40 俺は神様になんてなりたくなかった

「あの、マナヒーって……宗教の、人だったの?」


 狂信者たちの見えないところまで来ると、里梨が怖いものを見るような目で尋ねてきた。


「違う! 断じて俺は、あんなカルトサークルなんかとは関わりはない!」


「いや、でも……神様神様って、みんなマナヒーのこと呼んでたじゃん」


「お願いだ信じてくれ。俺、あんな奴ら知らないから。あの狂信者たちは、ハルやんが勝手にかき集めたんだ!」


「そのハルやんって人、そもそもマナヒーのなんなの?」


「愛彦くんが中学生のときに、お悩み解決した方ですよ」


 なおも警戒した面持ちの里梨に、楽しそうに百合は説明した。


「百合、知ってるのあの人のこと?」


「前に愛彦くんとお出かけしたときも、ハルやんさんがあんな風に助けてくれたんです。そのときに、自分はかつて愛彦くんに助けてもらったんだって」


「どんな風に?」


「何日も泣きくれていた地獄のような苦しみが、愛彦くんにかけられた言葉で嘘のように消え去った。数分前までは絶望に明け暮れていたのに、気づけば未来への希望を抱いていたんだ。自分はあの日、神様に出会ったんだって、言ってました」


「なんというか、あれだね……」


 里梨はそれでも疑わしいというような目を送ってくる。俺がハルやんを洗脳していると疑っているのだ。


「本当に、あの人たちとは関係ないの?」


「関係ないどころか、あいつらの存在は恐怖以外なにものでもない!」


「そうなの?」


 怖がっている俺を見て、意外だというように里梨はキョトンとした。


「考えてもみてくれ。当時中学二年生だった俺が悩みに対してかけた、ちょっと自分に酔ったポエムもどきを『これぞ神の教えだ!』とか言いながら、百人の狂信者たちが本気で俺を神だ神だと崇めてるんだぞ! それも自分より年上で格上の男たちがだ! そんなのもう、恐怖以外なにものでもないだろ!」


「たしかにそれは……うん、怖いね」


 俺の剣幕に、里梨はようやく危機感を抱いていると納得してくれたようだ。


 よかった。推しにヤバイ奴認定されたら、幸せな推し活生活が終了してしまうところだった。


 ひとまずの危機は去ったが、問題はなにも解決していない。


「くそっ! 困っている人に手を差し伸べただけなのに、どうしてこうなった! 完全に百合ヶ峰のエロ神様の二の舞いじゃねーか!」


「百合ヶ峰のエロ神様?」


「あ……えっと、それは」


 頭を抱えている俺に、百合は小首を傾げた。


 百合に知られたくなかったことを口にしてしまい、挙動不審に言葉が詰まった。


 そんな俺が面白いのか、里梨はニヤッと笑った。


「学園でのマナヒーのあだ名だよ。どんなエッチなサイトのトラブルも、マナヒーに拝むだけで救われる。まさに神の御業だって、マナヒーに救われた人たちがそう呼び始めたの」


「あ、百合ヶ峰の神様って……そういうことだったんですね」


 顔を赤らめた百合が、恥ずかしそうに俺から目を逸らした。百合にそういうのが大好きな人という目で見られてしまい、ただただ俺は居たたまれなくなった。


 そんな俺たちの態度が面白かったのか。里梨は茶化すような声を出す。


「最近だったら、女子を捕まえてエッチなことをしようとしているとか。そういった写真集やビデオを作ってるとか。そんな噂が女子の間で広まってるよ。なんでもマナヒーは催眠術を使えるらしいから、近づかないほうがいい。目を合わせたときが女としての最後だってさ」


「不当だ! なんでたかだかワンクリ詐欺にひっかかった奴らを助けただけで、そこまでの扱いをされなきゃならないんだ!」


「エッチなものに詳しすぎるのは、さすがに女子的には……ちょっとね」


 同情的でこそあるが、他の女子の気持ちはよくわかる。里梨はそんな可哀想なものを見る目を送ってきた。


「酷い……あまりにも酷すぎる」


「ま、愛彦くんも男の子ですもんね。誰かに、迷惑かけてないのなら……そういうのに詳しくても、いいと、思いますよ?」


 百合は一切目を合わせてくれないがフォローを入れてくれた。だがなにもフォローになっておらず、ただそういうのに詳しいのはわかったと言われているようであった。


 たしかに詳しいのは嘘ではない。散々そういうサイトを使ってきたし、お世話にもなってきた。ちょっと見ればそれが詐欺へ誘導するものかどうか、すぐにわかるような目も培ってきた。


 でもエッチなサイトを使いまくっているなんて、百合にだけは思われたくなかった。


「違う、違うんだ! 別に俺はその道のプロってわけじゃない! ただの……その、パソコン博士なんだ!」


 そうして出た苦しい言い訳は、かつて葉那が周りの誤解を解いたときの言葉だ。


「パソコン、博士ですか?」


「そう、パソコン博士! ウイルスとか迷惑メールとか、普通に使ってたら無知でいられないっていうか、自然と詳しくなったっていうか。パソコン使ってて起きるトラブルと比べたら、ケータイで起きるその手の問題って知れてるからさ!」


 ようやく目を見てくれた百合に、早口でまくしたてる。苦しい言い訳なのはわかってるが、必死にならずにいられなかった。


 わかってくれたかどうか、曖昧な顔をする百合。


「あ、そういうことだったんだ」


 その隣であっさりとした顔で里梨が納得した。


「そういうのはよくわからないけど、ケータイと比べて怖そうだもんね、パソコンって」


「そうなんだ! 高校からケータイを持ち始めたもんだから、エッチなサイトに引っかかる奴が多すぎてさ! パソコンと比べたら子供騙しみたいな問題ばっかだから、このまま放っておいて大丈夫だ、って言ってるだけなんだ」


 エッチな広告が消えない、と親のノートパソコンごと持ってくる奴が中にはいる。昔通ってきた道だから、ちょっと触ればすぐに解決できた。


「さすがにそれで女子から嫌われるのは可哀想だね……」


 ことの深刻さがわかってくれたのか、里梨の声音は同情的だ。


「わかった。マナヒーのエロ神様については、ただのパソコン博士だ、って周りにも伝えておくね」


「本当か!?」


 里梨は微笑みながら頷いた。


「マナヒーとは学校でも、これから気軽に話したいし。誤解を解いておかないと、私のほうが大変な目にあうから」


「たしかにそれで、百合も誤解されてるからな」


「え! どういうことですか?」


 蚊帳の外だと思っていたところ、流れ弾が飛んできて百合は驚いた。


「ほら、俺たちが友達になった日、いかにも相談事みたいな空気で声をかけてきたろ? それで次の日、一気に俺たちの距離が縮まっているもんだから、一体どんな凄いものを見ようとしたんだ、泣き腫らすほどだからよっぽどのものだろう、って男子たちが噂してるんだ」


「うぅ……」


「正直百合には悪いと思ってる。でも、誤解の解きようもなくてな」


 凄いエッチなものをみようとしたと誤解され、ショックなのか百合は顔を覆った。


 里梨はそんな百合をよしよししながら、気の毒がるように肩を上下させた。


「マナヒーは大変だねー。学園の中でも外でも神様扱いとか」


「俺は神様になんてなりたくなかった。ただ……ひとりの人間でありたかっただけなのに、どうしてこうなったんだ」


「マナヒー、マンガのキャラみたいなこと言うね」


「学園は逃げ場がないから仕方ないとして、あんなカルトサークルとは二度と関わり合いになりたくない。公衆の面前で人を神だ神だと崇めやがって……目が狂信者のそれだから怖すぎるだろ」


「でもその割には、ノリノリでハルやんって人に、助言してなかった?」


「うーん、まあ……それは」


 そこがまた悩ましかった。


「ハルやんの奴、一度で終わるはずだった奇跡を次に繋げたんだ。それはハルやんが推し続けた熱意があっての賜物。素直に凄いと思うし、よかったなって心から思ってる。だからこそ思い違いをしてるハルやんを、このまま見捨てることができなかったんだ」


「期待をするな。与えられる恵みに黙って感謝しろ。そして幸せになりたければ自我を持つな……マナヒー、言ってること完全に宗教の洗脳だよ」


 指を折りながら、里梨は呆れたようにしている。


「しょうがない。憧れってのは、家族でも友達も、ましてや恋人でもない。ただ物理的に近いからって距離を測り間違えると、お互い不幸なことにしかならないんだ」


「距離を測り間違えるって、たとえばどんな?」


「この前、両手をニギニギしてくれただろ? 里梨にとってはご褒美のつもりだったかもしれないが、それで『こんなことをしてくれるんだから、俺のことが好きに違いない』って勘違いしたらどうする?」


「それは……そんなつもりじゃなかったんだけど、ってなるね」


「そしたら俺は、期待させやがって、と怒り出すわけだ。そうしたらもう、俺たちはこんな風にいられないだろ」


「うん、そうだね。それは困るかも」


 困ったような顔をしながら里梨は納得した顔をする。


「だから憧れはどこまでも憧れでとどめておくべきなんだ。下手な期待をかけても、一番辛いのは自分だからさ。それで相手に迷惑かけて、嫌われて、それで憎しみまで覚えちまうかもしれない。そうなったら今まで与えられていた幸せな時間すら、全部ひっくり返って嘘になっちまう。そういうのって一番悲しいからさ。ハルやんには、あんな思いはしてほしくないんだ」


 入れ込んだアイドルに恋人が発覚したファンの悲しみが、まさにそれだ。今までコツコツと推しながら増やしてきたグッズを、ぐちゃぐちゃに破壊して、それをネットに上げて裏切られたと叫ぶ。今まで楽しかった思い出までもが嘘になってしまったように、彼ら彼女たちは悲しみにくれ、今まで幸せを与えてくれた推しに憎しみまで覚えてしまう。


 そういった人間を俺は沢山見てきた。そして散々笑ってきた。そのツケを払えというように、今度は自分が笑われる番になってしまった。


 やはり悪い行いには悪い結果がついて回るということだ。


推しあこがれって言っても、結局相手はただの人間。この世界で自分の幸せを掴みたい、ひとりの女の子であったり、男にすぎないんだ。勝手な期待をかけすぎるのは、自分を不幸にするだけだからな。その口から伝えられる言葉だけを信じて、与えられるものを当たり前と思わず感謝することが、お互い幸せになれる一番の近道なんだよ。……嘘をつくならせめて、貫き通してほしかった」


 百合設定だというのなら、百合営業を貫き通してほしかった。ヒィたんとユリアの間に男が挟まっているなんて知らないでいたかった。ただ、それだけなのだ。


 この世界に生きていながら、まだ生まれいない彼女に思いを馳せた。


「マナヒーってさ、過去に辛いことでもあったの?」


「辛いこと?」


 そんな俺になにを思ったのか、おずおずと里梨は尋ねてきた。


「うん。マナヒーの言うことは、なんか実体験に基づいた反省のように見えたから」


「もしかして……陽衣子さんとのことですか?」


「陽衣子さん?」


 百合が発した知らない名前を、里梨は問い返した。


「俺の初恋の人だ」


「マナヒーの初恋の人……」


「ああ。そして俺にとっての、かつての君たちだった」


「憧れていた、人だったの?」


「ずっと灰色の世界を歩んでいた俺に、彼女は色をもたらしてくれてな。百合にとっての、まさに里梨のような相手だ。……ただ俺の場合は、一方的な片思いだったんだがな」


 面映ゆい思いで、頭を掻いた。


「彼女に裏切られたと思ったときは、文字通り守純愛彦って人間は、一度死んだんだ」


「マナヒー……辛い、恋をしたんだね」


 里梨は悲しみを共感してくれたのか、瞳に溜め込んだ雫を指で拭った。


「でもさ、気づいたんだ。里梨たちを推すと決めたときに、一度推しとの距離、そのあり方を見つめ直して、俺が勝手な期待をかけていたからダメだったんだって。そして百合に教えられて、ようやく折り合いがついたんだ」


 百合に顔を向けると、力強く頷いてくれた。


「最初はさ、彼女に抱いた思いはただの依存だったと思う。あの灰色の世界に色をもたらしてくれるなら誰でもよかったんだ」


「けどいつしか愛彦くんにとって、陽衣子さんは代えがたい存在になったんですね」


「ああ。彼女に出会ってから生まれた幸せは、決して嘘なんかじゃなかった。社会はこの想いを偽物なんていうかもしれないが……それでも本気で、俺は彼女を愛してたんだ」


 あれは間違いなく、本気のガチ恋だった。あそこまでガチ恋していたからこそ、何十回も赤色の感謝を告げてきた。だから百合の間に男が挟まるという現実に耐えきれず、脳破壊されてしまったのだ。


 このタイムリープしたという現実こそが、彼女へ抱いていた愛の証明であった。


「私はその陽衣子さんって人が、どんな人かわからないけど……」


 里梨は相手の心を慮る、優しい微笑みを向けてくれた。


「マナヒーがそこまで言うなら、きっとそれは本物の想いでいいと思う。誰がなんと言おうと、マナヒーは自分の気持ちを信じ抜くべきだよ」


「ありがとう、里梨。終わってしまったものだけれど、彼女との思い出は幸せなものだったって、これからも胸の中にしまっておくよ」


 ふたりの推しから、ヒィたんへの想いは本物だと公認を受けた。それは素直に嬉しかった。けど、その思い出をふたりに語る日は来ないだろう。過去の恋人の思い出を、今の恋人に嬉々として語ることではないように、過去の推しとの思い出を、今の推しへ語るべきではないと思ったからだ。


 俺が今ガチ恋しているのは、この美しい百合の花なのだから。


 なお、後日葉那に「ヒイコ? ああ、はいはい、あのヒィたんのことね」と俺がネットアイドルにドハマりして、三桁万円を注ぎ込んでいた。とバラされ、ふたりにドン引きされることになる。それについてお得意の「ごめーんね」とテヘペロを決められるハメになるのだが、それはまた別の話だ。

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