12 可愛い女の子の義務

「傷心中、ですか?」


「夏休みが始まる前にね、この学園に初恋の人がいるって知ったの。まあ、初恋って言っても小学生のときの話だから、今でも恋してるわけでもないんだけどさ。女の子としては、ちょっと期待しちゃうじゃない」


「期待?」


「ちゃんと私のこと覚えていてくれて、昔の話で盛り上がって、それをキッカケに仲良くなっちゃって……その先でまた、恋しちゃったりとか」


「わたしにはよく、わからないですけど……それはもう、その人に恋をしてるのでは?」


「相手にというよりは、思い出に恋をしてるって言ったほうが近いかな。折角高校生になったんだから、恋人のひとりやふたり、やっぱり欲しいじゃない?」


「ふたりは、その……まずいと思います」


「ただの言葉のあや。恋人が欲しいの強調系だよ」


「あ、そうだったんですか……その、ごめ――」


「禁止」


 ピタッと指先が唇に張り付いた。


「恋人が欲しいって言っても、誰でもいいわけじゃないからね。ちゃんと相手のことを知って、思い出を作って、そこで生まれるものに惹かれていく。そんな恋がしたいわけ。それが再会した初恋の相手なんて、素敵じゃない?」


 恋をするほどに人を好きなる。それがよくわからないわたしは、曖昧な顔をしかできなかった。


「まさに恋に恋する乙女としては、勝手に自分の中で盛り上がって、期待しちゃったわけなのです。……そうやって、始まる前から盛り上がっちゃったのが悪かったんだな」


 大きなため息をついた上透さんは、苦い笑いをこぼす。


「夏休みが明けたら、彼に声をかけようって決めてたんだけど……この前、お祭りに行ったときに見つけちゃったんだ」


「そのお相手と、再会したってことですか?」


「ううん。女の子とふたりでいるところ」


 やるせない顔で上透さんはかぶりを振った。


「丁度、露天で買った髪飾りを、相手につけてあげているところでさ。なれないことであたふたしている彼を、相手は嬉しそうに笑っちゃって。女の子が髪を許して喜んでるなんて、もうそういうことだよね……って、試合が始まる前から、戦意喪失しちゃった」


「あの……その、こういうとき、なんて言っていいかわからなくて。ごめ――」


 唇に指先がピタリと張り付いた。そのままゴロンと上透さんは横たわり、わたしの膝に頭を乗せた。


「いいの、ただわたしが一方的に、話を聞いてもらいたかっただけだから」


 上透さんは淡い笑顔を下から向けてきた。


「こんな話、友達にはできないから」


「え、なぜですか?」


 思わぬことに面食らってしまった。


 上透さんの周りにはいつも、あんなにも人が溢れている。話を聞いてくれる人はいくらでもいそうなのに。わたしよりよっぽど親身になって、心に寄り添ってくれるはずだ。


「だってさ、どうせ根掘り葉掘り聞かれてキャキャー言われた後、『リリィかわいそー。でもリリィってば乙女ー。そんなリリィがかわいいよー』なんて囃し立てられるだけだって、わかりきってるんだもん」


「それは……お友達、なんですよね?」


「恋愛相談でもなければ、本気で慰めてほしいわけでもないからね。女の子同士の恋バナなんて、お菓子と一緒だよ。美味しいものを楽しくパクリって満足するだけのもの。あとは消化して、はい、おしまい」


「思い出を、消化されたくないんですね」


「うん。わたしにとって初恋は、走り始めることになった理由だから。これだけは大切にしていきたいの」


 本当に大切な思い出なのだろう。しまい込んだものを手放さないように、上透さんは胸に手を重ねた。


「だからね、ありがと。話を聞いてくれて」


「いえ、わたしなんてただ、本当に聞いてるだけになって」


「ただ聞いてくれるだけがいいの。ずっともやもやを抱えたまんま、新学期を迎えたくなかったから。誰かに話すだけで楽になるのはわかってたけど、それができないからもどかしかったんだ」


 すっきりしたように伸びをする上透さん。ニッコリと太陽が、下からわたしを照らしていた。


 こんな人の助けになれたのならよかった。


 なにもしていないのにそんな小さな満足感を抱いていると、


「真白さんにも、そんな話はない?」


 上透さんの手がわたしの頬に触れた。


 いきなり顔を触れられた不快感はなかった。ただ、人の手はこんなにも温かいのかと少しだけ驚いた。


「そんな話、ですか?」


「うん。慰めてほしいわけでもなければ、解決手段がほしいわけでもない。ただ、人に聞いてもらいたかったけど、今までできなかった話。あなたの胸の中には、そんなもやもやはない?」


 その問いかけにわたしは首を振ることはできなかった。


 それはきっと、自分の中にあると自覚しているから。慰めてほしいわけでもない。解決手段がほしいわけでもない。ただずっと、胸の中に飲み込み続けていた暗い気持ち。吐き出せるのならどんなによかったか。


 今日会ったばかりの人に引き渡すには、あまりもそれは重すぎる。そのくらいの自覚はわたしにはあった。


 だから、そんなものはないと逃げようとした。逃げようとしたのに、わたしはその目から離すことはできなかった。


 頬に宿った人のぬくもり。それをわたしは、つい取ってしまった。


「大した……話じゃないんです」


 彼女から伸ばされたその手を、わたしは掴んだのだ。


 どこから話していいものかと、手探りでぽつりぽつりと始まったものが、いつのまにか滔々と流れる川のようになっていた。


 わたしの半生。なぜ百合ヶ峰にたどり着くに至ったか。


 どれだけの時間をかけたか忘れてしまうほど、気づけば夢中になって話していた。


 それが終わると、ずっと膝上に頭を乗せていた上透さんは起き上がった。


「なーにが、誰の特別にもならない高嶺の白百合だ」


 ただ、上を向いてポツリとそんなことを漏らした。


 誰の特別にもならない高嶺の白百合。初めて聞くフレーズだが、なんとなく、わたしを指していることはわかった。


 気に触ったような上透さんの顔。でもわたしは、不安になることはなかった。


 もしかしたら……そのフレーズに、わたしと同じ感想を抱いたのかもしれない。


 ふいに、上透さんが抱きついてきた。頭に両腕を回し、掴んだものを逃さないように。


 いきなり抱きしめられて、不快に思うことはない。むしろその逆。抱いたことのない感情が込み上がってきた。まるで温かいものを胸に注ぎ込まれているみたい。撫でられる頭が心地よく、ずっとこのままでいたい。そんな安心感を抱いたのだ。


「うん、決めた」


 そんな声が耳元で鳴ると、不意に遠のいた。


 離れていく体温が惜しい。そう思いそうになるも、上から重ねられた手のひらと、肩が触れ合うほどの距離がまだ心を満たしてくれていた。


「真白さん、今日から友達になろう」


「え……」


 いきなりの提案に、わたしの心は追いついていかなかった。


 間が空くのを恐れて言葉を探す。


「同情……ですか?」


 そんな探し方をしてしまったから、心無い棘のような言葉しか見つからない。


 優しい人に、こんなことを言いたいわけではなくて……でも、取り繕う言葉も出て来ない。怒ったり呆れられたりするのを恐れていると、


「うん。その気持ちがないとは言わない。でもそれ以上に、あなたが許せないんだ」


 言葉と裏腹のような顔をニコリと見せてくれた。


「わたしを許せない?」


「だって真白さんは、義務を果たしていないんだもの」


 上透さんは人差し指で、わたしの頬をついてくる。


 一体どんな義務だと惚けるしかできないわたしに、上透さんは続けて言った。


「可愛い女の子にはね、綺麗な花を咲かせる義務があるの」


「花?」


「さて、ここで問題です。女の子が一番綺麗に輝く瞬間って、どんなときでしょうか?」


 小さな子供に謎かけするように、上透さんはわざとらしい声音を使った。きっと、わたしが答えられると信じていない。ちょっと意地悪な言い方だ。


 頑張って考えるも、やはり答えは出て来ない。


 時間切れって顔をした後、上透さんは優しく微笑をこぼした。


「それはね、心から笑ったときだよ」


 ポン、とその手はわたしの胸に触れる。


「真白さんは笑い方って知ってる?」


「そのくらいはさすがに……。いつも能面のような顔をしているわけにはいきませんから」


「うん。そうやって、場の空気を弁えた笑顔の作り方は知ってるかもしれない。でもさ、心からの笑顔を誰かに向けたことってある?」


 心からの笑顔と言われると、返答に窮してしまった。


 そのくらいあるはずだと思って、過去を遡っても見つからない。そんな自分につい、唖然としてしまう。


「嬉しいとか、楽しいとか、心からの幸せが溢れたとき、人は自然と笑顔になる。その瞬間こそがね、可愛い女の子が一番綺麗に輝くの。それこそ満開に咲く花のようにね」


 爛漫に笑いかけてくれる彼女を見ると、なんとなくその意味がわかった。


 たしかに彼女はいつだって、花のように綺麗だ。そんな綺麗な花に誘われているから、上透さんの周りはいつだって人でいっぱいなのかもしれない。


「明日さ、真白さん暇?」


「え、あ、はい」


「よし、じゃあ明日朝十時に、駅前集合ね」


 反射的に答えると、決定事項を告げるように言った。


 明日朝十時駅前集合。そんな約束ができてしまう。


「集合って……えっと、集まってどうするんですか」


「街に出て遊びにいくの」


「遊びにって……なにをしに?」


「なにをするかなんて考えてない。行き当たりばったり。その日くらいは体重を気にせず、美味しそうなものを片っ端から摘んでいくのもいいかもね」


「でも、わたしなんかと出かけても――」


「ほら、わたしって一応、傷心中だからさ。事情を知っている人に、付き合ってほしいんだ。いいでしょう?」


「そ、それなら」


 勢いに押されるがまま、明日の予定ができてしまった。


 夏休みに入って……いいや、初めて友達と遊ぶ約束ができたのだ。


 トクン、と。胸の中でなにかが鳴ったような気がする。


 これが明日を楽しみにするという感情なのかもしれない


「だから、覚悟してよね」


 上透さんの二本の人差し指が、くいっとわたしの口角を上げた。


「真白さんの初めての花は、必ず私が咲かせちゃうんだから」


 そうして彼女は花のような微笑みを浮かべたのだった。



     ◆



 放課後、学校の帰り道。


 俺は人生で初めて、女の子と下校するというイベントを迎えていた。葉那がいるだろうというなかれ。あれは俺の中では女としてカウントしていない。


 隣にいるのは、男たちの憧れ。


 神の隣を歩みたいと願ってくれた、誰の特別にもならない高嶺の白百合である。


 美しい少女と色恋の話を交わす、まさにずっと憧れていた時間を過ごしていた。


 まあ、色恋といっても、俺の入り込む隙間のない話。推したちの馴れ初め話である。


「上透さんカッケー……こんなん惚れてまうやろ」


「ふふっ。このとおり、惚れちゃいました」


 幸せでたまらないといった様子で、真白は蕩けるように惚気けていた。

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