35 お互い残念だったね
ライバル認定されてしまったその日の昼休み。
今日は百合とだけではなく、里梨を加えたランチイベントが発生していた。場所はすっかりお馴染みとなった視聴覚室。一番前で並んでいるふたりと向き合って食べるため、
パイプ椅子を持ち出している。
一通り食べ終わった後も、教室に戻らず和やかな雰囲気で語り合っていたら、
「そうだマナヒー、朝のこと聞いたよ」
里梨はパンと手を叩いた。
「なんでも廣場さんのことで、宣戦布告されたらしいじゃん。マナヒーのこと、ライバルだと思ってるって」
「そうなんですよ。里梨から借りたマンガみたいなことが起きたんです」
「そっか、百合も同じクラスだもんね。その男子、凄い変身したらしいけど、そんなに凄かったの?」
「まるで別人でした。愛彦くんなんて『どこのクラスの奴だ?』って聞いちゃって。隣の席だよって言われたら、愛彦くん叫んじゃってましたから」
「マナヒー、隣の席なのにわからなかったの!? うわー、その場にいたかったなー」
ふたりは顔を見合わせ、きゃっきゃとはしゃいでいる。一応恋バナに類する話だから、やはり女の子は好きなのかもしれない。
ニヤニヤしながら里梨は視線を向けてきた。
「それで、宣戦布告されたマナヒーはどんな気分なの?」
「葉那の友人として、正直深い責任を感じている」
「どういうこと?」
「日景の奴、折角あれだけのイケメンになったのに……青春をドブに捨てる道を選んじまったんだ。本当に可哀想でならない」
「マナヒー……いくらなんでも、ライバル相手にそれは辛辣すぎない?」
「葉那を振り向かせるのは百パー無理だからな。説得する言葉を持ち合わせなかった自分に、無力感すら覚えたよ」
自分が掴めない幸せを、格下の男に掴んでほしくない。ただそれだけの思いで、愉快犯のように日景に好意を抱かせた。そんな悪魔に心から惚れてしまい、日景はラノベの主人公のごとく覚醒した。人生のヒロインの選択を間違えさえしなければ、ラブコメものになったのに。残念ながら日景に待っているジャンルは、葉那を喜ばすためのコメディである。その裏の顔を知った瞬間、日陰の人生はサスペンスに転ずるだろう。
「そんなことないんじゃないの。やっぱり自分のためにカッコよくなろう、って頑張った人は女の子的にポイントが高いよ」
そんな悪魔の本性も露知らず、里梨はこの恋は実りあるものだと信じている。
里梨は物憂げに考えている顔をした。それがふんぎりのついたように改まると、まっすぐと俺を見据えてきた。
「昨日はさ、全部噂話を鵜呑みにして、マナヒーのこと色々と責めちゃったけど……改めて聞かせてほしいの。マナヒーがさ、廣場さんに『俺たちはずっと友達だ』って言ったのは本当?」
「正確には俺たちはズッ友だよ! って言ったんだが、概ね間違いない」
「じゃ、じゃあ廣場さんのことは、本当に女の子として見てないの?」
「ああ。あいつは永遠に男友達枠だ。そう約束したからな」
「……でもね、マナヒー。同じこと言うけど、やっぱり私から見て、廣場さんはマナヒーのこと好きなんだと思う。そんなことはないってマナヒーは言うけど……やっぱり一度、廣場さんの気持ちに向き合ってあげてほしい」
「あー……えっとな、里梨。あいつは――」
「マナヒーが酷い人じゃないのは、百合のことでよくわかった。きっと廣場さんのことを、友達として大事に思っているんだろうね。それこそお互いの居場所だって思えるくらいの関係なんだなって」
「それはその通りなんだが、あのな――」
「それでもやっぱり、先がないって言われながら、マナヒーの側に居続けるのは辛いはずだから。そこに自分のことを心から思ってくれる人が現れたら……魔が差すとね、ついコロっていっちゃうことってあるから。相手がいい人であればいい人であるほど、自分が本来選ばない道を、つい選んじゃうの」
「里梨、言わんとしていることはわかるが――」
「そうなったら、もうふたりは今までどおりにいられなくなると思う。いざ廣場さんが隣から離れたとき……失ってからそれが大事なものだったって、気づくこともあるはずだから。マナヒーが後悔しないためにも、お願いだから――」
「いいか、里梨。あいつの好みは年上のお姉様だ。
「……え?」
里梨の深刻なまでの表情は一変。声は上ずり、見開かれた目をパチパチさせていた。
「年上の……お姉様?」
「わたしたちと同じみたいですよ、廣場さん」
「嘘っ!?」
なおも理解が追いつかず、首を傾げた里梨に百合は伝えた。ようやく理解が追いついた里梨の叫びは、視聴覚室中に響いた。
落ち着かない気持ちの置きどころを探すように、里梨はあちこちに目をやる。
「はー、へー、はー、ほー……あの廣場さんが、へー。意外というか、まさかというか……全然わからなかった」
「それを言うなら、君たちふたりもそうだろ」
「ま、まあ、それを言われたらそうなんだけど……」
「誰も思ってもいないだろうな。学園の三大花美全員が、女にその矢印を向けてるなんて」
改めて考えると凄い話だと、つい笑ってしまった。
ようやく合点がいったように、里梨は深く頷いた。
「だからマナヒーは、ずっと友達だって言い切ってたのか。てっきり人の好意に鈍感な人なんだって思ってた」
「性格の相性がいい上に、ふたりに並ぶ美人だぞ? あいつが根っからの女だったら、好きにならないなんて嘘だろ。ならないっていうことは、それなりの理由があったってことさ」
鈍感系主人公だと思われていたようだが、そんなことはまるでない。
葉那が受け入れたのは、女として生きていくことではない。女の身体で生きていかねばならない現実を受け入れたのだ。
「葉那はあれで、他人から理解を得るのが難しい秘密を背負ってるんだ。それをすべて受け入れ、前を向いて生きていくって決めたからには、俺たちはズッ友だよ! って約束したんだ」
「その秘密って……私たちの関係とか、そういうものより?」
「ふたりの秘密が拳銃なら、あいつの秘密はミサイルだな」
「……そっか。どんな秘密かは想像できないけど、廣場さんがマナヒーを特別な人として扱ってる理由は、なんとなくわかった」
里梨の勘違いした葉那の態度に納得できたようだ。
「でも、マナヒーたちが腕を組んでたのを見たのは本当だから。……仲睦まじい、恋人にしか見えなかった」
それでもかつて見た光景は忘れられない。その説明を欲するように、里梨は僅かに目を伏せた。
その話については、正直言いたくなかった。ふたりには、聖人君子の愛彦くんで通したいからだ。
「まあ……たしかに覚えはあるけど、あれは、その」
「や、やっぱりふたりは心の何処かで……好き、あってるんじゃ、ないの?」
「いや、それは絶対ないんだが……あの件については、後ろめたいというか、後ろ暗いというか……ふたりに幻滅されたくないというか」
「幻滅なんてしないから、お願いマナヒー。あのとき見たものの意味を、ちゃんと私は知りたい」
聞かずには終われいないと、乞うように里梨は言った。
なぜ里梨がそこまで拘るのか。女の子は恋バナ大好きだから、掘れるところはしっかり掘っていきたいのだろうか。
必死になって隠すほどでもないので、話すことにした。
「俺たちを見たのは、夏祭りのときだろう?」
「う、うん」
「あの会場でさ、中学のクラスメイトたちを見つけたんだ。俺、中学じゃずっとクラスで孤立してたから……」
「してたから……?」
「葉那とラブラブカップルっぷりを見せつけることで、なんで守純なんかがこんな美少女と、って嫉妬を煽る遊びに興じてたんだ」
「マナヒー……案外性格悪いね」
緊張に塗れた里梨の顔が、一気に呆れ返った。あれは一体なんだったのかと悩んできた答えが、あまりにもくだらなすぎて開いた口が塞がらないようだ。
「い、言い出したのは葉那のほうからなんだ! 『私ほどの女とラブラブカップルを演じれば、あいつらを見返してやれるわよ』って。終わったら見たかよあいつらの顔って、めっちゃ笑ってたし!」
「廣場さん……中々、性格あれだったんだね」
「あいつは外面こそいいが、里梨が思ってる百倍いい性格してるからな。自分の可愛さを客観視できてるから、なおたちが悪い」
里梨からの信頼を取り戻さんと、親友の名誉を差し出した。里梨は引きつった顔をしている。
「この前百合を巻き込んだ騒動だって、蓋を開ければ酷いもんだぞ。散々否定してもそれでも俺が好きなんだろ、って言われ続けることにうんざりしたらしくてさ。こういうのを見たかったの、って悲劇のヒロイン面したせいで起きた勘違いなんだ」
「うわ……」
「しかもそのせいで俺が最低二股野郎のレッテルを貼られたことについて、『ごめーんね』の一言で済ませやがった」
あのときの葉那を再現するように、頭をコツンと叩いてテヘペロを決めた。
「廣場さん……その、凄い方、なんですね」
「前に言っただろう。あいつは悪魔だって。社会平和を願うなら、本来始末をしかるべき存在なんだ」
さすがに同意はできず、百合は曖昧な顔で苦笑いを浮かべた。
里梨もまた苦い表情を見せてくる。
「そんな人とよく、友達としてやっていけるねマナヒー。被害だってあってるわけでしょう?」
「まあ、悪ふざけとはいえ、俺を貶めたくてやったわけじゃないしな。後に引くくらいの目くじらを立てるほどでもないさ」
「マナヒー、廣場さんには甘いんだね」
少し羨ましそうに里梨は微笑んだ。
「ま、あいつは人生の盟友だからな」
「盟友とはまた、凄い言葉が出たね」
「学校でどれだけ孤立しようと、たったひとりでも離れないでいてくれる奴がいれば、開き直って前向きになれる。それがわかったのは、間違いなく葉那がいてくれたおかげだからな」
タイムリープしてから、俺はずっと学校で孤立し続けてきた。
あるときはあいつがいるとつまらないと、男子の輪から外れてしまった。
あるときは愛彦くんの目が怖いと担任に相談され、女子と距離を置くことになった。
あるときはエロの話を始めるといきなり現れるヤバイ奴の地位を得て、学年中から避けられるようになった。
あるときは俺に話しかける奴はエロを求める奴という噂が広まり、学校全体から忌避されるようになった。
そして百合ヶ峰の門をくぐってからは、神に祀り上げられてしまったばかりに、スクールカーストから外れてしまった。
それでも俺はずっと前向きに学園生活を送ってきた。たとえ輪から外れて、孤立し続けようと、葉那だけは友達としてずっと気にかけ続けてくれたからだ。
中二の夏、葉那がいなくなって初めて、その存在の大きさに気づいた。いなくなってことで初めて、寂しいという感情を覚えてくらいだ。だからこの学園で再会したときは母ちゃんがこの世界で生きている。それと同じくらい嬉しかった。
この先できるだろう友達に、代わりはいくらでもいるだろう。それでも葉那の代わりだけは、この先絶対にいないとだけは断言できる。
「やっぱり、愛彦くんと廣場さんは、素敵なお友達関係ですね」
「そこまで恥ずかしげもなく言うなんて、こっちの顔が赤くなっちゃったよ」
百合はただ羨ましそうに、里梨はわざとらしく手で顔を扇いだ。
「廣場さんとは、いつ頃からのお付き合いなんですか?」
「小一からずっと同じクラスだったらしいけど、仲良くなったのは小五からだな」
何気ない百合の質問に答えると、里梨は怪訝な顔で首を傾げた。
「んー?」
「どうしたんだ、里梨?」
「いや……廣場葉那なんて子、いたっけなって」
「いたっけって……また、どういう意味だ?」
「あー、やっぱり覚えてないなこいつー」
問いかけると、里梨はぷっくりと頬を膨らませた。前のめりになって、俺の頬をツンツンとつついてきた。
「私たち、小四までずっと同じクラスだったんだよ」
「マジで!?」
思いもよらぬ事実に驚愕した。百合も目を丸くしながら、両手で口を覆っている。
「まさかこの俺に、美少女の幼馴染キャラがいたなんて」
「別に幼馴染って呼ぶほどじゃないよ。クラスが一緒だっただけで、私的な交友があったわけじゃないから」
里梨は手を振って否定した。
「それに私、四年生の途中で転校したから」
通りで里梨なんて子がいた記憶がないわけだ。
俺は小五以前の記憶はまったくといっていいほどない。なにせ俺にとって、小四は六年前ではない。二十九年前の出来事だ。それまでにクラスメイトと築いた思い出は、文字通りなにひとつ覚えていない。
百合は興味深い顔を里梨に向けた。
「当時の愛彦くん、どんな子だったんですか?」
「そうだなー……男子の中心人物ってほどじゃなかったけど、その周りにいるような子だったかな」
そうだったんだー、と百合と同じ表情をした。
「後、とにかく足が速かったね。マラソンとか徒競走ではいつも一番で、運動会のリレーではずっとアンカーだったし」
「へー、愛彦くん凄いですね」
にっこりと百合は微笑みかけてくれる。それは同世代への称賛というよりは、幼子を偉い偉いするような褒め方だった。
「私が最後に参加した運動会でね、ずっと一番を走っていたうちのクラスで、アクシデントが起きたの」
「アクシデント?」
百合がキョトンとしたように首を傾げる。
「マナヒーに繋ぐため走ってた子が、途中でバトンを落としちゃったの。それでバトンを渡す頃にはビリになっちゃったんだけど……」
里梨がチラッと見てくるが、俺はかぶりを振った。なにも覚えてないのだ。残念そうに里梨はため息をついた。
「マナヒーが全員ゴボウ抜きして、一発逆転一位。あのときのマナヒーは、まさにクラスのヒーローだったなー」
「悪い、まったく覚えてない」
「ふーん……ちなみにそのバトンを落とした子、マナヒーのこと好きになったんだけどな。今でもその初恋、大事にしてるらしいよ」
「マジか!?」
頭を抱えて、必死に二十九年前の記憶を探り出す。……ダメだ、出てこない。
「ち、ちなみにその子……可愛い?」
「少なくとも私と遜色ない子だね」
「くそ、まるで思い出せん……」
「惜しいことしたね。もし覚えてたら今頃、その子と付き合えてたかも」
「……里梨さん、里梨さん。お願いがあるのですが」
「ダーメ、教えなーい」
まだ全部言っていないのに、意地悪い声で里梨は却下する。
「こういうのは、ちゃんと自分で思い出してあげないと。そのほうがね、女の子は嬉しいんだよ」
「かくなる上は、アルバムを引っ張り出だして当たりをつけるか」
「ちなみにその子、最近できた恋人に夢中だから。マナヒーのこと勘違いしちゃってたから、あっさりと諦めちゃったの」
「淡い夢だった……」
俺は机に突っ伏して、色んなものを悔やんだ。
里梨の口ぶりでは、どうやらその子はこの学園の生徒だ。勘違いというのはエロ神様としての悪評だろう。
こんな形で知らないフラグが知らない内に折れていたとは。マジで泣きたい。
「勘違いさえしなかったらねー。お互い残念だったね、マナヒー」
そんな様子の俺を、頬杖をつきながら里梨はおかしそうに眺めていた。
絡めた両手を突き出し、里梨は伸びをした。物憂げに考え込む様子で、ポツリと呟いた。
「でも……そっかー、勘違いだったのか」
「なにがですか?」
不思議そうに問いかけた百合に、里梨はガバっと抱きついた。頬同士を擦り合わせながら、里梨は甘い声音を吐き出した。
「ううん、ただ、百合のこと大好きになれてよかったな、って思っただけ」
「ふふっ。わたしが里梨を大好きになれてよかったです」
抱擁を返した百合は、恋人との接触に愛しそうに口元を緩めた。
なんという美しい光景か。
まさに神の恵みがここにある。
込み上がる感情に、自然と両手を合わせた後、ポケットに手が伸びていた。
「尊い……尊すぎるよふたりとも。あまりの尊さに
「マナヒー、その一万円しまって」
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