08 神様はずっと君たちのことを見ていた

 どれだけの時間そうしていたか。


 顔を上げる気配を察し向き直ると、真っ赤に目を腫らした真白の顔。頬や目元も涙で濡れていた。


「よかったら使ってくれ」


「ありがとうございます」


 胸ポケットから取り出したハンカチを差し出すと、真白は涙声で受け取ってくれた。


 一通り顔を拭った真白は、ハンカチを掴んだまま膝上に手を置く。


「洗ってお返ししますね」


「いいよそのくらい。気にしないで」


「汚したものを、そのままお返しするなんてできません」


「そのくらい、汚れの内に入らないさ。ほら」


 手を差し伸べ返却を求めるも、真白はかぶりを振った。


「いいえ。最低限の礼くらいは尽くさせてください」


「本当に気にしないんだけどな、そのくらい」


「守純さんは優しいですね。でも、そこまで甘えるわけにはいきません」


 いや、マジでそのまま返してほしい。推しの体液が染みたハンカチとか、それはもう聖遺物だ。唇にも触れていたようだし、これ以上のない付加価値がついている。そのまま返却してくれるのが最大級のお礼である。


 ここで固執して、気味悪がられても困る。ハンカチを諦めることにした。


「改めて、ありがとうございます守純さん」


 向き直った真白は、感謝を示すべく頭を下げた。


「まさかお咎めなしで、何事もなく終わるなんて……夢にも思いませんでした。どうお礼をしたらいいか」


「やりたくて勝手にやったことさ。礼って言うならその言葉だけで十分だ」


「ですけど……」


「そもそも君のため以上に、自分のためにやったことだ」


「自分のために?」


「君たちの育む愛にあんな男が入ろうものなら、俺の頭が壊れちまう」


「育む愛って……あ」


 両手の指先で唇を覆う真白。恥じらいの色に顔が染まった。


「写真……見ちゃいましたよね?」


「なんだ、俺がそんなふたりの姿を見たのは、写真が初めてだと思ったのかい?」


「え……あ」


 ようやく思い至ったようで、真白はカッと目を開いた。


「そもそも、なんでわたしが脅されるって、事前にわかったんですか?」


 あのロッカーから飛び出してきた謎を、ようやく思い出したようだ。


「言っただろう。神様はずっと君たちのことを見ていたって」


「ずっとって……え?」


「具体的には十一月くらいから」


「……わたしと里梨の関係、ずっと知ってたんですか?」


「ああ、ずっと屋上から見守ってきた」


「屋上から? 見守る? え、え、えぇー……」


 鼻まで両手を覆った真白。ずっと逢瀬を覗かれていたことを知って、耳まで顔を真っ赤にしていた。


「なんで、そんなこと……? 面白いことなんて、なにもないのに」


「それは主観の問題だ。あのとき言ったこと、忘れちゃったかな?」


「あのとき?」


「俺は美しい百合は愛でる主義なんだ」


 何度もまばたきをしながら、その意味を考える真白。


 自分の中に答えを見つけ出したのか、困ったように目を泳がせた。


「ごめんなさい、わたし……あなたの気持ちには応えられません」


 百合のように深々と頭を下げた。


 どうやら俺が、真白に恋をしているのだと思われたようだ。


「知ってのとおり、わたしには里梨がいるから」


 もじもじしながら、真白は胸元の手をこすり合わせる。目を合わせるのも恥ずかしそうに、斜め下を見ていた。


 それから押し黙って、真白は考え込む。そして決意したように顔を上げた。


「……今回のことは、本当に助けられました。でも、こんなことがあったなんて、里梨には知られたくないんです」


「俺としては、ちゃんと伝えたほうがいいと思う。そりゃ怖い思いはしたかもしれんが、今回のことは真白さんだけの問題じゃない。ちゃんとふたりで、こんなことはもうないように気をつけようって話し合うべきだ」


「それはわかるんです。わかるんですけど……わたしが、自分を犠牲にしようとしたって言ったら……」


「怒られるのが怖いのか?」


「怒られるだけならいいんです。でも……里梨を悲しませたくない」


「悲しませたくないのはわかるけど、でもな、真白さん」


「里梨にはずっと、笑っていてほしいんです。――だから、守純さん」


 恥じらいながらも覚悟を決めたように、こちらの目をしっかり見据えてきた。 


「もし今回のことを胸に秘めてくださるのなら……」


「秘めたなら?」


「一回だけでしたら――お気持ちに応えさせて、いただきます」


 夢のようなとんでもない提案を真白はしてきた。

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