13 きっと嘘なんかじゃない
「ずっとわたし、里梨のことを自慢したかったんです。こんな人がわたしの恋人なんだって」
真白は胸元で両手指を絡ませる。
「誰かに話を聞いてもらえるだけで、こんなにも胸がスッキリするなんて。あの日、里梨が教えてくれたことは正しかった」
「大好きなものを隠さなきゃいけないのは辛いもんな。その気持ちはよくわかるよ」
「守純さんも同じ悩みを抱えていたんですか?」
「ああ。彼女のことを大好きだって……心から愛してるっていうことは、誰にも言ったことはなかった。なにせ俺の愛は、人に理解されないものだったからな」
警備の仕事で色んなところで回されてきた。色んな人とそこで一緒に仕事をしてきた。大抵は俺よりも年上ばかりで、結婚してるとかしていないとか、俺が一番若いから相手はいるのかいないのかと、そんな話をする機会が多かった。
ヒィたんにガチ恋しているなんて言ったところで、普通の人に理解はされない。バカにされるのがわかっている。だから俺はいつだって、リアルではヒィたんへの愛を隠し続けてきた。
「本当に、守純さんはお辛い恋をされてきたんですね」
真白は潤んだ瞳を人差し指で拭った。同情なんて安いものではない、俺の気持ちをわかってくれる共感だった。
人に理解されない好きの形。真白はまさに、同じ悩みを抱えてきた同士である。
「本当に……彼女は俺にとっての人生で、世界が変わるほどの出会いだった」
「わかります。わたしも里梨に出会えたおかげで、世界はこんなにも美しくて、彩りで溢れているんだって気づきました」
「いいや、それは違うよ、真白さん」
「え」
「俺はずっと、なんのために生きているんだろうって、そんな灰色に満ちた人生を送っていた。でも、彼女と出会ってそれが変わった。帰ったら
あの頃は毎日が楽しかった。世界に彩りをもたらしてくれた彼女への感謝、いつだって
本当に、本当に幸せな日々だった。
でも、百合営業を信じた末路は、百合の間に男が挟まるという悪夢。世界から色が失われていくような絶望に襲われた。
この時代に戻ってきて、平和な世界で生きているうちに気づいた。
どれだけ深い絶望に落ちようと、
どれだけの幸福を享受しようと、
世界はたったひとりのために、その色合いを変えることなんてない。俺ひとりが生きようが死のうが、なにも変わらず今日も
世界の色合いが変わらないのであれば、なにが世界を美しく見せているのか。
「でもさ、世界は最初からなにも変わっちゃいない。なにせこの世界の色合いは、心の写し鏡だからね」
「心の写し鏡……?」
「この世界の色合いは、自分の心に宿った色眼鏡を通して見えているんだ。ずっと灰色だったはずの世界が美しく見えるのなら、それは今の君の心が美しく輝いているからだ」
上透さんとの出会いが、真白の人生を大きく変えた。
真白が百合ヶ峰にたどり着くまで、どんな人生を送っていたのかは語らなかった。でもかつての俺のような、灰色の世界を生きてきたのは伝わった。
「上透さんが君の心に、文字通り花を咲かせてくれたんだろうね」
そんな世界に美しい花が咲いたのなら、それはもう幸福な人生に変わったはずだ。
「そうですね……はい、そうだと思います!」
俺の言葉を噛みしめるように、真白さんははしゃぐように答えた。
「緑ひとつない荒野に、里梨が満開の花を咲かせてくれた。その花を愛でる喜びが、わたしの世界に幸せを生んでくれるんです」
「俺もずっとそうだった。……まあ、俺の花は枯れてしまったけれどね」
「守純さん……」
俺はどんな顔をしてしまったのか。真白はどこか寂しそうな顔を見せた。
彼女の顔を曇らせたいわけではなかった。
話の話題を変えようとすると、
「あの、守純さん!」
意を決したように一歩こちらに踏み込んできた。
「なにも知らないわたしが、こんなことを言うのもあれですけど……その、かつての幸せだった日々を否定することはないと思います」
「真白さん?」
一生懸命言葉を探すようにしながらも、俺の目をしっかり見据えてきた。
「わたしは里梨が大好きです。里梨のいない世界なんて考えられない。でも……この幸せがいつまでも続いていく保証がないのは、あの日、嫌になるほど思い知らされました。それ以上の絶望的な未来が、もしかしたらこの先に待ち受けているかもしれません」
俺の手を取った真白さんは、胸元で握りしめてくれた。
「それでも、こんな思いをするくらいなら出会いたくなかったなんて、わたしは絶対に思いたくない」
推しに手を握られる喜びに打ち震える。
「守純さんがどんなひどい裏切りにあって、絶望したのかはわかりません。だからその裏切りを許すべきだとも言えません。でも……それまで過ごしてきた日々の中で生まれた幸せは、きっと嘘なんかじゃないはずです」
それでも酩酊状態にならなかったのは、彼女の寂しそうにしながらも、それでも笑おうと頑張っている姿のおかげ。俺のために心を尽くしている彼女の前で、頭にお花畑を咲かせるのはできなかった。
「だって、その幸せすら全部嘘だったって否定したら……寂しいじゃないですか」
「真白さん……」
ここまで俺の心に寄り添おうと、頑張って考えてくれた女の子が今までいただろうか。
ヒィたんから向けられるのは、いつだって赤色に対しての感謝だった。でも、どれだけ誠意を尽くそうとも、ここまで俺のことを考えてくれることなんてなかった。
俺の中でなにかが咲こうとしていた。
芽が出ようとしているその感情から目を逸らす。
ダメだ守純愛彦。決めただろうおまえは。
もう推しには……しないって決めたはずだ。
「そうかもしれない……うん、そうだ」
思いを押し込むように、真白が今尽くしてくれた思いに応えようとした。
「たしかにあんな形で裏切られたのは悲しかった……でも、心の底から俺は、彼女のことを憎めずにいるんだ」
「……守純さん」
温かい温度が力強く俺の手を握りしめる。
「だって……今こうしてここで立っていられるのは、間違いなく彼女がいてくれたおかげなんだから」
それは嘘なんかではない。
間違いなく彼女がいたからこそ、今の俺がここにいる。
それを考えるのなら、俺はヒィたんのことを憎まなくてもいいかもしれない。むしろ感謝すべきかもしれない。
彼女をあれほど深く愛さなければ、今の幸せに繋がらなかったのだから。
「俺の中で今ようやく、彼女への想いに折り合いがついた。ありがとう、真白さん」
「それはお互い様です。今こうしてここでわたしが立っていられるのは、あなたのおかげですから。このご恩を少しでも守純さんに返せたのなら、わたし、嬉しいです」
本当に嬉しそうに真白は笑顔を咲かせた。俺にだけ向けられた喜びの花である。
まさかこんな形で、ヒィたんへの想いに折り合いをつけられるなんて。
悪しき行いにはいつだって不幸がついて回る。
逆に正しき行いには、必ず幸せがついて回る。
情けは人のためならずとはよく言ったものだ。見返りを求めず彼女を救ったことで、俺の心がこうして救われた。
ヒィたんへの愛は、そっと胸の奥にしまっておこう。
「守純さん」
「なんだい?」
「よろしければ、どんな人だったか……いいえ、せめてお相手の名前だけでも、教えてくれませんか?」
「ああ。ヒィコ、って言うんだ」
「
ニュアンスが若干違ったが、真白の中で納得がいったようだ。
俺たちの間に、その後は会話がなかった。でも悪い雰囲気ではない。
お互いの中で色々と決着がついたものを噛みしめるような、そんな穏やかな時間であった。
「改めて守純さん」
そうして駅に着くと、真白は友に捧げる満開の花を咲かせた。
「明日からよろしくお願いしますね」
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