16 やっぱり男の子だ
それからは幸せな日々が続いていた。
おはようから始まりさよならまで、四六時中推しと一緒の薔薇色の学園生活。守純さん、守純さん、と常に俺の側について回ってくる真白との時間は、それはもう虹色に輝いていた。こういうのでいいんだよおじさんも大満足の青春である。
たとえ友達止まりでこの先がないとわかっていても、無垢なる百合の一挙手一投足に胸が高鳴るばかりだ。口元の米粒を取ってもらいパクリしたときなんて、心臓発作を起こしそうになったほどだ。
男に対してこの不用心さというか、軽はずみな行動は、すべてその無垢な心からもたらされる。
「人の目を気にせず、お友達と一緒にいられるのって、こんなに楽しいんですね」
上透から教わったお友達同士これくらい当たり前の精神を、男相手にも当てはめてしまう。あなたに心をすべて許していますという真白の距離感は、周りに誤解を振りまき続ける結果となった。
「あんたたち、付き合ってると思われてるわよ」
葉那からそんなことを言われたときは、ああ、そうだよと答えそうになったほどだ。むしろなぜこの距離感で、俺たちは付き合っていないのか。そうだった……真白には愛するものがいるのだったと、忘れては思い出すを繰り返しているのだ。
そんな夢のような日々も今日で終わりかと思うと、感慨深いものがある。
金曜日。明々後日には上透が学園に帰ってくる。それに喜ぶ真白とランチを終えて、教室に戻る途中、
「あ、ヒコ」
「おう、葉那か」
廊下で葉那と鉢合わせた。
「あ、こんにちは」
「ええ、こんにちは真白さん」
よそよそしい真白に、気兼ねなく接する葉那。
「ごめん、先に戻っていてくれないか?」
「あ、はい。また後ほど」
どこか身の置きどころをなさそうにしている真白にそう告げた。葉那にペコペコ頭を下げながら、そうして教室へ戻っていく。
「それで、なんだその格好は?」
見送ったところで、葉那の姿を指摘した。
学園指定のジャージを制服の上から羽織っている葉那。暖房が利いている校内で、なにか羽織っていないと寒いというわけではあるまい。
己の綺麗さを自覚し、可愛いを追求している葉那にしては野暮ったい格好だ。いや、それはそれで良さがあるのは知っているが。
「おしゃれ女子の名は返上か?」
「今日、上だけ持ってくるの忘れちゃって。ヒコに借りようとしたんだけど、戻っていないからさ」
「事後報告でいいと思ったわけか」
「そこまで勝手なことしないわよ。教えてくれた男子は顔見知りだったからね。『よかったら』って貸してくれたの」
「まさかおまえの被害者がクラスにいたとはな」
「目の前でそのまま着て、こう感謝を告げたわ」
葉那は照れたようにハニカミながら、袖に覆われた両手を顎下に置いた。
「ありがとね。でも私にはおっきいや。やっぱり男の子だ」
男心を的確に突くその様は破壊力抜群だ。ただし、天然でクリティカルを吐き出す真白と違い、狙って出してくる分本当にタチが悪い。
「ちなみにポイントは、この袖ね」
「ほんと、どうしようもねーなこの悪魔は」
萌え袖という言葉が市井に広まる前から、武器として使いこなす様はさすがである。的確に日陰者たちの心を殺しに来ている。真白にこんなことをやられたら、心は彼女から離れず戻ってこられないかもしれない。
やはり社会平和のためには、この悪魔は始末しかるべき存在だ。俺は友人だから生きていてほしいが、いずれ刺されるのではとヒヤヒヤする。
「ま、私のことは置いとくとして、あんたも凄いわね」
「なにがだ?」
「あの誰の特別にもならない高嶺の白百合が、あそこまで気を許すなんて。周りはこの展開に誰もついていけてないわよ」
「単行本一冊すっ飛ばしちまったかのような感覚だろうな」
「ま、私はその一冊を読んでるからわかるけどね。あんたが催眠術を使えるって、危機感を抱いてる女子もいるわよ」
「ワンクリ詐欺とかに引っかかった奴を救ってきただけで、なぜそんな扱いを受けなきゃいかんのか」
「神様は崇められると同時に、恐れられる面もあるからね。だって人は昔から、災いをもたらす存在を神と呼ぶことで、その矛先が向かないよう祀ってきたんじゃない」
「人を災い扱いとか、俺はそろそろキレても許されるんじゃないか?」
「まあまあ。少なくともひとりは、あんたが救いの神だって知っている女の子がいるじゃない。それもとびっきりのね」
私だけはあなたの理解者だ、というわけではない。ついさっき去っていった真白を差しているのだ。
たしかに学園中の女子から毛嫌いされても、彼女の友達という枠は価値がある。本当に、本当に夢のような時間を与えてくれるのだ。
「と、私も早くいかないと」
昼休みの終わりを告げる予鈴がなった。
「それじゃ、また夜にね」
教師に見咎められない程度の小走りで去っていく葉那。
ふと、思い出したように振り返った。
「ヒコ」
「ん、なんだ?」
「よかったわね」
友人を祝福するのに相応しい微笑みだけを残して、葉那は今度こそ去っていった。
ずっと望みながらも、みつき先生以外の女っ気のなかった学園生活。それに呆れながらもずっと心配していてくれたのが葉那だ。恋人に至れる先がないとはいえ、女の子と楽しい時間を送っていることを喜んでくれているのだ。
それ以上の他意などない微笑み。本当にないことくらい俺はちゃんとわかっていた。
でも中には人の気持ちを勝手に考察して、笑顔の中に宿る寂しさなんてものを見出すものもいるかもしれない。どれだけ本人たちが違うと言っても、それ公式が勝手に言ってるだけだから、公式が解釈違いを起こしたとか騒いで、彼ないし彼女の本当の気持ちを私はわかっていると暴走するのだ。
かつては頭がおかしい奴らもいるもんだと鼻で笑っていたものだが……まさかこの俺が、カプ厨の被害にあう日が来るとは。このときはまだ、思いもしなかった。
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