24 推し通した先にしか見られない景色はきっとある
あれは中学二年生の春、丁度この街に出てきたときの話だ。
帰りの電車をホームで待っていると、
「いい加減、元気出せよハルやん。大好きだったアイドルが、ああなるのは辛いのはわかるけどさ……」
「あかりん、よりにもよって、なんでAVなんかに。うっ、う……」
絶望に顔を伏したハルやんなる少年。ベンチに座るハルやんの肩など叩きながら、その友人は慰めていたのだ。
彼らは俺でも知っている高校の制服に身を包み、三年を表す校章を襟元につけていた。
百八十センチを越える筋肉ムキムキのゴリラみたいな男が、こんな風に泣きそうになっている絵面はまあまあのインパクトがあった。
会話から察するに、推しのアイドルがAV堕ちした。きっとガチ恋するほどに推していたのだろう。
「若い……若いな」
それがわかったから、つい口を挟まずにはいられなかった。
「推しの……ファンだったアイドルがAVデビュー? それを喜ぶではなく泣くなんて、本当に若いな、少年」
「な、なんだよおまえ……」
ハルやんの友人が、気味悪そうに言った。まあ、いかにもな中学生にこんな風に口を挟まれたら、怒るのではなくまずそういう反応にもなろう。しかも肩越しに振り返り、不敵な笑みを浮かべているのだ。
「想像してみろ。スカートの中が見えるか見えないか。見えないなら見えないなりに妄想を膨らませてきた相手の、すべてを脱ぎ捨てた姿が見られるんだぞ。それだけじゃない。あられもない痴態を存分にもたらしてくれるんだ。そんな未来がくるとわかっただけでも、股間が膨らむってもんだろ」
「あぁ……うぅ。あかりん……なんで、なんで! あぁあ!」
ハルやんはきたる未来を想像したのか、顔を覆って慟哭した。
「なにも知らない奴が、勝手なこと言ってんじゃねー!」
お友達くんが怒鳴りつけながら、ハルやんを庇うように立ちふさがった。
「ハルやんがどんだけ、あかりんのこと好きだったかも知らないで。デビュー当時からずっと応援してたんだぞ。あかりんに会うために、部活の後にバイトまでしてよ」
「それは握手会にも行ったってことか」
「そうだよ。だから裸を見られるようになってよかったねとか、赤の他人が言ってんじゃねーぞ」
「握手会まで行ったならなおさらじゃねーか。その握られた手の柔らかさを覚えてるんだろ? その感触を思い出しながら抜いていませんなんて言わせないぞ」
俺はハルやんとの距離を詰めた。俺の圧力に押されるように、友人くんは道を開けてしまった。
「心の底では、あかりんの裸を見たいんだろう? その痴態を眼に焼き付けながら抜きたい。そんな自分がいるのはわかってるんだろう? 素直になれよハルやん。あかりんで抜きたいんだろ?」
「そ、それは……」
まるで心を見透かされたように、ハルやんは戸惑った。泣きじゃくった顔を見せながら、それでもその望みを口にしていいことなのか迷っている。
だからそんなハルやんの心に訴えかけた。
「『抜きたい』と言えェ!」
「抜ぎたいっ!」
大柄の少年は鼻水まで垂らしながら、本音を吐き出した。
「見てーに決まってるよ。あかりんの裸だぜ? しかもエッチをしてるところを見られるんだぜ? 見てーに……それで抜きてーに決まってるだろ……!」
ハルやんは開いた両手に目を落とした。まるでそこには、あかりんが歩んできた歴史、アルバムが映し出されているようだ。
「でもよ……俺はあかりんが頑張ってきた姿知ってるから、素直に喜べないんだ。あかりんが好き好んでAVなんかに出るわけないだろ。だからそんなあかりんの苦悩を思うと……可哀想で」
「それは思い上がりだ、ハルやん。あかりんはな、AVデビューした自分を、ファンに憐れまれたいなんて思っちゃいねーよ」
やっぱりそこに悩んでいるのか。そう思うと、ほんと若いなと微笑ましさすら覚える。
だからこそハルやんの間違った悩みを正さなければならない。それはきっと、俺のような大人にしかできないことだから。
「なあ、ハルやん。AV女優になるってことは、どれだけの覚悟がいるのか知ってるか? ただ裸を売るってだけの商売なんかじゃない。本来恋人以上の相手にしか見せない痴態を届ける仕事なんだ。一般社会からの偏見や風当たりが強いなんてのは当たり前。親兄弟親戚から縁を切られてもおかしくないし、認めてもらえても迷惑をかけるかもしれない。引退した後も、そういう仕事をしていた女というレッテルを背負って、一生生きていかなきゃならないんだ」
ハルやんは聞き入るように、俺の顔を正面から見据えた。
「しかもそれが、元アイドルだって? それはもう、俺たちの考えも及ばない悩みの果てに覚悟を決めたんだろうな。もうアイドルは続けられない。でも、このまま表舞台から消えたくないって心から思って、新しい世界に飛び込むことを決意したんだ。あかりんはいやいやAVに堕ちたんじゃない。流れ星となって新天地へ堕ちただけなんだ。そこで新たな星となって輝き続けるためにな」
ポン、とハルやんの肩に手を置いた。
「ハルやん。ここまで聞いて、おまえはまだ彼女が可哀想だと憐れむだけなのか?」
「お、俺は……」
「おまえが好きなのは、アイドルとしてのあかりんならそれでいい。それは違うと言うのなら、ハルやん。おまえは喜ぶべきだ。違うステージでやり直すと決めた、あかりんの新たな門出を」
「……俺、間違ってたよ。俺が好きなのはアイドルとしてのあかりんなんかじゃない。頑張るあかりんが好きなんだ。俺、これからも頑張るあかりんを応援し続けるよ」
「それでいい。頑張る姿が抜けるなんて最高じゃねーか」
「そうだ。最高だな」
まるで憑き物が堕ちたかのようだった。ハルやんの泣きじゃくった跡を残したその顔は、雨上がりの空のようにスッキリしていた。
「まるで地獄のような悪い夢から覚めたみたいだ」
「地獄から覚めたんだったら、次は天国を目指さないとな」
「天国……?」
「AVにはな、ファン感謝企画というものがある。女優の相手を一般男性から募って撮影するんだ。その意味が……わかるな?」
「まさか……!?」
「ハルやんがあかりんと交われる。そんな可能性が、この世界に生まれたんだ」
ハルやんは目を見開いた。あれだけ絶望していたその瞳には、今や光が宿っていた。
「けど、そのためにはあかりんが売れなきゃ話にならん。沢山のファンたちがあかりんを買い支え続けた先にこそ、生まれるかもしれない奇跡の企画だ。その奇跡に殺到するものたちの中で、選ばれるという奇跡を手繰り寄せた先に、あかりんと交われる奇跡があるんだ。そのためにはハルやん。あかりんを推し続けろ」
「推す?」
「彼女を人生の一番星と据えて、応援し続けるってことだ。諦めなければ夢は必ず叶うなんて綺麗事は言わない。けどその綺麗事を信念に据えて、推し通した先にしか見られない景色はきっとある。それこそ天国のように素晴らしい、綺麗な世界にたどり着くんだ」
言いたいことは大体言い終えた。それを見計らったかのように、電車が来るアナウンスがホームに響いた。
「その未来を掴めるかどうかは、これからのハルやんの推し方次第だ」
ハルやんに背を向けた俺は、黄色い線の内側に踵を戻した。
「ま、待ってくれ……!」
線路に電車が入り込んだところで、ハルやんが俺を呼んだ。
「君は……いや、あなたは一体何者なんですか?」
まるで助けてくれた行きずりのヒーローを呼ぶように、ハルやんは問いかけてきた。
名乗るほど大した名じゃないが、ハルやんの心に謎を残す必要もない。
「守純愛彦。ただの中学二年生だ」
こうして絶望した高校生を救った俺は、電車に乗り込んだのだった。
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