34 日陰の原石
翌々日のことだ。
いつもより早く家を出て電車に乗り込むと、百合と鉢合わせた。その偶然を喜び合いながら、いつもより早いおはようを交わしたのだ。早寝早起きはいつものことだが、まさか早出にも得があるとは。
推しとの楽しい登校時間を満喫し、教室に着いてからも幸せな時間を過ごしていると、
「守純さん、ちょっといいですか?」
百合以外のクラスメイトから、珍しく声をかけられたのだ。ブラウン色の髪に、ソフトツイストパーマをかけている男子である。首を痛めたポーズが様になる、女子ウケしそうな面立ちだ。
「ん? ああ、別に構わんけど……」
彼の顔を見てから、ずっと頭の中にクエッションマークが浮かんでいた。
緊張した面持ちだが、切羽詰まった様子ではない。俺に救いを求めにきたわけではなさそうだ。かといって先生が呼んでいるとかそういうわけではなさそうである。こうして声をかけられる要件が思い当たらず、脳内ははてなで埋め尽くされていた。そしてなによりこんなイケメン、百合ヶ峰にいたっけな?
「えっと、どこのクラスの奴だ?」
「どこのクラスって……守純さんの隣の席だけど」
「はっ、おまえ
たまらず叫ぶと、一気に周囲の注目を引いた。
いかにも千円カットで髪を切っている、黒縁メガネの冴えないクラスメイトの変身に教室はざわついた。一気に注目の的となった日景は、居心地悪そうに肩をすぼめた。
「マジであれが日景? 変わりすぎだろ」
「ずっと仲間だって信じてたのに……」
「うっそー、ちょっとヤバくない」
「ヤバイヤバイ。原石だったんだ日景くんって」
ただしその注目は、日景の変わりようを揶揄するものではない。冴えない日陰者がイケメン化したことに、ただただ驚いているのだ。特に女子からは好印象であった。
「なんだ、イメチェンしたのか」
「は、はい。変じゃ……ないですかね?」
自信なさげに顔を日景は引きつらせる。
「変じゃない変じゃない。強いて変なところを上げるとしたら、その変化に慣れてない自信くらいだ」
「は、ははは。人前に出るのは、まだちょっとあれで……」
「それが当たり前になれば、雰囲気に馴染むから心配するな。正直前の日景は、中学生がそのままうちの制服を着ただけだったからな。慣れない内は面映ゆいかもしれんが、大丈夫だ、自信を持て。誰が見ても立派なイケメンだ」
「あ、ありがとうございます」
照れくさそうに、後ろ首に手を当てる。やはり俺の見立てに間違いなく、首を痛めたポーズが様になっていた。
妬み嫉みの妖怪から人間に生まれ変わった俺は、日景の変化に一切の負の感情を抱かなかった。なにせ負の感情に囚われてもいいことなんてひとつもない。ただただ自分がみじめで辛いだけだ。人の正への変化を素直に祝福できる。それこそが幸せになる一番の近道である。
百合ヶ峰にまたひとり、イケメンが生まれた。それを素直に喜んでいたところで、ふと思い出した。
「そうだ。俺になんか用があったんだろ?」
「あ、そうだった。守純さんにお願い……ってほどのことでもないんですけど」
日景は姿勢を正した。
「その、守純さん……いや、今日から守純って呼ばせてもらおうと思って」
「なんだ、そのくらい別に構わんぞ」
「い、いいんですか?」
あっさりと願いを許諾され、日景は戸惑っている。
「いいに決まってるだろ。そもそも同級生を敬語でさん付けとかおかしいからな」
「た、たしかにそうですけど、守純さ……守純はほら、色々と特別だから」
日景はなんとも言えない顔で頬を掻いた。その特別は女子に嫌われたくないという思いから生まれたものだから、口にしづらいのだろう。
「それで、その……おこがましいかもしれないけど、俺、守純のこと」
そこまで言って、躊躇うように日景は口を閉じた。
もしかして、この俺と友達になりたいのだろうか。
たしかに俺は百合ヶ峰一の優等生男子である。二学期の期末テストは百合と同列一位で、成績表はオール5。教師からの信頼も厚く、共学化において一番の成功は、守純をこの学園に招いたことだとすら言われている。
なぜこんな俺に男友達ができず、女子から穢れ神として扱われているのか。悪いことなんてひとつもせず、困っている人を見捨てられず手を差し伸べ続けただけなのに。ため息と共に出てくるのは、不当の二文字である。
日景はきっと、この不当な扱いに心を痛めていてくれたのかもしれない。ただ日陰者の身で女子から嫌われたら、この百合ヶ峰ではまともにやっていけない。だから不当な扱いを受けている俺を、黙って見ていることしかできなかったのだ。
神に祀り上げておきながら、見てみぬふりを続けてきた男子たちを、俺は一切恨んではいない。彼らの気持ちはよくわかる。俺は大人メンタルなので、不当な扱いを受けながらも彼らの側に立って、いつだって考えてきた。
イメチェンに伴い、日景は見た目だけではなくきっと心まで変わったのだろう。女子からどう思われようとも、ひとりのクラスメイトとして俺を扱おうと決めたのだ。
かといって、クラスメイトにいきなり友達になろうと言うのは、中々に勇気が必要で、なにより照れくさい。それでもケジメとして、日景はきっと言葉にしたいのだろう。
ようやく俺に、男友達ができる。そう喜びながら次の言葉を待っていると、
「ライバルだって思ってるから」
「……ライバル?」
まったく考えもしなかった単語を聞かされた。
俺をライバル扱いするとか、どういうことか。成績の話をするのであれば、日景は歯牙にもかけない存在だ。点数こそ載せられないが、上から十番目までの順位は名前と共に掲示板に張り出される。日景の名前は見たことがない。
もしかして百合を狙ってるのか? 誰の特別にもならない高嶺の白百合が、誰かの特別になるくらいなら自分がなりたい。だから急にイメチェンをし、こうして俺に接触を図ったのか。
「俺、一昨日助けられて、目が覚めたっていうか、このままじゃいけない。……憧れのまま終わらせたくない。あの人の隣に並べる男になりたいって思ったんだ」
「あの人?」
百合ではないとわかってホッと油断していると、
「……その、廣場さん」
いきなり爆弾を投げつけられ驚愕した。今朝のお供えを口につけていたら、絶対に吹き出しただろう。
なぜいきなり葉那を……と考えていたら、一昨日という言葉から思い出した。
ツンデレちゃんに罵られていたのは日景だったのだ。
まさか隣の席に、悪魔の被害者がいたとは……。
「守純が廣場さんのこと、本気でどう思ってるかわからないし、それを聞こうなんて今更しない。でも……守純に向いている感情を、俺に向けてもらいたいって本気で思ってるから」
「そ、そうか……」
悪魔に恋する少年の決意を秘めた顔は、ただただ哀れでならなかった。
日景は本気である。奴の本性を教えてやりたいが、仮にもあの悪魔は親友だ。たとえ事実陳列罪であったとしても、その名誉を貶めることは俺にはできなかった。
「今更俺が言っても聞かないとは思うが……一応、日景のためを思って言うぞ。あいつを追い求めることだけは止めておけ。折角イケメンになったのに、青春をドブに捨てるハメになるぞ」
今の俺にできるのは、一応止めたからなという建前を作ることだ。
「わかってる。自分がやろうとしていることは、星に手を伸ばして掴み取るようなものだって。それでも伸ばさずにはいられないんだ。……守純にはちゃんと、それを言っておきたかったんだ」
「そこまでの覚悟なら、もう俺からはなにも言えないな」
お互い頷き合って、この話はこれで終わり。
そのまま席に座ろうとした日景は、女子に囲まれたと思ったら、あっという間に連れて行かれた。ただでさえダイヤの原石が正しく磨かれたのだ。磨こうと思ったその理由は、女子たちにとって格好の餌である。
こうしてクラスの主役とまでなった日景は、これから沢山の女子と交流することになるだろう。ずっといないもののように扱われてきたというのに、まるで逆シンデレラ現象である。
ただし日景を変えたのは、よい魔法使いではなく理不尽の悪魔である。
そういう意味では、葉那は正しかった。
百合ヶ峰に選ばれた始まりの男たち。彼らはキッカケさえあれば、簡単に日陰から出てこられる。簡単に幸せを掴める力を持っているのだ。
まさに葉那は自分で言った言葉を、自分で証明してみせたのだ。
ツンデレちゃんと和解さえできていれば……理不尽の悪魔に心を奪われた、日景が可哀想でならなかった。
そんな日景の葉那を振り向かせる努力はス◯ブラに注ぎ込まれ、高校生としての青春をドブに捨てるハメになるのだが、それは再来月の話である。
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