうが正しいか。脱衣所はシャンプーの香りと共に熱気にこもっていた。


 つまり顔を洗いに来たのではなく、寝汗を流した後である。


 洗濯機の上のバスタオルに手を伸ばした、一糸まとわぬその姿。ほんのり赤みを帯びた肌色と、しっとりと濡れた白銀色ばかりが目に入る。豊満の先にあるピンクの部位は、伸ばされた腕に隠されていた。その代わりのように、可愛いお尻はなにひとつ遮られることなく晒されている。


 お互い五秒ほどそのまま固まった。


 じっくりと舐め回すように見ているわけではない。百合もそうであるように、予想外の出来事に頭がフリーズしたのだ。


「ぁ……」


 ようやくなにが起きているのか理解したのか。百合の手はバスタオルを掴むことなく、大事な部分を隠しながらしゃがみこんだ。


「ご、ごめん……!」


 きゃあああ! と叫ぶお約束をしない百合の代わりに、叫んだ俺は脱兎のごとく逃げ出すように立ち去った。


 十五分後。


 ゆっくり、ゆっくりと開かれた廊下の扉。


「……え? あ、あの……愛彦くん?」


 恐る恐る開かれた扉から、またも予想外を目の当たりにしたように困惑した声が上がった。


 リビングに入った瞬間百合が見たのは、俺の土下座姿である。百合が戻ってくるまでずっと、俺は土下座ゲザり続けていたのだ。


「大変、大変申し訳ありませんでした!」


 謝って済む問題ではないが、やはり誠意は形で示さなければならない。それが伝わるかどうかは二の次だ。


「あ、えっと、頭、上げてください。わざとじゃないのは、わかってますから」


 百合は寛大な心を持って、誠意を受け取ってくれたようだ。


「わたしのほうこそ……その、お見苦しいものを、お見せしてしまい……ごめんなさい」


「見苦しいなんてとんでもない! 大変素晴らしいものを見せて頂きましたありがとうございました!」


「愛彦くん、そこは……忘れるって言ってほしかったです」


「あ、その……誠にごめんなさい」


 つい反射的に感謝を述べてしまったら、百合が余計にいたたまれない声を出した。羞恥に塗れた百合の顔を見て、再び俺の額は地に伏した。


 五分ほど頭を上げる上げないの話をして、「あ、朝ごはん、用意しますね」と百合はその場から離れていった。ようやく頭を上げた俺は、脱衣所で顔を洗いながら、「煩悩退散煩悩退散」と唱え続けていた。煩悩は去ることなく、唱えれば唱えるほど鮮明に刻まれていったのだった。


 その後、朝食をご馳走になりながら、お互いわざとらしい会話をしながら朝を過ごしたのだ。家を出る頃にはお互い意識しながらも、なんとかいつも通りに戻ることができた。


「あ、いい天気ですね」


「昨日の雨が嘘のようだ」


 雲ひとつない、燦々と輝く太陽。二月なのでまだまだ寒いが、それでも日の暖かさが伝わってくる。雨の後を残さぬ乾いた道路を、肩を並べながら歩いていた。


 百合の手には、学生鞄の他に品のいい紙袋が握られていた。その中身を渡すのが楽しみだと、満面の笑みを咲かせている。


 家を出てから五分ほど歩くと、見慣れた人影が目に入った。丁度、河川にかかる橋を渡りきったところで、今か今かと落ち着きない態度で佇んでいる。


 橋の中頃でそれに気づいた百合は、嬉しそうにその人影に駆け寄った。


「里梨!」


「あ、百合」


 駆け寄ってきた待ち人を、はにかみながら里梨は迎えた。


「おはようございます」


「うん、おはよう」


「もしかして、待っていてくれたんですか?」


「う、うん。ほら、今日は、あれだから」


 いつもは待ち合わせなんてしないのだろう。里梨とここで出会えたことに、百合ははしゃぐように喜んでいる。そんな百合を前にして、里梨は気恥ずかしそうに後ろに回していた手を前に出した。


 その手には学生鞄と一緒に、小さな紙袋が握られていた。それがなにかは、言わずともわかった。


 どうやらふたりは同じことを考えていたようだ。


 それが微笑ましくて、ふたりの世界に割って入るのもあれだと俺は立ち止まっていた。


「……あれ、マナヒー?」


 でもそんな遠くに離れていないから、さすがの里梨も気づいたようだ。


 気づかれたのなら仕方ないと近づくと、里梨は呆然としたように目をパチパチさせている。


「なんで、マナヒーがここに?」


「昨日、泊まっていってもらったんです」


 里梨は見開いた目を百合に向けると、とても明るい声が返ってきた。まるで昨日は楽しかったと告げられて、信じられないという表情を浮かべた。


 ヤバイ、と脳内で警鐘が鳴らされた


 ふたりの温度差が決定的に違う。百合はそれにまるで気づいていない。


「いや……いやいやいやいや」


「里梨、昨日は――」


 昨日のわけを告げようと俺が声をかけるも、それがまったく届いていないのか、


「それはさすがに、ないでしょう」


 里梨は見たことのない引きつった顔を、百合に向かって浮かべたのだった。

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