15 あーん

 周りに気兼ねする必要のない、ふたりきりになれる場所。


 真白たちはよく、外の人気のない場所で食事をしていた。たとえ寒いとしても、寄せ合う身体が暖となり、それはそれでいいシチュエーションだったのかもしれない。俺とはそんなことをするわけにはいかないので、室内でふたりきりになれる場所を選んだ。


 視聴覚室である。


 昨日のように最上段へ上がっていく途中、


「あの……よかったんですか?」


 真白は心配そうな声を上げる。


「いいのいいの。未遂で済んだとはいえ、真白さんは百合ヶ峰の教師が生んだ被害者だ。そのケアをするという名目がある内は、こんな部屋くらいどうぞどうぞといくらでも使わせてくれるさ」


 昨日と同じ場所に腰をかけた。


「いえ、場所のお話ではなくて……」


 一方、真白は席にもつかず、どこか煮え切らない様子を見せた。


「廣場さん……のことです」


「葉那のこと?」


「あの……廣場さんとは親しいんですよね」


「そうだね。普段からうちに出入りしているくらいの友達かな」


「いい関係を築いているように見えたので。わたしのことで、勘違いさせるような真似をしたなら……守純さんに悪いことをさせたかもしれません」


「ああ、そういうことか」


 どうやら俺と葉那は、いずれ付き合うような関係だと勘違いしているようだ。


「それこそ気にしないでくれ。俺と葉那はそんな関係じゃない。ゆくゆくは付き合いたいとか、お互い微塵も思ってないから」


 片手を振って否定する。


「よく、男女の友情は成立するしないとか、そんな論争はあるけど。俺たちに限っては成立する。ズッ友だって約束もしたしな」


 自分より格下の男が幸せになる姿を見たくない。なんて理由で悪魔のような振る舞いをしているが、心がそうせざるえない理由はわかっている。


 男が嫌いとか、過去にひどい目に合わされたとか、そんな男を憎まざるえないなにかがあったわけではない。あいつの悪魔としての振る舞いは、もう戻らない過去を思う、羨望のような感情からくる行いだ。


「だからもし、俺が葉那を女として見るようになったら、あいつはなにを信じていいかわからなくなる。どれだけ美人で、綺麗で、男の情欲をそそるような身体をしていようとも、ひとりの女の子としては見ない。どこまでも葉那の友達でいるって決めたんだ。そんな俺でいることを、あいつが一番望んでいる」


「守純さん……」


 息を呑む真白。きっと葉那にはなにかがあったとわかったようだ。でも、真白の想像はそのなにかにたどり着くことはないだろう。あいつが抱えているものは、その予想の百倍はとんでもないものだから。


 そしてそれを背負って前に向くと決めたのなら、それを支えてやるのが友人というものだ。


「わたしにはよくわかりませんけど……おふたりは深い絆で結ばれてるんですね。男とか女とか関係ない、本物の友情で」


「そういうことだ。だから気にしないでくれ」


「はい。でも、ちょっと妬けちゃいますね」


「男女の関係じゃないのにか」


「それがいいんです。だからそんな廣場さんに負けないものを、これから守純さんと結んでいきたいです」


 俺と葉那の関係を拗らせることはないと安心したのか、真白の顔には花が咲いた。そんな彼女に俺の心はもうドキドキ。ワードセンスのチョイスがいちいち男心に突き刺さり、禁じた芽が顔を出しそうになった。


 真白には悪いが、葉那とのような友情を築くのは絶対無理だ。手を繋いだだけで男としての欲求を満たしてくれる可愛い女の子と、真の男女の友情は結ぶのはできない。俺の彼女への想いは煩悩で塗れているのだ。


 葉那への後ろめたさがなくなり、スッキリしたように真白は席についた。


「うっ……」


「どうかしましたか、守純さん?」


「いや、なんでもない」


 つい顔を背けてしまった。


 真白が座ったのは隣であっても、昨日と同じ通路を挟んだ席ではない。同じ卓上の隣に並んだのだ。


 もちろん、おかしいことなんてなにもない。それでも推しと並んで、お弁当を食べられる奇跡に慄いてしまったのだ。


 お互いに弁当を広げると、すぐに真白は反応した。


「わ、守純さんのお弁当箱、すごいですね」


「ん、別に普通だと思うんだが」


「だって見てください。ごはんが入っている容器だけでも、わたしのお弁当箱より大きいんですもの」


 はしゃぐように真白は弁当箱を寄せた。


 俺の弁当箱は、ごはんとおかずを容器ごと分ける長四角の二段重ね。小判型の可愛らしい弁当箱ひとつと比べると、たしかに大きいだろう。


「守純さんのお弁当と比べたら、わたしのなんておやつみたいですね」


「ああ。それっぽちじゃ、五時間目に腹が鳴っちまう」


「ふふっ。やっぱり男の子は違いますね」


「真白さんのお弁当は、もしかして手作り?」


「はい。今日は守純さんとお昼をご一緒したくて、自分で作る日にしました」


 なんとなくそんな気がして聞いてみると、真白は両手の五指をあわせた。そんな真白がただただ可愛くて、ひたすら男心をくすぐられた。


 お友達とのランチを楽しみたい。それ以上の裏はないのはわかっているが、それでも一時の夢に溺れたくなる。こんな彼女と青春をしたかっただけの人生だったから、擬似的に叶えられた喜びに浸ってしまう。


「守純さんのお弁当は?」


「うちは母親に作ってもらってる」


「じゃあ、そのお弁当はお母さんの味なんですね」


「そういうことになる」


「いいですね、そういうの。わたし、憧れます」


 真白は無邪気に俺のお弁当を褒めてくれる。


 その気があって言ったのではないのはわかっているが、そこに彼女が歩んできた灰色が垣間見えた。


 灰色に踏み込むべきではない。なにも気づかなかったことにして話を続けた。


「そうやって真白さんは、普段から自炊してるんだ」


「一人暮らしですから。このくらいは……と言いたいんですけど」


「言いたいけど?」


「お料理をし始めたのは、里梨に出会ってからなんです」


「それまではどうしてたんだ?」


「基本的には、外で買ってきたものを食べていました。それが毎日なんて不健康だって、里梨に怒られちゃいました。それからは教わりながら、自分で作るようにしたんです」


「ということは、まだ初めて半年も経っていないのか」


 ふたりが友達になったのは、夏休みの終わりくらいだ。


「それでもう、そんな綺麗なお弁当を作れるとか、真白さんは凄いな」


 真白はくすぐったそうに口元をほころばした。


 もちろん世辞ではない素直な感想だ。白米は俺にとっては二口分で、薄く切られた肉料理らしきもの。そこにほうれん草の胡麻和え、ミニトマト、卵焼きなど、色合いも考えられた弁当である。


「その薄切りのは、なんていう料理なんだ?」


「鶏肉のピカタ。粉チーズを混ぜた卵液に浸した胸肉を焼いたものです」


「ははっ、卵が使った料理が被ってしまったね」


「これはお弁当作りの工夫なんですよ。卵液を使いたいのはちょこっとだけですから。卵焼きに使うものから分けることで、余すことなく使えるんです。あとは卵焼きを作ったフライパンで、焼いたらできあがりです」


 立てた人差し指をくるくると回しながら、真白は得意げに語った。


「ちなみに卵焼きは、里梨が大好きな甘いものです」


「真白さんのは甘い卵焼きか。うちのはいつも、だし巻き卵だ」


「わぁ。守純さんの家庭の味、わたし知りたいです。よかったら卵焼き、交換しませんか?」


「もちろん、いいよ」


 弾みそうになる声を抑え、なんとか感情を取り繕う。


 推しの手作り料理なんて金を払えるレベルであり、実際払ってきた過去もある。


 コラボカフェでヒィコ手作り焼肉丼に、デザートとドリンクをあわせて四千円。ヒィたんの手が加えられていないのはわかりながらも、それでも安いものだと食べたものだ。


 それが金も払わずに、口にできる日がくるなんて。母ちゃんの卵焼きが今、俺の人生を絶頂に導いてくれる。帰ったらいつもありがとうと、感謝の言葉を伝えよう。


「はい、守純さん」


 真白は箸で摘んだ卵焼きを俺の顔に近づけてきた。


 なにが起きているのかわからなかった。


「あーん」


「え、あー……」


 真白の口元の形に釣られると、卵焼きが俺の口に入ってきた。そのまま俺の唇を滑るようにして箸が抜かれたのだ。


「一口で全部入るなんて、やっぱり男の子はすごいですね」


 口内に入ってきたものを反射的に咀嚼する姿に、真白はとても楽しそうだ。


 口に広がる甘いものを飲み込むと、真白は照れたように聞いてきた。


「その、それで……お口にあいましたか?」


「美味しい、です」


「よかった」


 ホッとしたよう顔を見せたあと、すぐに真白は満面の笑みを浮かべた。


「じゃ、次、わたしも頂いていいですか?」


「も、もちろん」


「わたしは一口では食べられないので、半分で十分です」


 弁当箱を差し出そうとすると、真白は餌を待つ雛のように小さな口を開いた。


 理解が追いつかず、彼女の口と自分の卵焼きに目を往復させる。そしてようやく意味に気づいた。


 これは、まさか……俺に食べさせろということか?


「あーん」


 焦らされた雛のように声をあげる真白。


 おそるおそる半分に切った卵焼きを、真白の口元に近づけた。


「あ、あーん……」


「……ん」


 口元に卵焼きがたどり着くと、向こうからパクリとした。唇に挟まれた箸が抜ける。その効果音はスルっではなく、ヌルっと聞こえてしまったのは、俺の心が汚れているからに違いない。


「これが守純さんの母さんの味ですか。美味しいですね」


 唇に手を添えながら、真白は満足そうに言った。


 展開についていけずに置いていけぼりだった俺の心が、ようやく現実に追いついた。


 なぜ俺は、推しとあーんをしあっているんだ。


 もしかしてタイムリープの後遺症で、パラレルワールドに飛んでしまったのか。推しと恋人となった世界線にたどり着いてしまったのかと、恐れ慄いてすらいる。


「友達同士でこうしておかずを交換するのって、やっぱりいいですね」


 汚れなき笑みを浮かべる真白は、胸元で五指を合わせた。


 やっぱり俺たちは、恋人同士ではなく友達同士らしい。世界線を超えていないと安堵すると、それはそれで疑念が湧いてきた。


「その、いつもこうやって……上透さんと食べてるのかな?」


「はい。初めてされたときは戸惑いましたけど、友達ならこのくらいは普通だって、里梨に教えてもらったんです」


 真白の目はとても清らかだった。


 一体どれだけ彼女の心は純粋無垢なのか。友達であーんをするのは、女の子同士だからこそ許されるし絵になるのだ。友達とはいえ、男女間のあーんは友情以上のものが育まれるものたちの行いである。公の場でやろうものなら他所でやれバカップルと糾弾されても仕方のないことだ。そして男同士でやろうものなら、それはただの地獄絵図。そこに薔薇色の楽園を見出すためには、心に腐の花を咲かさねばならない。


「そ、そうだったのか……」


「あ、もしかして嫌だった……ですか?」


 自分の取った行動に心配する真白。


「い、嫌だったとかじゃなくて、男同士ではやらないことだから……驚いたというか、なんというか」


 思い返すだけでも興奮するというか。


「女の子にあーんしてもらうの、初めてで……嬉しかった」


「あ、そうだったんですか」


 真白と顔を合わせるのが恥ずかしく、目を逸らしながら気持ちを吐露した。


 横目で見るとホッとしたように真白は手を合わせていた。


「えへへ。守純さんの初めて、もらっちゃいましたね」


「ぐっ……!」


 脳内に直接蜂蜜をぶっかけられたように、視界がくらっとした。


 男心を貫くワードセンス。ここまで的確に放たれたら、天使のような微笑みの裏では、小悪魔が嘲笑っているのでは? と疑ってしまう。実際、悪魔が身近にいる分、現実味が肌で感じられる。


 真白が純真無垢な天然であることはわかっている。でも次々と繰り出される夢体験に、このままでは天へと昇ってしまいそうだ。


「そ、そういえば上透さんにはもう話したのか?」


 狼に転生してしまう前に話題を変えた。


「なんのお話をですか?」


「真白さんの身に起きたことだよ。言っただろう、上透さんに全部話すって」


「いえ、まだ里梨には話せていません」


 なんともなさげに真白はかぶりを振った。まだ話せていないことに後ろめたさを覚えるどころか悪びれてすらいない。その真白らしかぬ態度に面食らった。


「だったらまずいんじゃないか。ほら、俺たちって学園じゃ有名人だから。さっきした葉那の心配が、そのまま上透さんにも当てはまるんじゃないか?」


 少なくとも一年の間では、俺たちの話題で持ち切りのはずだ。上透は隣のクラスだから、確実にこの話は伝わっている。


「その心配でしたら大丈夫です。里梨、昨日から学校に来ていませんから」


「来ていない?」


「里梨のお母さんの妹。叔母にあたる方の結婚式で、遠方に出かけているんです。次学校に来るのは、来週の月曜になるって」


「来週って……そんな盛大な結婚式なのか」


 叔母の結婚式でそこまで学校を休むものなのかと疑問が湧いた。


「いえ、式自体は身内だけであげるものなんですけど。そのあとゆっくり両家族の懇親を深めるために、連泊するって」


「姉であるお母さんだけならともかく、そういうのって姪たちも残るものなのか」


「里梨、中学生のときにお母さんを亡くしてるんです。ずっとお世話になってきた人だから、お母さんの代わりにいっぱいお祝いするんだって張り切ってました」


 想い人の喜びをわけてもらっているかのように微笑む真白。


 まだ話をできていない理由が納得いった。


「なるほど。そんなめでたい場に赴いてる相手に、あんなことがあったなんて電話はできんな」


「はい。里梨にはなんの憂いもなく、楽しんでもらいたいですから」


 もうひとつ、納得いくことがあった。


 なぜ俺に大事なものを捧げてまで、秘密を作ろうとしたか。幸せいっぱいな気持ちで帰ってきた上透に水を差したくなかったのだ。


 納得しながら唐揚げを食べたところで気づいてしまった。この箸はついさっき、推しの舌に触れたものだということを。そして彼女もまた、俺の舌に触れた箸で口にした。


 こんなのはもう、ベロちゅーをしたようなものではないか。


「あっあっあっあっ……」


「どうされましたか守純さん?」


 愛らしく小首を傾げる真白。そんな彼女の唇、開かれた向こう側に目を奪われる。もうそれしか考えられなくなるほどに、心が吸い込まれ――


「ふんっ!」


「守純さん!?」


 セルフビンタをいきなりし始めた俺に、真白は目を見開いた。


 危ない危ない。煩悩に飲まれるところだった。


「あの、急にどうしたんですか?」


「なーに、季節外れの蚊がね」


「蚊、ですか」


「ちゅーちゅーしようとする前に退治したんだ」


 煩悩退散。真白の楽しい時間を汚さないよう、時間いっぱい抑え込んだ昼休みであった。

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