29 下駄箱の手紙

 休み明けの放課後。


 今週の教室の掃除当番は百合である。先週毎日待っていてくれたから、今週は俺が百合を待つ番であった。その間にみつき先生がダンボールを抱えていたので、『重そうですね、運びましょうか?』と申し出た。どうやらゴミ捨てのようだったので、みつき先生の好感度稼ぎのために引き受けたのだ。


 そうやってゴミ捨て場に持っていくと、


「あ、愛彦くん」


「ああ、百合」


 丁度ゴミ捨てに来ていた百合と遭遇した。


 待ち合わせていたからどうせ後で会えるはずなのに、この偶然の出会いを百合は喜んだ。短い校舎内まで向かう道中、俺たちは横並びになった。


「改めて今日はありがとうございます、愛彦くん」 


「ありがとうって、なにが?」


「お昼のとき、視聴覚室の鍵を貸してくれて。周りの目を気にせず、いっぱい里梨とお喋りできちゃいました」


 胸元で五指を合わせながら、百合は幸せそうに微笑んだ。


 一週間も会えなかった恋人。その逢瀬はとても幸せなものであったようだ。もしかしたら沢山唇を交わしていたのかもしれない。それを思うと、美しい百合を愛でられなかったのが残念だった。


「ちゃんとあのことは話せた?」


「えーと、それはー……」


 後ろめたそうに百合は視線を逸らした。


「まさかとは思うけど、言えなかったのか」


「久しぶりに会えたのが嬉しくて……。里梨も、幸せを沢山見て帰ってきたので……中々、上手く言い出せなくて」


「待て待て待て待て。だったら俺の名前を出さずに、あの部屋をどう説明したんだ?」


「ま、愛彦くんのことは説明しましたよ?」


「なんて?」


「ちょっと困ってたところを、愛彦くんに助けて貰って……それで、初めてクラスでお友達ができたって」


「ちょっと困ってたってところって……上透さん、それで納得したのか?」


「はい。ちょっと驚いてましたけど、『へー、そうなんだ。よかったね』って」


「マジか……」


 そんな説明で納得できるとは思えないが。


 仮にも今まで自分以外友達がいなかった恋人が、いきなり男友達を作ったのだ。女友達ができるのとわけが違う。


 無邪気に喜んでいる百合に、なにも言い出せなかったのか?


 ちょっと腑に落ちないがそれはいい。問題はもっと別にある。


「百合、これは友達としての助言だ。早くちゃんと説明したほうがいい。こういうのは時間が経てば経つほど言い出したくなるし、向こうもなんでもっと早く言ってくれなかったんだってなる」


「そ、それはわかってるんですけど……」


 百合は立ち止まって、罪悪感をこすり合わせるように手を絡ませた。


「言いづらい?」


「いざ、本人を前にしたら……中々」


「しょうがない。明日の昼休み、上透さんをあの部屋にまた誘ってくれ。俺が代わりに話すから」


「えっと……愛彦くん、いいんですか?」


 申し訳無さそうにしながらも、見上げてくる百合の目は光が差した。


「うん。忘れてるかもしれないけど、俺は君の友人である前に、君たち百合の花を愛でるものだ。これからも綺麗に咲かせ続けるための手伝いなら、いくらでも惜しまないよ」


「愛彦くん、ありがとうございます」


 百合が満面に花を咲かせながら、俺の手を取ってギュッと握った。


 心が震え立ちくらみを起こしそうになった。


 ガチ恋している推しにこうして手を握られるのは、天にも昇る気持ちである。ヒィたんへのガチ恋は嘘ではなかったが、それが霞むような幸せが注ぎ込まれるのだ。


 百合にガチ恋してよかった。心からそう思ったのだ。


「それじゃ愛彦くん、またすぐに」


「うん。でも急がないでいいからね、百合」


 生徒がひしめく下駄箱で、周りの視線などお構いなしにひらひらと手を振った。


 今日の昼、廊下ですれ違った葉那に、


「ヒコの評判、二股最低野郎まで落ちちゃった。ごめーんね」


 とテヘペロされたときはいい加減、この悪魔を討伐してやろうかと思ったが、昨日の件もある。銃の悪魔に一度は殺されたものとして、そのくらいは広い心で水に流してやった。


 今の俺には百合がいる。どんな酷い評判も、彼女の側にいられるだけでおつりがくる。


 女の敵を見る目を浴びながら、玄関で待とうかと踵を返そうとすると、自分の下駄箱の異変に気づいた。


 外に出るときまではなかった、手紙があったのだ。


 果たし状、もしくは殺害予告? ま、順当に考えたら脅迫状か。


 そんなのをもらう思い当たるフシしかなかったので、警戒しながら手を伸ばした。


「ん?」


 いかにも女の子が好きそうな、可愛らしい便箋だった。むき出して置かれていたそれには、こう書かれていた。


『いきなりの手紙、ごめんなさい。


 どうしてもあなたとふたりきりで話したいことがあります。


 伝説の樹の下でお待ちしておりますので、ひとりで来てくれませんか?』


 書かれていた内容に手が震えた。


 まさかこれは……。


「愛彦くん? どうしたんですか」


「ゆ、百合!?」


 急に声をかけられビクリとしてしまった。


 今さっき別れたはずなのに、校則指定のコートを着込み、帰り支度を終えた百合がいた。そのくらいの時間、俺はここで立ち尽くしていたのだ。


「その手紙……」


「あ、いや、これは……」


 まるでやましいものを見られたように俺は慌てふためいた。まるで彼女がいる身で、こんなものを受け取ってしまったことを見られたように。


「もしかして、ラブレターですか?」


「うん、そうなんだ」


 恋バナ好きな女子の顔をする百合に、ふいに冷静になった。俺たちはただの友達であることを思い出したのだ。


 手紙を見せると、百合はきゃっきゃと笑った。


「すごいすごい。こんなの初めてみました。やっぱり愛彦くんって、女の子からモテるんですね」


「いやいやいや。俺もこんなの初めてもらって、どうしたらいいか戸惑ってるんだ。女子から告白なんてされたことなんてないからさ」


「そうなんですか? こんなにカッコイイのに、一回もないなんて……不思議ですね」


 不思議そうに百合は俺の顔を覗き込む。


 ナチュラルに男心をくすぐる天使。


 やっぱり、好きだ。


 たとえこの想いが報われるものではないとわかっていても、百合にガチ恋する気持ちは抑えられなかった。


「どうするんですか、愛彦くん?」


 告白を受けるのか、受けないのか。どこかワクワクしている顔である。


 正直、俺の気持ちは迷っている以上に戸惑っている。


 脅迫状を貰う思い当たるフシはあっても、恋文をくれる思い当たるフシがなさすぎた。手紙の向こう側の顔がまるで見えてこない。


 俺は仮にも、百合ヶ峰一の優等生男子。俺を陰でこっそり想っている子くらい、ひとりやふたりどころか、ダースでいてもおかしくない。だが葉那という障害が、彼女たちの告白に二の足を踏ませていたのかもしれない。


 それが先週の騒動で、俺と葉那がそんな関係ではないとわかった。これはチャンスと、ついに重い腰を上げたのか。最近は百合と仲がいいから、きっと俺を取られる危機感もセットで覚えたのだろう。


 そう考えると、ラブレターを貰ったのはなんもおかしいことではない。そもそもこんな俺に彼女ができないのは、百合ヶ峰の七不思議だった。その七不思議のひとつが、ついに解決される日が来たというだけだ。


 でも……俺にはガチ恋している百合おしがいる。こんな気持ちを抱えたまま、相手の気持ちに応えられるだろうか。


 悩んだ末に、俺はひとつの結論を導き出した。


「相手のことはなにもわからないからさ、まずはお友達からって、答えようと思う。ただの恋人欲しさに、中途半端な気持ちで受け入れても相手に失礼だからさ」


「いいと思いますよ。愛彦くんのそういう誠実なところ、わたしは大好きですよ」


 愛らしい微笑みを浮かべる百合。俺もそんな君が大好きだ。


 さて、いい加減場所を考えろという視線もきつくなってきた。周りの反感をこれ以上買わないためにも、伝説の樹の下へ向かうことにした。


「それじゃ、百合。悪いけど先に帰っていてくれ」


「わかりました。がんばってください、愛彦くん」


 愛する推しの声援を受けながら、下駄箱を後にした。


 伝説の樹の下には、一体どんな子が俺を待っているのか。


 百合と葉那ですっかり目が肥えてしまった。あのふたりと同等の逸材はまず来ないだろう。


 学園の三大花美をS級美少女だとしたら、A級美少女が来るのではないか。もしかしたらB級か、C級なんていうのもありえる。


 A級だったら是非お付き合いしたいが、B級だったらどうするか悩む。C級だったらどう傷つけないようにするか心配だ。


 そんな期待と不安と焦燥を覚えながら、ついに俺は伝説の樹の下にたどり着いた。


「え……」


 その待ち人を思う横顔を見て、つい声を漏らしてしまった。


 なんと美しい花か。


 そこにいたのはC級でもなければB級でもない。かといってA級で収まる器ではない、S級美少女がいたのだ。


 この学園には、S級美少女は三人しかいない。


 誰の特別にもならない高嶺の白百合こと真白百合。


 最重要特級討伐対象、理不尽の悪魔こと廣場葉那。


 そして最後のひとり、


「あ、まな――守純くん」


 誰にでも笑顔を振りまく陽だまりの乙女。


 上透里梨が俺を待っていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る