18 俺のために争わないでくれ!
里梨と出会ってから、わたしの人生に色がもたらされた。
毎日が楽しくて、楽しみが生まれて、生まれた感情がいつしか熱を持つようになった。
その感情が熱くなれば熱くなるほど、側にいられる喜びと、側にいられない寂しさが増していくようになった。
同級生たちとの接し方がわからないわたしのために、里梨はふたりの時間を作ってくれた。そうして友達との付き合い方を覚えた先で、いつかみんなを紹介するねと言ってくれた。
でもその時間が、交友から逢瀬と呼ばれるものへと変貌してからは、誰にも見られてはならないものへとなったのだ。
ふたりの時間は愛しくて愛しくてたまらないけれど、それ以外の時間は寂しくて寂しくてたまらない。ひとりでいることが辛くて辛くてたまらないのだ。
里梨がいるだけでも幸せだった人生。これ以上望めばバチが当たると思っていたのに、新たな光が心に差し込んだ。
守純愛彦という理解者。新たな友人。
大手を振って親しき人の側にいられるというのが、たまらなく嬉しかった。
たった十五分にも満たない、駅までの通学路。それを一緒に歩くためだけに、その倍の待ち時間を費やしている。その待ち遠しいと感じる時間すらも、わたしには楽しい時間であった。
「ちょっといいかしら、真白百合さん」
だからこれは、守純さんの時間を独占しすぎたわたしへのバチだと思ったのだ。
◆
ゴミ捨てから戻ってくると、男子ひとり残して誰もいなかった。教室の掃除が終わったので、俺を待たずに女子は全員帰ったのだ。入学当時はこんなことなかったのに、神に祀り上げられてからはこれが俺の当たり前である。
「あ、お疲れ様です守純さん。こっちはもう終わりました」
「そうか。だったら俺なんて待たなくてもよかったのに」
「い、いえ……さすがにそれは悪いので。では」
一方、男子は最低限の筋を通すため、毎回俺が帰ってくるのを待っていてくれる。都合の悪いときだけ寄ってくる男子たちを、恨みきれずにいる理由であった。どうあれ男子たちは、俺への畏敬の念を忘れることだけは絶対にない。
俺を待つ真白のもとへ、駆け足にならない程度で急いだ。
異変を感じたのは、下駄箱にたどり着いてから。ただならぬ雰囲気を発しながら、下駄箱近くで多くの生徒が立ち止まっているのだ。その注意はみんな、外へと向いている。
靴を履き替えると、丁度近くにいた長城に声をかけた。
「なんかあったのか?」
「あ、守純さん! その、お疲れ様です」
背筋を正して長城は畏まった。
「いや、そういうのはいいから。で、なにがあったんだ?」
「それが、真白さんが上級生に……」
「真白さんが?」
長城が指差すほうを見る。
玄関を出たばかりの場所で、十人ほどの女子生徒が立ち止まっている。リボンを見るに一年だけではなく、上級生まで混ざっているようだ。
そんな女子生徒たちに囲まれる、というほどではないが、明らかな対立構造で真白が向かい合っていた。
対立と言っても、見るからに一方的だ。真白はおどおどしながら、俯きながらもなにか言おうとしている。それが上手く言葉にできず、女子生徒代表の上級生が一方的になにかを言い含めている様子だ。
真白にとってよくないことが起きているのは明らか。
「真白さん!」
「あ、守純さん!」
人数の差に怯むことなく、俺は彼女たちの間に割って入った。今にも泣き出しそうに沈んでいた顔が光を取り戻した。
女子集団はみながみな、俺の登場に険しい顔をした。真白への糾弾を邪魔されたのが気に食わないのか、はたまた穢れ神の登場に怯んだのか。そのどちらもか。
なにが起きているかはわからないが、まずは場の空気を変えることが必要だ。
「お願いだ……」
今こそ俺は、ずっと練習してきたものを披露した。
「俺のために争わないでくれ!」
なぜ俺のせいで大切な人たちが争わなければならないのか。その悲しみを背負いながらも目を背けず、その間に立つ覚悟。君たちが争うくらいなら、まずは俺を殴ってくれという気概を見せた。
ずっと練習してきた迫真の演技が決まったのだ。
「やっぱり……わかってたのね」
「へ」
パン、という乾いた打音が冬の空に響いた。
景色が揺れた。
女子集団を目にしていたはずが、この顔はなぜか玄関を向いていた。
一体なにが起きたというのか。
「守純さん!」
それに気づいたのは、慌てた真白の声を耳にしたときだった。
労るように俺の腕を掴みながらも、真白はどうしていいかわからず狼狽えている。
ジンジンとした熱が右頬に宿ったところで、なにが起きたのか理解した。
ビンタされたのだ。
大事な話に割り込んで、ふざけたことを言った代償か。と思ったのだが、
「うっ……う、うぅ……」
集団代表の上級生が泣き始めたのだ。絶対に許さないという意思を宿した瞳から、悲しみの涙を流していた。
泣きたいのはビンタされたこちらのほうだ。こんな目にあう理由、思い当たるフシがなさすぎる。
上級生に釣られるようにして、
「あの娘が……可哀想」
「なんで、なんでこんな奴に……」
「人の心を踏みにじるなんて……許せない」
「最低な男……!」
俺への恨み言など吐きながら、次々と集団は泣き始めたのだ。
まるで俺が『君が一番特別な女の子だよ』と嘯き回って、それがバレて詰めかけられているかのような図だ。
完全に俺が諸悪の根源。悪者の図であった。
マジで思い当たるフシがなさすぎて、真白と一緒に戸惑うことしかできない。
ビンタとはいえ暴力だ。外野はこんなことが起きて、一層がやがやと注目している。暴力に走った彼女たちを非難するのではなく、そうさせた俺が悪いと言わんばかりに。
まさに修羅場である。
「ちょっと、なにしてるんですか!」
そんな修羅場に声を上げるものがひとり、この場に現れた。
「あ、ああ、葉那」
「ヒコ、大丈夫!?」
駆け寄ってくる葉那は、頬を抑えている俺を気遣った。ビンタを目撃したかは不明だが、なにが起こったのかは一目瞭然なのだろう。
孤立無援の状況でやってきた悪魔が、今や救いの女神に見える。俺の代わりに彼女たちに立ち向かってくれた。
「なんでこんなことしたんですか、先輩」
「だって……許せなくて」
「許せない?」
「気づいてないんだったら、まだいい。だったらしょうがないって……わかるよ」
ビンタをした上級生のそれは、もう嗚咽にいたっていた。
「でも、葉那の気持ちを知っておいて……こんな仕打ち、酷いじゃない。許せないわ……!」
「あー……」
修羅場の真っ只中で、葉那は場違いな気の抜けた声を出した。そういうことか、と頭を抱えたそうな顔をしている。その気持ちは俺も一緒だった。
今回の修羅場がなぜ起きたのか。予想がついたからだ。
「あの、何回も言ってきましたけど。私はヒコのこと、先輩たちが考えているように思ってませんから」
「そんなの、ただの強がりだってくらい、わかるわよ……!」
「いや、ですから」
「私たちはわかってるから……葉那の本当の気持ち」
ミス・ビンタは葉那に抱きついた。他の女子たちも、そんな葉那を可哀想可哀想しながら、俺を睨みつけている。彼女たちがなにもわかっていないのが、よくわかる光景である。
感情を昂ぶらせている彼女たちとの温度差。葉那はただただ困ったように、眉根を寄せた。
「真白さん、ごめんね、こっちの事情に巻き込んじゃって」
「あ、いえ……」
真白は恐縮したように答えた。
「ごめん、ヒコ。ここは私がなんとかするから、先に帰ってて」
「おう、また後でな」
何事もなかったかのように、真白を連れてしれっと退散した。
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