17 こーら、先生をからかわない
「それでは守純さん、玄関でお待ちしてますね」
ひらひらと手を振る真白を見送った。
今週は教室の掃除当番だ。駅までの十五分にも満たない距離を共にするために、それ以上の時間を真白は待ってくれるのだ。人の目を気にせず友達と下校する。彼女にとってそんな当たり前が楽しくて仕方ないようだ。
そんな真白をクラスメイトたちは、恋する乙女にしか見えていない。高嶺の白百合の特別になったこの背中には、男子たちの羨望と憧憬、そして好奇の二文字などが雨あられのように突き刺さっている。悪意どころか嫉妬すら飛んでこないのは、やはり日頃の行いだろうか。拝むべき神に負の感情を向けるのは恐れ多いと、畏敬の念すら抱いている。
一方、そんな男子が抱くべきであった負の感情を、すべて引き継いでいるのが女子である。誰も見たことのない高嶺の白百合の笑顔を咲かせたことで、いずれ彼女の大切なものが俺の手で散らされ、汚されるのが我慢ならないようだ。しかし守純なんかに守純なんかにとしか呟けず、なにもできない歯がゆさに苦悩を抱えている。
ここまで人の感情を揺さぶれば、言いがかりレベルの因縁をつけて、あんたを絶対に認めないと立ち上がる連中が出るのがお約束だ。それが出てこないのはひとえに、絶対に俺と直接関わり合いたくない。真っ向から対面するとそれだけで心が穢れる。彼女たちの中ではどうやら、俺は女の心を惑わす催眠術を使えるらしい。
男子からはエロ神様と祀られる裏で、女子からは穢れ神として恐れられているのだ。悪いことひとつせず、困っている人に手を差し伸べ救ってきただけなのに、どうしてこうなった。
「じゃ、ゴミ捨て行ってくるわ」
「あ、お願いします」
女子からガン無視され、男子のひとりしか返事をしてくれないが、今日も俺は元気です。真白と肩を並べて下校できると思うだけで、ゴミ捨て場へ向かう足はとても軽かった。
「守純くん」
「ん? ああ、みつき先生」
そんな戻り道、みつき先生に呼び止められた。
「ごめん、ちょっといい?」
みつき先生は、おいでおいでと廊下の端っこに手招きする。
内緒話するように、俺の耳元に手を置いた。
「学園長からね、伊藤先生の話、聞いたよ」
「……なんて伝えられました?」
面食らいながらも、コソッと聞く。
「無理やり真白さんに迫ったところを、守純くんが助けたって」
それを聞いて安心した。どうやら上透との関係までは伝えていないようだ。
急に自分のクラスの副担が学園を辞めたのだ。生徒たち以上に、みつき先生のほうが驚いたろう。
「それにしても、よく教えてもらえましたね」
「私は学園長の……おばさまのコネで先生になったから。これ、内緒ね」
みつき先生は悪戯っぽいウィンクをしながら、人差し指を唇に添えた。
「ありがとうね。先生の知らないところでピンチを解決してくれて。こんなことが起きて、表沙汰になんてなったら、先生大変な目にあうところだった」
たしかに受け持つ生徒に問題が起きれば大変だ。糾弾してくるのは被害者たちからだけじゃない。生徒たちの親が一斉に立ち上がり、責任問題を追求してくるはずだ。それが副担の起こした不祥事なら、もっとひどい有様になっただろう。
つまり俺は期せずして、みつき先生のピンチを救い、好感度をバク上げイベントをこなしてしまったのだ。その大きな胸を掴むため、また一歩前進したのだ。
「守純くんにはいつも助けられっぱなしだな、先生」
「いえ、たまたまですよ、たまたま」
「しかも謙虚。あーあ、私が学生のとき守純くんみたいな子がいたらよかったのに。先生、男の子との青春に憧れがあるから」
「今からでも遅くありません。よければ俺と楽しい学園生活を送りませんか?」
「こーら、先生をからかわない。本気にしちゃったらどうするの?」
「先生の本気を見たいと言ったらどうします?」
「こうしてあげる」
ツン、と額を人差し指で突かれた。
これ以上からかうなというたしなめだ。
「それと真白さんのこと、ありがとうね。助けたことだけじゃない。あんなに楽しそうにしている真白さんは初めてだから、先生すごい嬉しいな」
たしかに、担任としては真白の立ち入りは気になっていたことだろう。
真白はイジメや仲間外れにされているわけでもない。グループワークなども余るどころか、誰もが一緒になりたがる。それでも授業が絡まなければいつも、ひとりでぽつんとしているのだ。
問題が起きているわけではない。クラスの孤立問題というのなら、むしろ俺のほうが深刻である。でもみつき先生の目から見たら、真白はなんとかしてあげたい生徒だったのだろう。
「あそこまで真白さんを変えるなんて、どんな特別な魔法を使ったの?」
「なに、真白さんの大切にしたいものを肯定しただけですよ。そんな特別でもなんでもない当たり前が、真白さんにとって特別なことだった。ただ、それだけです」
「うんうん。真白さんの大切なものが先生にはわからないけど、そういうところはカッコいいね。この調子で、真白さんのことお願いね、男の子」
ポン、とみつき先生は俺の胸を叩いた。
「ちなみに先生は、生徒の恋愛は応援しちゃう派だから」
意味ありげにニヤっとしたみつき先生は、軽い足取りで去っていった。
どうやらその大きな胸を掴むには、まだまだ好感度が足りなそうである。それでも大きく前進したものとして、これからも前へ向かって歩いて行こう。
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