07 大罪を犯したものの末路

 立て続けに救いを求めて、拝まれ続けた午前中。


 どいつもこいつも明るい時間から、ネットの海にエロや出会いを求めやがって。まったく不健全である。なんのためにおまえたちは、百合ヶ峰の門をくぐったのだ。選りすぐりの優等生たちが聞いて呆れる。


 普通、そういうのは海ではなく門の中に求めるよね?


 まったく今日は厄日である。俺ではなく真白にとってだが。


「悪かったね、散々後回しにしてしまって」


「い、いえ……こちらこそ、お時間を割いてくだり、ありがとうございます」


 恐縮したようにペコリとする真白。


「それに、こんな場所まで用意して頂いていたなんて」


 真白は感服したように辺りを見渡した。


 ここは視聴覚室。後方に行くほど高くなるように、階段状に座席が設けられている部屋だ。普段は生徒が自由に出入りできないように、使われないときは鍵がかけられている。


 キーリングを人差し指にかけ、鍵をくるくる振り回す。


「君にとって、周りには聞かれたくない話だろう?」


「はい……恐縮です」


 入り口から離れるように階段を登り切る。


「それに、学園側にとっても誰かに聞かれたら困る話だからな。これくらいの融通は利かせてもらわんと」


 長テーブル同士の合間に入って腰を下ろした。その反対側に手を差し向けると、真白は軽くお辞儀をしてから着席した。


 今にも震えそうな肩を、必死に堪える緊張に満ちた瞳。


 これ以上、真白の緊張を引き伸ばすのは酷である。推しの心配事はさっさと解消させることにした。


「とりあえず、一番気になるだろう伊藤についてだが」


「は、はい……!」


 真白は胸元に手を重ね合わせながら、ゴクリと息を飲んだ。


「依頼退職という形で、昨日付けで百合ヶ峰の教師じゃなくなった」


「依頼……退職ですか?」


「まだみつき先生には伝わってないだろうがな。ここより稼げる新天地に羽ばたいていった」


「そう……ですか」


 ホッとしたような、けれど腑に落ちない。そんな曖昧な顔をする真白。


「納得いかないって顔だな」


「へ?」


「人を脅迫して辱めようとした男が、無罪放免で終わって、もっといい場所に旅立っていった? ふざけるな、ってさ」


「そ、そんなこと……いえ」


 眼を泳がすも、真白はすぐに取り繕おうとするのを止めた。


「そういうことなんだと思います。凄い……怖かった」


「あんな目にあったんだ。怖くて当然だ」


「あんな最低なことを求めてきた人がなんで、お咎めなしなんですか。許せない……」


「許せねーよな、あんなクソ野郎」


「でも、自分がしたことを考えれば、あんな怖い思いをしたのも自業自得かもしれません」


 真白は手を置いたスカートをキュッと握りしめた。 


「ここは学校なんです。人が見ていないからいいだろうって、節度を欠いてはいけなかった」


 悔しそうな顔を見られたくないのか、真白はうつむいた。


「きっと、神様は見ていたんです。あれは節度を欠いたわたしに、神様が与えた罰。このくらいで済ませてもらえたことに、わたしがすべきは感謝だけ。相手を恨んで罰を望むなんて……そんなの、許されません」


 どこまでも内罰的な真白。でもその言葉は、自らに言い聞かせるようであった。まるでこみ上げてくる悔しさに抗うための。


 抗った先でこぼれてしまった一滴が、真白のスカートを濡らした。


 推しのそんな姿は見たくない。


「そうだな。神様はずっと君たちのことを見ていた」


 彼女に似合うのは屈託のない笑顔である。高嶺の白百合が悔しさで涙するなんて、それだけは許せない。


「この俺という、百合ヶ峰の神様がな」


 だから俺は、ああして彼女のために立ち上がったのだ。


「へ……?」


 急な神様宣言に、真白も思わず間の抜けた声を漏らした。上げたその顔には涙こそ溢れ出ていないが、水気を帯びた目元は赤らんでいる。


「知らなかったのか? 俺は学園の男共に神様と崇められる存在だ。救いを求めた多くの人間に拝まれてきた。それは午前中に、嫌になるほど真白さんも見ただろう?」


「ええ……ずっと、やきもきして見ていました」


 潤んだ目元がかすかに緩んだ。


「真白さんは知ってるかな。罪が大罪となる三つの条件って」


「はい。ひとつ、それが重大な事柄であること。ふたつ、それをはっきり意識していること。みっつ、それが意図的に行われたこと。ですよね?」


「おっと、詳しいな。偉そうに語る前フリのつもりだったんだが」


百合ヶ峰ここに進学するまでは、そういった学校に通っていたので」


 真白は口元を僅かに綻ばせながら言った。


 なるほど、その手のお嬢様学校出身というわけか。ウィキペディアを漁っていた俺とは違う、本物を彼女は教えられてきたのだ。


 そんな相手に対して、神様を名乗る俺はまさに不届き者。


 それでも俺は、今この瞬間は神として振る舞いきらねばならない。


「なら、話が早い。奴はその重大な事柄を意識して意図的に行った。大罪を犯したものに神の恵みは必要ない。奴を必ず地獄に落とす。おれはそう固く決めたんだ」


 あいつは絶対に真白だけでは終わらせない。真白を散々辱めた後は、その写真を使って上透を手籠にしようとする。そして最後には必ず、ふたりを並べたり重ねたりして楽しむつもりだ。そんな可哀想な目にあった娘たちのことを、俺は今まで沢山見てきた。


 かわいそうで抜けるのは、二次元とAVだけだ。そんなことは絶対に許さない。


 百合の間に挟まろうとした大罪、その報いは必ず受けさせる。


 おれの脳が破壊されるような振る舞いは、決して許してなるものか。


「そういうわけで奴をこの楽園から追放し、母なる海へと追いやることにした。黒いダイヤの炭鉱夫として、奴はこの大地から離れる予定だ」


「黒い、ダイヤ……?」


 真白は小首を傾げ、どういう意図か考えている。


 引っ張るほどのものではない、答えは十秒後。


 三、二、一――


「あ……」


 どうやらギリギリで答えにたどり着いたようだ。ハッとした真白は口元に手をおいた。


「マグロ、ですか?」


「正解」


 そう、奴の新たな職業は遠洋マグロ漁船の乗組員である。


 一度乗り組んだら最後、何ヶ月も帰ってこられない船上生活だ。自己紹介のときに、先生乗り物酔いに弱いんだ、と言っていたからまさに地獄だろう。


「で、でも……どうやって?」


 真白の疑問も最もだ。ただの学生が、どうやって伊藤を乗り込ませるマグロ漁船を手配するのか。彼らも仕事として出向するのだ。債務者をマグロ漁船に送り込むヤクザじゃあるまいし、嫌々乗る素人などいても邪魔、願い下げであろう。


 ということで、それに近い繋がりを持ってそうな権力者に頼むことにした。


「今回のことは学園にとっても不祥事だからな。その証拠を差し出す代わりに、伊藤をどうにかできないか。って、学園長に頼んだんだ」


「学園長、にですか?」


「女の園に男を招いて一年目でいきなり問題発生。こんなのが表沙汰になったら困ったで済まないからな」


 学園存続のための共学化とはいえ、元は伝統ある女子校だ。こぎつけるだけでも大変だったろう。こぎつけた先でも問題が起きないよう慎重に、迎える男子生徒を選んだはずだ。彼らが問題を、それも女子生徒に害なすようなことを起こしたら、共学化の責任追求という矢が放たれる。学園長も弁慶の後を追いたくないと、胃をキリキリさせながら一年目の経過を見守っていたはずだ。


 そうやってようやく、共学化一年目が無事に終わる。そんな未来が見えた矢先に、よりにもよって教師が女子生徒を手籠にしようとしたのだ。


「ほんと、あの現場を見たときの学園長は、すげー顔してたな」


「え……あの場所に呼んだんですか、学園長を?」


 信じられない顔をする真白。


 なにせ真白が最後に見た光景は、パンツ丸出しで悶え苦しんでいた伊藤の姿。その後、手と足をガムテームで拘束して口も塞いだ。


 葉那に呼んできてもらった学園長も、いきなりそんな現場を見せられ仰天した。奴の脅迫している証拠を見せると、みるみるうちに顔が真っ赤となり、般若の顔つきで伊藤を睨みつけた。


 証拠とは俺が仕掛けたビデオカメラだ。


 一日中、神経尖らせながら真白に接触する伊藤を監視していた。呼び出しを確認できた時点で、先回りした俺はロッカーに隠れる前に、カメラを見つからないようセットしたのだ。


 脅迫現場の特定も、文系の俺には容易い。なにせ女子生徒の弱みを握った男性教師の気持ちを考えるだけでいいのだ。


 違和感なく真白を呼び出せて、外部を気にせずお楽しみに励めそうな場所といえば、防音が利いている生徒指導室だ。保険として葉那に後をつけさせていたが、案の定であった。


「伊藤ってさ、頼み込まれて預かった親戚らしい。『あんたタダじゃおかないよ!』って怒鳴りつけていたときは、見ているこっちが震えたもんだ」


「ああ、だから船に乗せることが……」


「こっちが頼まなくても、伊藤の末路は変わんなかったかもな。今は逃げないよう親戚たちの監視下に置かれてるらしい」


 その後は、葉那の母親を代理人に立てて、学園長と話を進めてもらった。


 学園の行く末を左右する証拠を盾に、学生にあれこれ求められるのも学園長おとなからしたら面白くはないだろう。それならもっと対等な立場、信頼できる知り合いと話を進めていくのが、学園長の心の安寧に繋がるだろう。


「他に学園でやらかした証拠、それこそ盗撮写真とか出てきても困るからな。ケータイもろとも、あいつの家の荷物は全処分。真白さんが困るようなものは、この世には残らないってわけさ」


「ありがとうございます。でも……」


 まだ拭いきれぬ心配があるというように、胸の前で手をもじもじさせている。


「証拠を見せたってことは……学園長は、わたしと里梨のこと」


 知られてしまったことに不安を隠しきれずにいる。


 なにせ相手は学園長。今度は自分だけではなく、愛する相手も一緒に呼ばれてしまう。今度は正しい形で、学園からの指導が入る。しかも上透は陸上部のエースである。彼女の行く末がどうなるかと、自分の身よりも恐れているのだろう。


「知ってるかい。君たちが写真を撮られた、あの桜の樹にまつわる伝説」


「伝説、ですか……?」


 目をパチリとすると、なんのことかとわからない顔をする。


「桜咲くとき、あの樹の下で告白して、成功した二人は永遠に結ばれる。そんな伝説の樹の下に、君たちはいたんだよ」


「素敵な伝説ですね。春になると、沢山の人が押しかけそう」


「残念ながら伝説は伝説。もう十年以上咲いていないらしい」


「そうなんですか? ちょっと、残念ですね。でも、そうやって語り継がれるほどに、長い長い時間をかけて根付いたお話なんでしょうね」


「ところでこの伝説、おかしいと思わないか?」


「おかしい、ですか?」


 考え込む真白。五秒ほどそうしていると、思い至ったのかハッとした顔をした。


「あれ、たしかこの学校……」


「そう、去年まで女子校だったはずなんだ。おかしいなー、おかしいなー」


 わざとらしい大きな身振りで、腕を組みながら悩んだふりをする。


 真白は口元に両手を当てながら、その意味を……こんな話をされた意図を考える。


「ま、そんな生徒たちが当たり前にいることくらい、学園長も知ってるのさ。一応、百合ヶ峰ここの出身だしね」


 すっ、と。


「学園長はこう仰っしゃられていた」


 あの日の学園長きょういくしゃの顔を作る。


「恋愛は誰もが等しく持つ、社会に生きる人間の権利です。ですが教育者としては、校内で不埒な真似をする生徒を見かけたら見過ごすことはできません」


 そしてニヤリと口端を上げた。


「そういう戯れは家でやりなさい――ってさ」 


「あ……」


 ずっと張り詰めていた糸が切れる音がした。


「う、うっ……」


 口元に置かれていた手が、そのまま顔を覆い尽くした。


 社会が認めていないあり方は、コミュニティからの迫害対象だ。たとえ誰かを傷つけないあり方であれ、受け入れられないものがそこにあるのは許せない。まるでそこにあるだけで自分たちの世界が汚れるとばかりに、輪から押し出そうとし、ときには石まで投げてくる。


 学校はまさに、そんな社会の縮図である。まさにそれを学び、実践するための場であった。


 そんなことないとは言わせない。


 だってそうだろう? この世界は思いやりに満ちて、自分とは違う人のあり方を受け入れる訓練の場だと言うのなら――


 そんな世界でなぜ、俺は神として祀り上げられねばならないのか。


 俺は神様気取りで手を差し伸べてきたわけではない。ただひとりの人間として、困っている人を見捨てられなかっただけ。立ちたいのはその隣であって上ではない。


 けどそうやって、俺にとってはなんてことのない手を差し伸べたつもりが、彼らにとっては神の御業。不可能を覆す奇跡であった。その噂を聞きつけたものたちは、いつしか頼るのではなく縋る、頼むのではなく拝むようになっていた。


 人ははるか昔から、理解できない一面を持つものを、自分たちとはかけ離れた超常の存在として扱ってきた。でもその存在をどれだけ丁重に扱ったところで、手を取り合うべき隣人として接しないのであれば、それはもうコミュニティからの迫害でしかない。


 俺は異端かみという枠に押し込められ、スクールカーストひとのわから弾かれてしまったのだ。


 俺は、神になんてなりたくなかった。百合ヶ峰に通う、ただのひとりの男子としていたかった。この力さえ隠し通していれば、今でもスクールカーストの中にいられたかもしれない。


 彼女たちの愛もそれと同じだ。この学校しゃかいから迫害されないために、ずっと隠し通してきたつもりだった。


 それがあの男に暴かれたせいで、学園の一番高い場所にいる人に伝わってしまった。もうこの学園ばしょにいられなくなるかもしれない。そんな風にずっと、真白は恐れてきたのだ。


「あぁ、うっ、うっ……」


 それが許された。


 大手を振るうことができないけれど、あなたたちはこの学園ばしょにいていいんだと。その権利を認められたのだ。


 彼女に涙なんて似合わない。笑っている姿こそ一番美しい。


 それでも今は、その安堵による嗚咽よろこびが落ち着くまで、なにも言わず視界を外して待っていた。


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