41 とりあえず生で

「マナヒーは非の打ち所のない、百合ヶ峰一の優等生男子だと信じてたんだけどな……」


「う、うぅ……」


 穴があったら入りたい。そんな大ポカをやらかしてしまった俺は、現在里梨に白い目で見られていた。


「ま、まあまあ里梨。愛彦くんも間違ったって、言ってます、し」


「ほう、百合はあれをただの間違いだったって、先生の前で擁護できるの?」


「そ、それは……」


「こればっかりは、マナヒーは悪い子だね」


「……はい。愛彦くんが、悪い子でした」


 それが子供には許されていないことだとわかっているから、百合も擁護できずに、俺を悪い子だと認めざる得なかったのだ。


 俺が過ちを犯したのはかれこれ数分前。


「今日は私の奢りだよ」


 今日のお昼をどうするかという話になったとき、里梨がそんなことを言ったのだ。


 どうやら叔母から、お食事券を貰ったらしい。それを使ってご馳走してくれるという話なので、その好意を俺と百合はありがたく頂戴することにした。


 連れて行かれたのが焼肉店。ランチ価格の食べ放題プランである。


 店に入ってからずっと、百合は物珍しげにあちこちを見渡していた。里梨とメニューを見ながら高揚感に満たされている。


「この中からなんでも好きに選んでいいんですか?」


「食べ放題だからね。気になるものはなんでも頼んでいいよ」


「うーん、どうしましょう。いっぱい気になっちゃって」


 あれもこれもと気になって、百合はお腹具合と相談しながら悩んでいる。そんな姿が微笑ましかったから、その悩みは必要ないと伝えた。


「量が気になるなら大丈夫。俺が全部食べ切るからさ」


「お、さすが男の子。頼りになるね、百合」


「ふふっ、そうですね。じゃあ、今日のところは沢山愛彦くんに頼っちゃいます」


 頼もしそうにふたりは喜んでくれた。


 ふたりのデートについて来たからには、俺がいてよかったと思ってもらいたい。その心がけは間違いなかったようで、ふたりプラスアルファではなく、三人で楽しい時間を過ごしていた。


 ここまではよかったのだ。


 店員を呼んで一通り注文したら、


「お飲み物はどうされますか?」


「俺はとりあえず生で。ふたりは?」


 と当たり前のようにビールを注文してしまったのだ。


 和気あいあいとしていた雰囲気は一変、ふたりの丸い目を見たことで、自分がなにをしてしまったのか気づいたのだ。


「お、お客様……未成年者への、アルコールの提供はしておりませんので」


「あ、間違った! 今日は母ちゃんいないもんな。俺、烏龍茶で!」


 引きつった店員の顔から目を逸らしながら、苦しい言い訳を吐き出したのだ。俺は、と言った時点で完全に無理があった。


 店員が去った後、こうして俺は針のむしろに立たされることになったのだ。


 里梨は大きなため息をついた後、その目を細めた。


「マナヒーさ……なんだかお父さんや叔母さんおねえちゃんみたいだった」


「そ、その心は?」


「注文の仕方が染み付いてる。完全にクセで注文したでしょう?」


「うっ……!」


 いたたまれず横に逸らした目は、里梨には首肯にしか見えなかっただろう。


 焼肉屋に行って、まず頼む一杯目といったら生ビールである。それ以外の選択肢がないからこそ、三十三年間培ったクセがつい出てしまったのだ。


「愛彦くん……普段から、飲んでるんですか?」


 憂わしげに百合が尋ねてきた。


「の、飲んでない飲んでない! もう飲んでないから!」


「もう?」


 里梨が鬼教官のように、まぶたをピクリとさせた。


 萎縮し肩をすぼめた俺は、なかったことにはもうできないと諦めた。


「お酒とは完全に縁を切ったから。もう二十歳まで飲まないから……なにも、聞かなかったことにしてください」


 こういうときは下手に言い訳をしてもダメだ。すべての非を認め、ただただ許しを請うしかなかった。


 大きな大きなため息をついた里梨。


「……まあ、それが本当ならいいんだけどさ。ダメなものにはダメなりの理由があるんだから、これからは気をつけなね、マナヒー」


「はい、以後気をつけます」


 許しを得た俺は、感謝の頭を下げた。


 飲酒の習慣こそもうないが、ふたりの前で堂々とアルコールを頼んでしまったのだ。その失敗はふたりを心配させるものだから、やはり心からの謝罪が必要だった。


「あ、来た来た」


 とりあえず終わったことにしてくれたのか。注文の品が来た里梨の雰囲気は、最初の明るいものへと戻ってくれた。


 卓上いっぱいに並べられた皿を見て、百合は目を輝かせた。


「わー、なんだか食事のテーマパークに来たみたいです」


「たしかに自分で焼いて食べる、っていうのは、子供にしたらアトラクションみたいなもんだしな」


「愛彦くん、今わたしのこと子供扱いしましたね?」


 ぷっくりと頬を膨らませながら、百合は抗議の眼差しを向けてくる。百合の純粋さはある意味子供のようなものなので、その扱いになるのは仕方ない。


 里梨はそんな様子をおかしそうに見ながら、近くに配膳された白飯を渡してくれた。


「はい。マナヒーの分」


「サンキュー」


「大盛りじゃなくてよかったの? 大の男の子が、これじゃ足りないんじゃない?」


「冷麺と石焼きビビンバを食べたくないならおかわりするかな」


「お、マナヒーわかってるねー。その心がけよし。うんうん、ありがと」


 里梨は礼を言いながら、網いっぱいに肉を並べていった。ワクワクを込めた百合の眼差しは、落ちた肉の油で一気に炎上すると、慌ただしく里梨に向いた。大丈夫なのかという百合に、大丈夫大丈夫と手慣れたように機を見てひっくり返していく。


 そうやって焼かれた第一陣を食べ終えると、里梨は百合に肉を焼かせたのだ。恐る恐る一枚一枚網に敷いていく姿を、俺たちは授業参観の親のように見守りながらも、火が上がると「焦げる焦げる」と悪ガキのように囃し立て、慌てる百合の姿を微笑ましくて笑っていた。


 一通り肉欲を満たした後は、石焼きビビンバ、冷麺、カルビラーメン、コムタンスープなどを頂いた。どれでもハーフサイズを選べた。百合はどれも味見程度にだけ口をつけただけだから、俺と里梨がほとんど食べたのだ。運動部に入っているだけあって、里梨はしっかり食べられる胃を持っていたようだ。


「あー、もう食べれなーい」


「って言いながら、目の前にしているのはなんだろうな?」


「これはまた、別腹だから。んー、美味しい」


 来たばかりの黒蜜きなこアイスを、里梨は罪悪感ひとつ見せずに食べた。


 そんな隣でいちごソースの杏仁豆腐を食べている百合もまた、舌を唸らせた。


「こっちも美味しいですよ」


「そう? じゃあ一口頂戴」


「だったら里梨もください」


 そうして二人は同時にあーんをしあっていた。そんなふたりがパクリとしたタイミングで、俺は自分のアイスを口にした。頭の中にUCとアルファベットが浮かび、色々と流れが変わったような気がした。


「お昼からこんなに食べちゃったら、夜はもう食べれないかな」


 里梨はお腹を満足そうにさすった。


「明日はしっかり身体を動かさないとな。マナヒーは大丈夫? ちゃんと普段から身体を動かさないと太るよ」


「その心配はない。起きたばかりのお日様を浴びながら、毎朝しっかり走ってるからな」


「お、それは健康的だね。私は朝、弱いほうだから。そこまでする気にはなれないな」


「こういうのは習慣だ、習慣。まずは早寝早起きを身につければ、生活そのものが変わるさ」


 タイムリープ前の俺は、それはもう酷いものだった。アル中に片足突っ込んでたから、どか食い気絶部もとい、アル中気絶で眠りについて、朝はいつだって二日酔いに悩まされていた。


 やはり健全な生活には健康な身体が生まれる。二度とあんな生活に戻るつもりはなかった。


 百合は敬うように微笑みかけてくれた。


「愛彦くんは健康的ですね。偉いです」


「ほんと、尊敬するほど意識高いね。当たり前のようにお酒を頼んでいた人とは思えない」


「その話は止めてくれ」


 里梨にニヤニヤとした視線を向けられ、俺は逃げるように俯いた。そんな俺がおかしかったのか、ふたりはドッと沸き立ったのだ。


 一通り笑った後、ふと思い出したように里梨は言った。


「走ってるって言えば、マナヒー、部活とかって入らないの?」


「そういうのは入る気ないかな」


「えー、もったいない。昔から足早かったんだから、それこそ陸上とかやったらよかったじゃん。ずっと続けてれば、いい線いってたかもよ?」


「そうだな……いい線はいってた、かもな」


「自分でそう思うくらいなら、やればよかったのに」


「でもいい線っていっても、俺が身を置いてる環境レベルのいい線だからさ。そこで頑張って次のステージに行けても、今度はもっと凄い奴らと競い合うことになるだろ?」


「まあ、競う技っていうくらいだからね」


「俺は自分が凡人だってわかってるからさ。どれだけ努力しようと才能ある人間には敵わない。必死にやったところで、どこかで負けるのはわかってるんだ」


「それは……そうだけど」


 暗い顔で里梨は言葉に詰まった。


「いや、里梨たちみたいに頑張ってる人を、否定したいわけじゃないんだ。これは自分の中の問題で……一位になれないのがわかってて、それを目指すのは……なんか、やる気出なくてさ」


 変に与えてしまった誤解を、慌てて解こうとした。


「それだったら最初から、他人と比較したり、競い合うような場に身を置きたくない。ただ、それだけなんだ」


 曖昧に笑うことしかできず、変な顔しかできずにいた。


 世の中には上には上が沢山いる。それが可視化された世界から、俺はこの時代に帰ってきた。


 記憶引き継ぎでの人生やり直し。強くてニューゲームと言っても、上り詰められる限界がわかっている。


 競い合いの場に置いて、努力は必ず報われる、なんて言葉は嘘でしかない。努力するのは大前提であり、そこに才能や環境に恵まれたものが、トロフィーを掴めるステージに上がれるのだ。凡人が強くてニューゲームで足掻いたところで、そのふたつを持ち合わせていないのなら、そんなステージに上がれるなんて思わない。


 井の中の蛙でいられたら、トロフィーを掴もうと挑戦したかもしれない。けど大海を俺は知っている。だから自分がトロフィーを掴める人間なんて期待は、欠片もかけていないのだ。


 なによりやり直しのメッキは、既に剥がれかけている。小学生中学生までは一番でいられたが、百合ヶ峰に入った途端、二位の座に転落した。俺はこの学園で誰よりも勉強に時間を割いている自負がある。けど、百合という自分より上ができて、やっぱり俺ってこんなもんだよな、って思ったのだ。


 前回はたまたま同列一位となったが、二位三位とは僅差。もしかしたら学年末テストでは、大きく順位を落とす可能性が見えてきた。


 だから俺は、一位に固執なんてしていない。点数を上げるのは自分との戦いとして、前も後ろも見ていない。百合ヶ峰一の優等生男子の座も、奪われたなら奪われたで構わない。


 やり直しのメッキが完全に剥がれるのは、大学に入ってからだろう。高校生までは経験済みだが、そこより先は未体験の世界。大人メンタルはもう通用しない。運良く素晴らしいグループに入れて、素晴らしいキャンパスライフを送れたとしても、そこから先に待っているのは就職活動。真っ白な履歴書で働いてきた経験に、一体どれだけの価値を持つのか。一流企業に潜り込めたとしても、今度は配属ガチャ、上司ガチャ、同僚ガチャ、ガチャガチャガチャガチャと、色んなガチャが待っている。


 なにより、この先にある未来の世界が、決して明るいものではないと知っている。同じ箱の中で比べあって満足できた人たちが、世界中の人と幸せを比べるようになる時代が来るからだ。


 かつては世界一幸福の名を冠していた国も、時代が進めば幸福度は急落した。それもこれも他国という隣の芝生が目につくようになってしまったからだ。青さを知るのは空だけで留めておけば、人はいつまでも幸せでいられたのに。神が知恵の実を食べるなと戒めたのは、相応の理由があったということだ。


 大人になんて戻りたくない。そうやって、きたる未来から目を背けながら生きているのが今の俺だ。


 暗い話をしてしまい、ふたりもどこか気まずそうだ。


「悪い、変な話しちまって」


 なんとか笑いを取り繕いながら、この場の空気を変える言葉を探す。けどそれも見当たらない。こういうときに自らの人生経験値の低さを実感する。


「ううん、マナヒーの言いたいことは、私もよくわかるから」


 里梨はかぶりを振りながら、口元を綻ばせた。


「私も本気で一番目指してるけど、それでもやっぱり、自分の限界っていうのが見えてくるもん。才能ある人たちにはやっぱり敵わないし、環境の違いかなって思うこともよくあるよ」


「それで足を止めようって思ったことは、ないのか?」


 つい、気になって問いかけた。すると里梨は力強く頷いた。


「うん。散々負けてきたし、悔しい思いだって沢山してきた。それでもね、思うような結果は出せなくても、一位になろうと走り続けて得たものは、必ず自分の糧になる。それだけは絶対に、嘘なんかにはならないから」


 里梨は真っ直ぐと見据えてきた。


「一位以外に価値がない、って固執するのはたしかによくないよ。でも、マナヒーのように執着がないのはもっとよくないと思う。だって一位になったとき、そこに喜びがないのはやっぱり悲しいじゃん」


 思い出したように笑いながら、里梨は百合を見やった。


「百合なんて期末テストのとき、悔しがってたもんね。いつも自分が一番だったのに、ついにマナヒーに並ばれたって」


「百合が? なんか意外だな」


 百合に視線を向けると、ちょっと悔しそうに微笑んだ。


「わたし、これでもずっと学校では一番でありたいって頑張ってきたんです。……そうしたら、いつか自分を見てくれるって信じてたから」


 百合は含みのある声音で言った。


「里梨と出会って、今まで以上に一番であり続けたかった。だから愛彦くんは、わたしの一番を脅かすライバルだって、ずっと思ってたんですよ?」


「そうだったのか」


「そうだよー」


 里梨はからかうような声で、百合の肩に頭を乗せた。


「次は抜かされちゃうかもねー、ってからかったら、百合ったら半泣きになっちゃったから」


「ああいう里梨の意地悪は、好きじゃないです」


「ごめんごめん」


 と口をすぼめた百合の頭を、里梨は子供を扱うように撫でた。


 意外だった。まさか百合がそんな風に負けず嫌いだったとは。そしてライバルと思われたいたことに。


「愛彦くんは、期末テストの結果は嬉しくなかったんですか?」


「お、百合に並んだな、っとは思ったけど……そうだな、多分ふたりの言うようには感じなかったかな」


「うーん、マナヒーって中々、重症患者だったんだ」


 思い悩むように、里梨は眉をひそめた。


 重症患者とは大げさだと思ったが、俺の一位への執着のなさは、やはり異常に見えるのだろう。


「じゃあさ、それを褒めてくれる人はいなかったの?」


「母ちゃんと葉那は喜んでくれたかな」


 葉那からついに一位奪還ねと言われて、奪い返すもなにも、百合ヶ峰での一位は初めてだし、そもそも同率だと返した覚えがある。それでも一位は一位よ、と自分ごとのように喜んでくれた。母ちゃんも母ちゃんで、今日はご馳走だって張り切って、好物ばかりを作ってくれた。


 人生やり直している身としては、このくらいの結果を出すのは本来当然なのだ。大げさだと思っていたが、ここまで喜んでもらえて悪い気はしなかった。なんだかんだで百合ヶ峰一の男子の称号も、自信に繋がっていないこともなかった。


「だったら、マナヒーはもっと胸を張って、自分に自信を持つべきだよ。自分のために一位を目指せないっていうなら、せめて、マナヒーが大切にしたい人を喜ばすために頑張ってみるとか」


 里梨はそういうと、太陽のように爛漫な笑顔を浮かべた。


「今の自分にないものを掴もうとする努力は、絶対に嘘はつかない。たとえほしかったものが掴めなかったとしても、必ず次に繋がる糧になるからさ」

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