37 ん、今なんでもするって言ったか?

「ちょっとお花を摘みに行ってくる」


「あんな血の池地獄を食うからだ」


 改札を抜けた途端、葉那はお腹を押さえてトイレに向かっていった。


 三大副都心の駅なだけあり、帰宅ラッシュで人が満ちている。スマホという暇つぶしもないから、通行人を観察するしかやることがない。


「あれ、守純じゃねーか」


 そんなことをしていると、ふいに声をかけられた。


 親しげでこそないが、当たり前のように守純と呼ばれた。この時点で百合ヶ峰の生徒じゃないな、という確信があった。


 振り向いた先で俺に視線を送っているのは、男女半々の十人グループだ。学校指定であろうコートを皆一様に着用していた。


 十人の内、ふたりの顔に見覚えがあった。ひとりは棚瀬たなせという同じ中学だった男子。もうひとりはかつてのクラスメイトだが、名前は思い出せない。 


「久しぶりじゃん。卒業式以来か?」


 思い出せないほうの男子は、軽薄な笑いを浮かべながら近寄ってきた。彼はクラスメイトでこそあったが、こんな風に話しかけられる仲ではない。なんだったら、私用で一度も口を聞いたことがないくらいだ。


 かといって、こうして話しかけられるのを跳ね除けるほどではない。


「えっと……顔は、顔は覚えてるんだ。……ここまでは出てきてるんだが」


酒井さかいだ」


「そう、酒井だ!」


 呆れたように名乗った酒井に、そうだそうだと手を叩いた。


 すぐに軽薄な笑みを取り出した酒井は、俺を指さしながらお仲間に振り向いた。


「こいつがさっき話した奴」


 棚瀬以外は一斉に爆笑した。


 なぜ爆笑されたのか。予測するとすぐに見えてきた。


 彼らは全員同じ高校のクラスメイト。金曜日ということもあり、今週もお疲れ! とばかりに街へ繰り出していたのだろう。カラオケかファミレスとかで、中学のときにヤバイ奴がいてさ、と俺の話でもしたに違いない。その帰りに本人がいたものだから、丁度いいと話しかけてみたというところか。


「守純、まだひとりなのか?」


 笑いものにしたついでに、マウントを取りたいようだ。俺の世界ランクを吸収しようと目論んでいるのだろう。マウントという言葉が広まる前から、こういう奴はどこにでもいるんだな、と面白いものを見る目を送る。


「飯食った帰りでな、ツレを待ってるんだ」


 親指でトイレを差した。


 酒井は信じていないのか、また軽薄に笑った。


「ツレって、おまえにそんなのいるのかよ」


「もしかして廣場とか? 帰ってきたのか、あいつ」


 一切の嘲笑もなく、棚瀬は聞いてきた。


 棚瀬は中学に入ってから、葉那がつるんでいたグループのひとりだ。死んだわけではないと聞かされてはいるが、ある日突然いなくなった友人が気になったのだろう。それこそ会いたそうな顔をしてる。


 申し訳ないが、俺はかぶりを振った。


「いや、マサとはあれ以来、一度も会えてない」


「そっか……なんか、悪いな」


「いいって。気にしないくれ」


 俺が葉那と仲がよかったのを知っているから、棚瀬は申し訳なさそうな顔をした。


「廣場じゃなかったら、誰を待ってるんだよ。もしかして強がってる?」


 まったく空気が読めない酒井は、なおもマウントを取ろうとしてくる。そこまでして世界ランクを上げたいのか。それともこんなみっともない姿を見せることが、クラスメイトにいいところを見せていると信じ切っているのか。どちらにせよ俺がひとりであって欲しいとすら願っている。


 一周回って楽しくなってきた。


「待たせちゃってごめんね、愛彦くん」


 この通り葉那がやってきたらどんな顔をするのか。期待ばかりが高まった。


 葉那は酒井たちなど目に入っていないというように、俺の腕に抱きついてきた。絶対に遠目から酒井たちのことに気づいての行動だ。


 持つべきものはやはり親友だ。このもたらされた葉那のパス、自分を使って世界ランクを吸収しろという合図である。


「いいよ。むしろ待ったおかげで、声をかけてもらえたからさ」


「あ、もしかしてお友達?」


 さも今気づきましたと言わんばかりに、葉那は酒井たちに目を向けた。


 学園の三大花美。トワイライト・プリンセンスとまで呼ばれる美貌に、男たちは釘付けとなった。すっげー、やべーとか声が聞こえてくる。


 酒井に差し向けた手を、棚瀬に移動させた。


「こっちのふたりが、一緒の中学でさ」


「へー、そうなんだ」


 組んでいる腕に葉那は力を込めた。まるで自分たちの親しさを見せつけるようだ。


「えっと……その子は、守純の、なんなの?」


 葉那に見惚れた酒井は、ハッと我に返るとしどろもどろに聞いてきた。


 目に映る光景を見れば、どんな仲かわかるであろうに。あの守純なんかにそんなものが、それもS級美少女がいていいわけがない。そんな顔をしている。


 葉那は隣でもじもじと照れながら、


「ど、どんな関係に、見えますか?」


 精一杯の恋する乙女の情を満面に描ききったのだ。この演技力、マジで天才である。こいつの本性を知らずに優しくされたら、日景が落ちるのも仕方なしだ。


 悔しそうにしながら、酒井はクラスメイトの女子たちに視線を向けた。数が多いだけで絶対に勝てない。戦力の差を思い知ったのだ。


「はぁ? なにその顔」


「ムカつくんだけど」


「ああ、もういこいこ」


 酒井の顔があからさますぎて、女子たちの機嫌が損ねてしまった。酒井を置いて帰ろうと動き出した。酒井がそれを追いかけようとすると、「ついてくんな!」とまで罵倒されていた。


 そんな集団に置いていかれたのは、酒井だけではない。


「あ、えっと……それじゃ、守純」


「おう、またな」


 ずっと葉那の顔を見つめ続けていた棚瀬も、我に返ると集団を追いかけていった。他の男たちと違い、葉那の美貌を見惚れていたのではないのは、なんとなくわかった。面影を見てしまっていたのだ。


 葉那は棚瀬の背中を見えなくなるまで目で追っていた。


 階段を上がり、電車をホームで待った。その間、ずっと無言であった葉那に声をかけた。


「大丈夫か?」


「うん……思ったより大丈夫みたい」


 葉那はスイッチが入ったように、ふっと笑った。


「棚瀬ってば、随分と垢抜けてたわね」


「あの三人とは大違いだ」


 あの三人とは、棚瀬を含めてつるんでいた葉那の友人たちだ。俺以外と遊ぶときは、いつも五人で行動していた。


 棚瀬は別の高校へ進学した。夏祭りで会った三人にそう教えられていたのだ。


「あいつら棚瀬と違って、中学卒業してから数ヶ月経ってるだけの格好だったからな」


「どんな格好だったっけ?」


「英語の羅列と髑髏とドラゴンのティーシャツだ」


「なにそれ、そんなの見たら絶対に笑うんだけど。覚えてないのが悔しいわ」


 腹を抱えそうなほど葉那は笑った。


 あの場に葉那はいたし、ちゃんと三人を見ていた。それを覚えていないのは笑っていられなかったからだ。


 目の前で、廣場は今頃どうしたんだろうな、という話をされて葉那はその場から逃げ出した。目の前に自分はいるのに、廣場花雅としてその輪には二度と戻れない。男としての自分は完全に死んでしまった現実を見せつけられ、それが葉那の心を追い詰めたのだ。


 追いかけてきた俺に、泣いている姿を見られてしまった。俺にだけはこんな姿を見られたくなかったと、葉那は一気に心が折れてしまったのだ。


 死にたい、と。何度も口にしながら泣きじゃくるほどに。


「そういえばね、次のカウンセリング、三ヶ月先になったのよ」


 あのときの姿が嘘だったかのように、葉那は嬉しそうに報告してきた。


「お、かなり伸びたじゃねーか。今までは月一だったろ?」


「あれからね、一回も再発してないし、薬も飲んでないの。最近までお守り代わりに置いてたけど、こんなものに二度と頼るもんか、って。この前全部海に捨ててきたわ」


「おまえはロバート・ダウニージュニアかよ」


「誰よそれ」


「元薬中の映画スターだ。薬を断ち切ったとき、全部海に捨てた逸話があるんだ」


「薬中って……たかだか睡眠薬を、そんなものと一緒にしないでよ」


「依存してたのはたしかだろ。同じだ同じ」


「そうだけさ……」


「カウンセラーは、期間を伸ばしたことについてなんて言ってた?」


「大事にしろってさ」


「なにをだ?」


 死にたいと泣きじゃくる葉那に、俺はタイムリープした話を含めて、腹を割った上で思いの丈をすべて語った。


「私は女の身体で生きるって受け入れただけの廣場花雅。それを覚えていてくれて、同情も偏見もなく側にいてくれる、たったひとりの理解者ともだちのことをよ」


 そして最後に、俺たちはズッ友だよ! と約束した。


 その後、かつてのクラスメイトたちに、ラブラブカップルっぷりを見せつけ嫉妬させるという遊びに興じたところを、里梨に目撃されて誤解を生んだ。それがあの日に起きた顛末である。


 棚瀬を見てもまったく取り乱さなかったのは、葉那の精神状態がいい方向に向かっている。うつ病の兆候はもう見られない。だからカウンセラーも、次のカウンセリングまでの期間を伸ばしたのだろう。


 そんな葉那を見てよかったと心から思う。


「ま、いつまでも側にいてはやれんがな。友達なんてのは、どこまでいっても友達だ。病めるときも健やかなるときも、共に支え会える人生のパートナーにはなれないからな」


「そういう相手をこの先見つけることが、私の人生の課題ね」


「やっぱりお前に必要なのは、年上のお姉様というわけだ」


「ほんとそれ。あー、先輩たちのような彼女がほしい」


 すぐ側にいるけれど、手を伸ばして掴むのが難しい。葉那は楽しんで生きているように見えて、人生の課題が山積みなのだ。


「ヒコ」


「なんだ?」


「なにか困ったことがあったら言ってね。ヒコのためなら私、なんでもするから」


 ふと、そんなことを葉那は言った。


 友人であるからこそ、寄りかかったままではいたくない。そんなことを思っているのだろうが、それこそ気に病む話ではない。


 葉那が前向きにやっていける理由を俺に見つけたように、孤立し続けようが俺が前向きに学校生活を送れたのは葉那がいたからだ。たったひとりでもいいから、自分のことをわかってくれる友人がいる。かつての人生で友人なんていなかったからこそ、そのありがたさを誰よりもわかっているつもりだ。


 俺たちの関係が、釣り合っていることに気づいていない葉那がおかしかった。


「ん、今なんでもするって言ったか? そんなことを言ってしまったばかりに、可哀想な目にあった女の子たちを俺は沢山見てきたぞ」


 その意味が通じたのか、葉那はそういうつもりじゃないと顔を赤らめるどころか、ニヤっと笑った。


「そうねー。ヒコってばこのままじゃ、また一生童貞の道を歩みそうだから。『どうかお願いします葉那様』って土下座したら、捨てさせてあげてもいいわよ?」


「バーカ。俺の土下座の安さを忘れたのか?」


「そうだった。ヒコってば、カウンターを食らわすために平気で土下座するような男だったわね。なら足でも舐めてもらおうかしら」


「三十三年間、童貞を拗らせつづけてきた男の性癖を舐めたな。おっぱいおっぱいって喜んでるクソガキ共とは次元が違う。美少女の足を舐めるとか、夢にまで見たご褒美だ」


「ヒコ……いくらなんでも無敵すぎない?」


「無敵の人になって、何度社会に復讐という名の八つ当たりをしようか。クソみたいな仕事しながら、ずっと考えてきたからな」


 葉那はため息をつきながら、両手を上げた。負けを認めて降参したのだ。


 かといって、俺の手が止まるわけではない。オチはちゃんと用意しているのだ。


「ああ、そうだ。最近困ったことがあったんだった」


「どんな困ったこと?」


「俺の評判が、悪魔のせいで二股最低野郎に落ちたことだ」


「ごめーんね」


 葉那はテヘペロを決めながら、コツンと頭を叩いた。


 今日も変わることなく、葉那は平常運転であった。

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