38 守純の教え
時刻は十一時十分。
街へ出るといったら定番になっていた、また別な三大副都心の駅で降車した。この駅で降りたのは、タイムリープしてから初めてかもしれない。それでも案内図を見ることなく、迷いなく駅構内を突き進む。かつて仕事をしているとき三ヶ月ほど通っていたから、駅構内の勝手はわかっていた。
「マナヒー!」
改札を抜けると、俺を呼ぶ里梨の声。振り返ると里梨が小走りでやってきており、改札を抜けて俺の隣に並んだ。
里梨の格好は、クリーム色のタートルネックにレギンスを合わせて、赤いコートを羽織っていた。学校指定の服装しか見たことがなかったから、それだけで新鮮であり眼福である。
「早いね、マナヒー。私たちとおでかけするの、そんなに楽しみだったの?」
「ああ。楽しみすぎて昨日は夜しか眠れなかった」
「ちゃんと寝てるじゃん!」
里梨は楽しそうに背中を叩いてきた。
「ま、マナヒーのそういう素直なところは美点だね」
「後早く来た理由は、百合なら十分以上前には待ってそうだからさ。早く来たはずの百合に向かって、今来たところ、言ってやろうと思ってたんだ」
「なるほどなるほど。マナヒーはいい勘してるね。百合ったらこの前、十五分前に着いても先に待ってたんだから」
「それは……今来たところって言えない恐れがあるな」
「楽しみにしてくれているのは嬉しいけど……あんまり早く待たれても困るんだよね」
「だな。こんな街にひとりでポンっと立たせてたら、ナンパの餌食だろうさ」
「うんうん。百合ってその手のあしらいかたわかってないから。困りますー、としか言えないんだろうな」
文字通り困ったように、里梨は眉尻を下げた。
たしかに百合とふたりで出かけたとき、ひとりにした瞬間、瞬く間にナンパされてしまっていた。あしらい方もわからず困っていたから、里梨の心配は当然だ。だからこうして待ち合わせより早い時間に来たのだろう。
「これで先に待ってたら、いい機会だから注意したほうがいいな」
「うん。そうする。マナヒーも一緒に怒ってあげてね」
「俺は『まあまあ、百合も反省してるしそのくらいで』っていう役に徹するよ」
「一番美味しい役だけ持ってくな」
と里梨は俺の頬をつついてきた。
なんという幸せな時間か。心から里梨にガチ恋してよかったと思えるほどに、このやり取りが楽しかった。
里梨と肩を並べながら、待ち合わせ場所の忠犬の像前に到着した。
休日ということもあって人混みが凄い。周辺の座れる場所はすべて埋まっており、その倍以上の待ち人が今か今かと相手を待っている。
これだけの人が溢れていたら、待ち合わせの相手を探すのも一苦労だ。一応百合がいないかと探そうとすると、すぐに特徴的な銀髪が目に入った。
やっぱり百合は先に来ていた。それだけじゃない。五人の男たちが囲むようにして、百合の前に立ちふさがっている。まるで逃げられないようにするために。
不安は的中。案の定百合はナンパされていた。
「百合……!」
「いい、俺が行くから里梨は待っててくれ」
里梨まで近づくと、余計にしつこくなりそうだ。里梨を遠巻きに留めて、俺は百合の助けに向かった。
「百合!」
「あ、愛彦くん!」
泣きそうに困っていた顔が、花開くように輝いた。
百合の目線に導かれるように、男たちは振り返る。その隙をついて百合は男たちの間をすり抜け、俺の腕に抱きついた。
男たちの内四人は、すぐに男かよとつまらなそうな顔をする。
「は? なんなんだよおまえ」
それだけで気が済まない真緑の髪を逆立てた男は、俺に詰め寄ってきた。
「なんだよって……見てわからんか?」
信頼のすべてを委ねるように、俺の腕に抱きつく百合。それを改めて見た真緑男は、面白くなそうに凄んできた。
「彼氏待ってんなら、最初からそう言えよな!」
どうやら俺たちは、カップルに見えてしまったようだ。それだけで気分がよくなってしまったが、里梨が近くで見ている。間違いはしっかり正さなければならない。
「勘違いするな。俺はこの子の彼氏じゃない」
「はぁ?」
「俺はただの一番のお友達さ」
「はい。愛彦くんはわたしの一番のお友達です!」
ギュッ、と頭まで俺に預けながら、百合は嬉しそうに頷いた。
間違いを訂正して、俺たちはお友達アピールをしたら、
「あ、舐めてんのかテメェ」
真緑男は怒り出して、俺の胸倉を掴んできた。
こんな人混みでそんな真似をしたら、人目を引くに決まってる。暴力沙汰かと周囲は騒然としているが、真緑男はそんなこと気にも止めない。
「愛彦くん……!」
「大丈夫だから、下がってて」
抱きつかれていた腕を抜いて、その手で百合を後ろに下げた。
これだけの人混みの中、暴力沙汰にまで発展することはないだろうと高を括っていた。実際残りの四人は、「おい止めろってアイくん」と声だけだが止めに入った。そのくらいの常識を持っている集まりなのだろう。
「なんだその目は。人前だからって、手出さないとでも思ってんのか」
俺の余裕が気に食わないのか、凄むように顔を寄せてきた。この前も同じようなことを言われた気がする。
「俺がキレたら、話通じねーからな」
「なんだ、君は電話の生まれ変わりなのか」
アイくんのお仲間たちは、一斉に吹き出した。それに釣られた待ち人たちの笑い声も、いたるところから湧いてきた。
周囲を見渡したアイくんは、瞬間沸騰湯沸かし器のごとく、顔を真っ赤にさせた。この嘲笑に耐えきれず、このまま去ってくれればよかったものの。踏みとどまって胸倉を掴む手に力を込めた。
どうやらアイくんは、エーくんのお仲間のようだ。謝らせないと死んでしまう病気の類の罹患者のようだ。このままでは終われないと、その瞳に無駄な熱意を宿していた。
「ふざけたこと抜かしてるんじゃねーぞ! 俺がキレたら甘くねーぞ!」
「そうか。電話じゃなくて砂糖の生まれ変わりだったのか」
周囲は更に爆笑の渦に包み込まれた。まるでお笑い番組のスターになった気分だ。
「なるほど。だから頭にサトウキビ畑を耕しているのか」
「サトウキビ畑……クッ、ククク!」
「もう、止めろってアイくん……サトウキビ畑、ぷっ!」
お仲間のふたりがサトウキビ畑を眺めながら、必死にアイくんを俺から引き剥がした。ちなみに必死だったのは、笑いを堪えることにだ。
これから弄られるネタが誕生してしまい、アイくんは耳まで真っ赤である。
胸倉を掴まれていた俺も、さすがに悪いかなと思ってしまった。
彼はあくまで病人なのだ。謝らせなければ死んでしまうというのなら、手を差し伸べてあげるのが思いやりというものだ。
「ごめんな、アイくん。俺が悪かった」
「うるせー! ぶっ殺してやる!」
ふたりを振りはらったアイくんは、ジャケットの内ポケットに手を入れた。取り出したものを割くように開いた途端、周囲から悲鳴が上がった。
バタフライナイフである。
「アイくん、それはシャレにならんって!」
「黙れ! テメェらも笑いやがってよ!」
アイくんにナイフを突きつけられ、仲間のひとりは「ひぃ!」と後ずさった。
他の四人がまともだからと、高を括ったことが裏目に出たか。さすがの俺もこれはヤバイと焦ってしまう。
全力ダッシュで逃げようにも、百合はまだ後ろにいる。さすがに置いては逃げられない。
アイくんはこちらにナイフを突きつけながら、一歩、また一歩。近寄ってくる。
こうなったら俺の安い土下座で切り抜けるか。そう思っていると、
「ガッ!」
誰も彼もが俺たちから距離を取っていく中、その巨体は突然アイくんの背後に現れた。ナイフを持っている手を捻り上げると、そのまま地面に組み伏せたのだ。
注意することすら誰もが恐れる中、たったひとりで勇敢に立ち向かい無力化した英雄。まばらに増えていく拍手が、ついには喝采へと至ったのだ。
そして助けてくれた相手は、案ずるように顔を向けてきた。
「ご無事ですか、神」
「ハルやんさん!」
後ろから覗き込んできた百合が、ヒーローの名を呼んだ。
「ありがとう、ハルやん。また助けられたな」
「いえ、このくらい。神こそお怪我がなくてよかったです」
握手のひとつでも交わしたいところだが、ハルやんはアイくんを組み伏せている。文字通り手が離せない状況だ。
アイくんはジタバタするも、その拘束はまったく緩む様子はない。
「離しやがれ!」
「大人しくしていろ。貴様はこのまま警察に突き出す」
「はっ!? ふざけんなよ!」
なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか。不思議でならないといった様子で、アイくんは暴れようとする。が、そのすべてはハルやんの巨体に押し込められた。
「警察って……大げさすぎだろ」
「そもそもふざけたこと言ったのは、そっちのほうだろ」
「アイくんを離してやってくれよ」
「責任持って連れてくからよ、頼むよ」
ナイフまで向けられたのに、彼らの友情は厚いようだ。アイくんを見捨てず、ハルやんの説得に入った。
「ダメだ。この御方に刃を向けた報いは、法の裁きで受けてもらう」
しかし固い決意の元、ハルやんはノーと言った。俺以上に、ナイフを向けたことを憤っている。ここが異世界であったら、その罪は命で贖ってもらうと言い出しそうだ剣幕だ。
四人はそれぞれ目を見合わせながら頷いた。アイくんをハルやんから救おうとしているのだ。ナンパで印象が悪かったが、案外いい奴らなのかもしれない。
彼らがハルやんににじり寄ろうとすると、
「会長! 急に走り出してどうされたんですか?」
そんな声と共に十人ほどの団体が現れた。ハルやんほどではないが、誰も彼もがスポーツや格闘技などやっていそうな体格をしている。
会長と呼んだ男が、ハルやんが組み伏せているアイくんを見やった。
「そいつは?」
「神に刃を向けた不届き者だ」
「なに、神に刃を!?」
凄い剣幕で男たちは、ハルやんを中心に取り囲んだ。組み伏せられたアイくんは、なにが起きているのかわからない。今にも泣き出しそうな顔をした。
観念したのを察したハルやんは、アイくんを開放した。ただ逃げようとするとわかっているな、と眼力で送っている。これだけの男たちに囲まれて、アイくんは諦めたように動けずにいた。アイくんのお仲間もそれは同じである。
そんな中、男たちのひとりがふと思いついたように言った。
「神に刃を向けたってことは……会長、まさかここに神がおられるのですか?」
「ああ。この方こそが我らが神、守純愛彦さんだ」
ハルやんが俺に手を差し向けられると、男たちの視線は一斉に集中した。
「お会いできて光栄です、神」
「これが神の御姿……なんと神々しい」
「やはりオーラが溢れておられる」
などと、今にもひれ伏したいとばかりに、その瞳には感動の二文字が宿されている。ただし俺にはその文字が、狂気としか読めなかった。完全に狂信者の目である。
大学生以上の体格のいい男たちが、いかにもな高校生を神だ神だと崇めているのだ。周囲の視線は完全にヤバイ奴らを見る目であった。そしてその視線は俺に集まっているのだから理不尽なことこの上ない。
全員一丁前に怖がっているが、一番怖いのはこの俺だ。
「は、ハルやん……その、この人たちは……?」
ぎこちない顔をハルやんに向けた。そんな俺とは対照的に、ハルやんは誇らしげに顔を向けてきた。
「彼らは『守純の教え』のメンバーです」
「守純の教え?」
その言葉だけでゾクリとした悪寒が走った。
「神から授かったお言葉を広めながら、各々の幸せを掴もうという自助会です。大学のサークル活動みたいなものだと思って頂ければ」
「お、お言葉って……?」
「おまえたち」
俺の疑問に、ハルやんは狂信者たちに顔を向けた。
そしたら一斉に、彼らは言葉を発したのだ。
「諦めなければ夢は必ず叶うなんて綺麗事は言わない。けどその綺麗事を信念に据えて、推し通した先にしか見られない景色はきっとある。それこそ天国のように素晴らしい、綺麗な世界にたどり着くんだ」
一字一句違わない、見事なまでのハモリであった。
止めてくれ。中二のときに自分に酔いながら吐き出したポエムもどきを、大合唱しないでくれ。
そんな俺の思いとは裏腹に、今にも詰め寄りそうな勢いで彼らは口を開いた。
「神の教えを信じたおかげで、学園のアイドルと付き合えました」
「俺は妹の手術費用を宝くじで当てることができました。これも神の教えのおかげです」
「神の教えに触れた次の日、生き別れの兄弟と再会できました」
「ずっと好きだった義理の妹と、神の教えのおかげで両思いだと気づけました」
そうやって次々と彼らは、教えを信じた成果を報告してきた。
厨二病ポエムもどきを信じただけで次々奇跡を掴むとか、こいつら揃いも揃って化け物スペックかよ。
俺に向けられているのは神を崇める目だけではない。自らを神と崇めさせるヤバイ奴という目でも見られている。
あれは教えでもなんでもなく、自分に酔いながら吐き出したポエムもどきと言えればどれだけよかったか。ここまで盲信されると、今更それも言いづらい。まあ、十人ちょっとの小さなサークルが、仲間内でわいわいやっているだけだろう。ハルやんの知り合いだから、みんな元々スペックが高かったのだ。そこに水を差すのもあれだ。どうせここだけの縁として割り切ろうと開き直った。
「そ、そうか……奇跡を掴めてよかったな、うん」
「神の教えを信じて救われたのは、ここにいる奴らだけじゃありません。まだほんの一部です。神に感謝を捧げたいものは沢山います」
「ほんの一部?」
「先日、守純の教えの会員が、ついに百人に到達しました」
「百!?」
さらっととんでもないことを告げられ絶叫した。
俺を神と崇める狂信者たちが、知らないところで百人もいることに驚愕した。厨二病ポエムもどきを、百人も盲信しているのかと恐怖もした。
そして気づいてしまった。なにより一番ヤバイのは、自分に酔った厨二病ポエムもどきひとつで、ここまでの人を集めるハルやんだということに。推しのアイドルがAV堕ちしたら、企画ものでワンチャンあると教えただけなのに……。そこからなぜ、俺を神と崇める百人の狂信者が生まれてしまったのか。
望まぬ神の座に据えられるとか、エロ神様と同じ末路を辿っているではないか。
ただ困っている人に手を差し伸べただけなのに、どうしてこうなった!
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