23 俺たち、どんな関係に見える?

「ごめん、お手洗い行ってくるから、入り口で待っていてくれ」


 そう声をかけて、俺はトイレで顔を洗った。


 二度と思い違いをしないように、夢から完全に目を覚ますためだ。


 俺は推しに二度と――しないと決めたのだ。この半端な思いを抱えたままでは、また同じことを繰り返してしまう。心に芽生えそうになった感情を押し込んだ。


 どうせ後は帰るだけ。これ以上のことはないだろう。


 完全に冷静になったところで入り口に向かうと、真白の姿はなかった。もしかして外で待ってくれているのかと店を出た。


 入り口から三メートルほど離れた壁沿いに真白はいたのだが、


「ねえ、君すっごい可愛いね」


「まるでアイドルみたいだ」


「よかったらお兄さんたちと遊ばない?」


 効果音からしてチャラチャラ鳴っていそうな男三人に絡まれていた。


 真白がナンパされているのだ。


 こんないかにもなナンパしていますなんて男たち初めて見た。ちょっと感動したが、推しのピンチになにを考えているんだとかぶりを振った。


「真白さん!」


「あ、守純さん……!」


 間に割って入ると、真白は俺の二の腕を掴んだ。


「あ、なんだよおまえ」


「この娘のなんなんだよ」


 面白くなそうに舌打ちをする男たち。声音こそ攻撃的だが、ナンパの失敗はわかっている顔をしている。男連れかよとすぐに去らないところを見ると、邪魔者の俺を軽く脅かしたい。そんな心理なのだろう。


 まあ、こんな公衆の面前で暴力に走るほど、バカではないということだ。それさえわかれば別に怖くなんてなかった。


「この娘はな、俺の……俺の……」


 肩越しで真白の顔を見る。


 俺の推しって、本当に可愛いな。世界一可愛い。


 後少しくらい、夢で器を満たしたくなってしまった。


「俺たち、どんな関係に見える?」


 ちょっと照れながらも聞いてみた。


 全幅の信頼を寄せて、俺の二の腕を掴む真白。俺たちがどんな関係に見えるのか、第三者の口から聞きたくなってしまったのだ。


「彼氏連れかよ面白くねー」


 男たちのひとりが、また面白くなそうに舌打ちをした。


 そっかー、そっかー。やっぱりそう見えちゃうかー。


 もうそれだけで俺は大満足だった。でも、真白の名誉のためにもそれは違うと訂正しなければならない。


「彼氏じゃない。俺はただの、この娘の一番の友達さ」


「はい、守純さんはわたしの一番のお友達です!」


 その宣言が嬉しかったのか、真白は力強く頷いた。二の腕を掴んでいた手を、するっと抜けてそのまま腕に抱きついてきた。


 そうやって男女のお友達アピールをしていたら、


「あっ、おちょくってんのかテメェ!」


 なぜか男たちのひとりが突然憤ってしまった。一番チャラチャラとアクセサリーを体中に巻き付けている男が、俺の胸倉を掴んできた。


 人通りも多いので、暴力沙汰かと足を止める人たちもちらほら出た。


「守純さん……!」


「大丈夫だから、下がってて」


 組まれていた腕を抜けて、真白を後ろに下げた。


 こんな衆目環視の中、これ以上の手は出ないだろう。ちょっとナンパを失敗したくらいで、そこまでやるほどバカではないはずだ。実際、残りのふたりは慌てている。


「なんだ、その余裕そうな目は。俺が手を出さないとでも本気で思ってるのか?」


 俺の余裕が気に食わなかったのか、チャラ男Aは凄むように顔を寄せてきた。


「言っとくがな、俺はキレたら周りが見えなくなるんだ」


「そうか、君は電球の生まれ変わりなのか」


 後ろのチャラ男BCが一斉に吹き出した。立ち止まった通行人たちも、クスクスと笑い出した。


「おめーら、笑ってんじゃねーぞ!」


「いや、でも……くふふ」


「エーくん、やめとけよ。人が見てんだろ。……ぐふっ!」


 相当ツボにハマったらしい。ビーくんとシーくんは、エーくんを直視できず、顔を背けて笑っている。そんなふたりを見た通行人たちも、釣られるように腹を抱えだした。なんだったら後ろからも、クスクスという声が上がっている。


 途端に四面楚歌となったエーくんの顔は真っ赤である。その辱めに絶えきれず、ここを去ってくれればよかったのだが踏みとどまった。胸倉を掴む手に力が入った。


 謝らせないと死んでしまう病気の類の罹患者なのだろう。このまま彼の中では終われないのかもしれない。


「テメェもふざけたこと言ってんじゃねーぞ! 言っとくけど俺はな、キレたら記憶が飛ぶんだからな。その意味、わかるだろうな?」


「そうか、電球じゃなくて電池の生まれ変わりだったのか」


 周囲は爆笑の渦に包まれた。


「それで、前世はスー○ァミソフトのセーブデータでも保護していたのかな?」


「止めて……もう止めてくれ……」


「俺たちが悪かった……」


 ビーくんとシーくんは腹を抱えてその場で頽れた。文字通り死ぬほど笑いながら地面を叩き出した。通行人たちも身体を震わすほどに笑っており、俺たちをケータイで撮るものまで出始めた。


 期せずして公開処刑されてしまったエーくんは、プルプルと身体を震わせ耳まで真っ赤にした。


 胸ぐらを掴まれている俺も、さすがにちょっと悪いかなと思った。


 彼はあくまで病気なのだ。謝らせないと死んでしまうというのなら、ここは謝って生命を繋いであげよう。


「その、ごめんな。俺が悪かった」


「今更謝っても遅ぇよ!」


 エーくんは拳を振り上げた。煽りすぎ追い詰めたせいで、後先考えられないほどのヤケを起こしてしまったようだ。


 百合ヶ峰一の優等生男子としては、暴力沙汰を起こすのは不味い。けど、そうも言っていられなくなった。俺が殴られる分にはまだいいが、逸れて真白に当たれば目も当てられない。


 護身術動画をソシャゲ周回のお供にしてきた成果を、ついに出すときが来たようだ。たしか胸ぐらを掴まれたときは、その手を掴んで外側にグイッとすると関節が決まるんだっけ?


「いてててててててえ!」


 エーくんは痛みに耐えきれず悲鳴を上げた。


 俺が関節を決めたからではない。エーくんの振り上げた手が、第三者によって掴まれたからだ。手を捻り上げるように掴まれ、エーくんは爪先立ちとなった。


 手を引かれるがままたたらを踏んだエーくんは、開放されるとその場で尻もちをついた。そんな俺達の間に、その男は割って入ってきた。服の上からでもわかるほどの、筋肉ムキムキなゴリラみたいな強面だ。


「な、なんだよテメェ! 関係ねー奴は引っ込んでろ!」


 力の差を思い知らされ、体格差は歴然なのにエーくんは吠えた。病気で死ぬかもしれない瀬戸際だから、彼も必死なのかもしれない。


「この御方を、一体誰だと思っている」


「……え」


 俺に目をやるエーくん。あれほど粋がっていた瞳に、初めて恐怖が宿った。もしかしたらヤクザの息子なのではと慄いているのだろう。とにかく手を出しては行けない類の人間に手を出した。それだけは確信してしまった目であった。


 一方、『俺は一体何者なんだ?』と自問自答していた。


「この御方はな、俺の神だ」 


「はぁ?」


「神に手を出そうというのなら、俺が相手になろう」


 思わぬ解答に呆けるエーくんに、神の信徒が凄んでみせた。とにかくヤバイ相手に手を出したことだけはわかったエーくんは、仲間を置いて脱兎のごとく逃げ出した。


 そんなエーくんを目で追うこともせず、神の信徒を見上げた。一体彼は何者なのか。考え込んだ末に、その顔をようやく思い出したのだ。


「君は……あのときの少年か」


「お久しぶりです守純さん。やっとご恩を返せる日が来ましたね」


 かつて推しがAV堕ちして絶望していたところを、俺が手を差し伸べた少年だった。

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